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「いったい誰なの? どうしてこんな所にいるの?」財宝を前にしているのに浮かない顔を浮かべてキーチェカが疑問を呈する。「魔女の子は男だったはずだけど」
ユカリは魔法少女の小さな体から元の姿へと戻り、ベルニージュの母と対峙するように向かい合う。
「ああ、いえ、彼女は私の知人です。ベルニージュさんのお母さんなんです」
「ああ、そうなんだ。とはならないよ」キーチェカは訝しむような眼差しをベルニージュの母に向ける。「一体どうやってここに?」
どうやら自分がこの部屋を最初に発見できなかったことを憤っているようでもある。それはそうだろう。十数年越しの夢だったのだ。
ユカリはとにかく不要な不安をキーチェカに感じさせないようにと言葉を選ぶ。
「とにかく、すごい魔法使いで。ちょっとお話するので、待っていてもらっていいですか?」
「へえ。私をのけものにするんだ」とキーチェカは拗ねる。
裏目に出た。
ユカリはとにかく、ベルニージュの母を他者に関わらせたくない気持ちが湧き上がっていた。これから何が起こるのか知らないが、巻き込ませたくはない。
ユカリは財宝を指し示してキーチェカに言う。「それより念願の財宝の部屋に来たんですから、やらないといけないことは沢山あるんじゃないですか?」
「まあ、いいけど」キーチェカが目を眇めてユカリを見つめ、次にベルニージュの母を見つめる。何かが人の皮をかぶっているとでも言いたげな目だ。「ユカリ、大丈夫なんだね?」
「はい。大丈夫ですので」
キーチェカはユカリとベルニージュの母を疑うように何度も振り返りながら、部屋の端の方へと歩いていく。
ユカリはベルニージュの母に向き直って気を取り直す。「それで、どうしてここに? この街に来ていることはベルニージュに聞いていましたけど」
ベルニージュの母は上品な笑みを浮かべつつも退屈そうにため息をつく。
「ユカリさんもお久しぶりなのに、ご挨拶ね。私はいつだってベルニージュのためを思っているのですよ。ここへ来たのもベルニージュのためです」
「そういう意味じゃなくて、どうやってこの地下神殿の最奥にたどりつけたのかと疑問に思ったんです」
「どうやっても何もあの穴から真っすぐに降りてきたのです。古臭い呪いが山のようにあって多少面倒でしたが」
ベルニージュの母は円蓋を見上げた。その中心には穴があり、光が降り注いでいる。穴から見えるのは光の強さに見合わない夕焼け空だった。光を強める地下神殿の魔法か、そうでなければベルニージュの母の魔法だろう。
それより何より、まさか地上から直通の出入り口があるなんて、誰が思ったことだろう。キーチェカはどう思うだろう。どこに繋がっているのか知らないが、きっと巧妙な、ユカリの知らない複雑で強力な魔法で隠されていたのだろう。そう思いたかった。
ユカリは気まずそうに部屋の端へ目を向けるが、キーチェカは這いつくばって床の何かを真剣な面持ちで見つめていた。こちらの話は聞いていないらしい。
ベルニージュの母はそのキーチェカの丸めた背中を眺めたのち、財宝に満ち満ちた輝かしい部屋を見渡して残念そうに話す。
「新月の夜以外はここにいると聞いていたのですけど、あてが外れましたね」
魔女の子を探しているということだろうか。他に地下神殿の最奥に住んでいる者についてユカリには心当たりがない。
「魔女の子、ですか? それがベルニージュの記憶、記憶喪失、記憶を取り戻すことに関係がある?」
ベルニージュの母は意味深な笑みを浮かべるだけだった。
「やっぱり魔女の子はここに住んでるんだね」いつの間にか二人の方へ少し近寄っていたキーチェカは黒檀の机の足を眺めている。「これも古びた机だけれど、せいぜい数十年というところかな。神殿に比べると圧倒的に新しい。アルダニの産じゃないみたいだけど」
「黒檀といえばテロクスでしょう」ベルニージュの母はキーチェカを見下ろし、猫でも撫でるように机を触る。「象嵌を施した家具は、生活から工芸思想に至るまでが宗教的伝統に根差す彼の地の人々の得意とするところです」
「お詳しいんですね」とキーチェカは素直に称える。
「詳しいですが、今の説明はその一端に過ぎませんよ」
キーチェカはその言葉に特に感じ入る部分もなかったようで、再び床を眺める作業に戻り、時々何事かを呟く。
「ところでユカリさん。ベルニージュさんはどうしたのです? きっとここへ来ると思っていたのですけれど。まあ、共に来たとしても何かの役に立つのか分かりませんが」
ユカリはむっとして少し語気を強める。「ベルニージュには別のことをお願いしたんです」
シイマの看病と看板娘を上手くやれているだろうか、客を追い返したりはしていないだろうか、と冗談めかしたことを考えるが冗句を言う相手はいない。
「そう」ベルニージュの母は人の心も遠い過去も何もかもを見透かす瞳でユカリを見つめる。「それは足手まといになるからではありませんか?」
「違います!」ユカリはむきになって言い返す。「私よりも沢山の魔法を知っているベルニージュならもっと少ない苦労でここにたどりついたはずです!」
ベルニージュの母が微笑みを浮かべたのをユカリは見逃さなかった。しかし返す言葉に娘を想うような温もりは感じられない。
「そうですか? 頼りにされているんですね」
大して表情を変化させないベルニージュの母が何を思ってそんなことを言っているのか、ユカリには分からなかった。一方で娘のために力を尽くしているのに、どうして冷たいことが言えるのだろう。
キーチェカは相変わらず財宝よりも地下神殿に夢中だ。持ってきた種々の計測器具で何やら測っている。
ともかく、ベルニージュの母は別に二人の邪魔をしに来たわけではないらしいと分かる。魔女か魔女の子供を知ることが、ベルニージュの記憶を取り戻すことに繋がると考えているようだ。
ユカリはベルニージュの母の脇を通り過ぎて、壁画を見上げるキーチェカの元へ赴く。そして床についている染みのような模様に夢中になっている背中に声をかける。
「キーチェカさん。魔女に関する物はあの家具だけってことですか?」
キーチェカは顔を上げて頷くと言った。「ここには特に罠などは仕掛けられていないし、魔女由来の物があるとすれば、あの家具と、それと財宝だね」
「じゃあ、やっぱり古代の宝だったわけでもないんですか?」
「そういうこと。まあ、全部が全部そうなのかも分からないけど。見たところはどれも新しい。あの財宝に埋もれているのでもなければ、ここにあるのは古代に地下神殿を守っていたものたちの財宝ではなく、魔女、あるいは魔女の子供の財産だけだね」
しかしキーチェカは微笑みを浮かべて、強い眼差しを壁画に向けている。ユカリはその凛々しい横顔に尋ねる。
「全然残念そうじゃないですね。キーチェカさんにとっては財宝よりも地下神殿ですか?」
はっとした様子で、しかし壁画から目を離さずにキーチェカは答える。
「うん。ずっと子供の頃から好きだったんだ、この地下神殿がね。いや、あるいは古いもの、いなくなった人々の遺したもの、かな」
その横顔の純粋な表情を見ながら、ユカリは先日キーチェカが言っていた言葉を思い出す。財宝ではなく、生き方だと。それは財宝のためではなく、発掘屋を行うことがキーチェカの生き方なのだという意味なのかと思っていたが。キーチェカは財宝ではなく、生き方を探していた、なのかもしれない。
「お節介かもしれませんが、それをシイマさんに言えばいいのに、って思います。シイマさんは財宝で楽にしてあげたいって言われても喜ぶような人じゃないですよね?」
キーチェカはおかしそうに苦笑する。
「別にそれだって嘘じゃないさ。たださ。私の両親、ばあちゃんの息子夫婦が早くに死んじまって、孫娘の私としては一人で生きていけるってところを見せたかったんだ。遺跡が好きってだけじゃあ不安だろう?」
「まあ、それはそうかもしれません」ユカリはキーチェカの眺める壁画を見つめる。「しかし、ところどころ崩れてて何が何だか分かりませんね。あの上の方の渦巻みたいな模様は上層で見た円蓋の模様に似ていますね」
「よく気づいたね。あれが夜闇の神ジェムティアンだとすれば、神のもとで祈りを捧げている絵かな? 修復してみなければはっきりしたことは分からないけど」キーチェカは立ち上がり、辺りを見渡す。壁画から崩れたらしい石の欠片が散乱している。「随分と時間がかかりそうだけどね」
「三人でやっても一、二時間はかかりそうですね」いつの間にか隣にいたベルニージュの母がそう言った。
ユカリはキーチェカの方へ一歩退く。
「いやいや、二時間では済まないですよ」キーチェカが背の高いベルニージュの母を見上げて言う。「数か月、あるいは数年単位で見るべきでしょう。そもそも作業を始めることさえ、どれだけの時間がかかることか」
「手伝う気がないならそれで構いません」ベルニージュの母は冷たく言い放つと天鵞絨の長衣から、とても衣の内に収まるはずのない様々なものを取り出す。
何かの獣の大腿骨を模した石の筆に三枚の古びた羊皮紙、数十本の色彩豊かな綱、黄金で出来た百体を越える小さな偶像。
ベルニージュの母ができると言ったなら、それはできるのだろう。
ユカリとキーチェカはお互いを見合わせ、お互いの意思を確認すると頷き合う。二人は謝罪の言葉を携えて、ベルニージュの母の元へ赴く。
二人はベルニージュの母の指示に従って立ち働く。部屋のあちこちの指定された場所に偶像を設置する。円蓋の穴へ続く螺旋階段の入り口を綱で決められた模様を描きながら塞ぐ。
ベルニージュの母は黒檀の机に向かい、石の筆から湧き出る墨で羊皮紙に何か書き込んでいく。最後にベルニージュの母が自ら綱や偶像を確認するまでで確かに二時間ほどかかった。
円蓋の穴から見える遠くの空は紫がかっているが、あいかわらず不思議な光が降り注いでいる。
「さあ、片づけられたくなかったら螺旋階段で待っていなさいね」
ベルニージュの母に言われた通り、ユカリとキーチェカは螺旋階段に避難する。入口は色彩豊かな綱で塞いでしまっていたので手すりを乗り越えた。
最奥の部屋の中央、財宝に囲まれた家具の真ん中に一枚の羊皮紙を置いて、ベルニージュの母はその上に立つ。そして複雑な呪文を紡ぐ。自由を旨とする悪戯妖精をも意のままに操る古の呪文、動かざる巨人たちに労役を課す王の呪文、竜なら誰もが知っている黄金を司る呪文。それらを類稀な喉と舌と唇のそれぞれで同時に唱える。また、その魔法使いは誰もが知る最も強力な【呪縛】と称される文字に新たな解釈『逃れ得ぬ懲罰』を与え、時に行使者に背きかねない凶暴な呪文を使役する。
ユカリたちの目の前で財宝が虫のように這って行き、壁の中へと吸い込まれていく。それは二人が落ちてきた穴に通じる幻影の壁だ。その縦穴に全てを詰め込んでいくということだ。
山のような財宝が下から崩れていき、全てが壁の向こうへ消えると、最後に魔女の子のものだろう家具が蓋を閉めるように壁の中へ消えた。財宝が一掃され、隠れていた本来の出入り口も露わになる。要するに魔女のものだけ片づける魔法を行使したということだろう、とユカリは解釈した。残されたのは地下神殿の、最奥の部屋に元からあったものだけということだ。財宝の中にあった砂粒のように小さな無数の宝石だけが取り残されている。
次にそこら中に散らばった石の破片が床を這い、壁を上り、あるべき場所へと収まってゆき、全てが元通りになっていく。削れた床が滑らかになり、欠けた壁画が正される。壁画の下には偶像が存在したことも判明する。ばらばらになって散らばっていたらしい。白と黒の花崗岩で麗しい乙女が形作られ、白い衣は優美にうねり、黒い体に残りの宝石が取りつけられていく。まるで銀河を体現したような御神体だ。
「こんな」息を飲んだキーチェカが何とか言葉を発する。「歴史学者なら誰もが羨むような魔法。聞いたことがない。一体この魔法は何なんですか?」
「必要かもしれないと思って私が見い出したものですから、何というものではないです」とベルニージュの母は答える。
「あとで教えてもらえませんか?」
「あなたに身につけられるとは思えませんが、別に構いませんよ」
「やった」と言って小さく跳ねるキーチェカは本当に嬉しそうだ。「ところで、もう降りても?」
「ええ、どうぞ。お好きになさって」とベルニージュの母は羊皮紙の上から離れることなく答える。
キーチェカとユカリは螺旋階段を再び手すりを乗り越えて、修復された壁画のそばへ走り寄る。
完全に修復された壁画には男女が手を取り合い、夜闇に祈りを捧げている姿が描かれている。
「これって、結婚式に見えません?」
ユカリの問いかけにキーチェカは頷く。「うん。おそらくそうだね。ここは結婚式場として使っていたのかもしれない。今でも夜闇の神の信徒はその加護を願って大事な儀式は新月の夜にするそうだよ」
ユカリもキーチェカも自然と円形の広間を眺める。かつては椅子や敷物もあったのかもしれない。だとしても長い時間の蝕みの果てに全て朽ちてしまったのだ。
ベルニージュの母が赤い唇に微笑みを浮かべて言う。「なんとも皮肉なものですね。魔女は息子の嫁だか恋人だかが気に入らず、己の息子をこの部屋に閉じ込めたというのに」
キーチェカが机の方に駆け寄り、床から何かを拾い上げる。それは古びた草漉紙だ。
「どうやらその説は覆りそうですよ」とキーチェカは答え、拾い上げた草漉紙を机の上に広げる。ところどころが破れていて、文字もかすんでいる。「魔女の子の、日記というにはいささか他人事のようにも思える記述ですけど」
ベルニージュの母は羊皮紙の上から動かない。首すら動かさず、じっと壁画の方を向いている。
ユカリは恐る恐る尋ねる。「もしかしてですけど、そこから動いたら、魔法が解けてしまうとか?」
ベルニージュの母は淡々と答える。「ご名答です。この修復の魔術は一時的なもの。その草漉紙の内容を読み上げてくださる?」
そう言われてキーチェカは答える。「分かりました。ええっと、事の発端は魔女の子の顔貌が美し過ぎたことのようですね。これは伝説にもあります。それはもう多くの女性を虜にし、とうとう、ん? どういう意味だろう?」
ユカリはアルダニの文字自体ほとんど読めなかった上に古い言葉遣いで書いてあるらしく、全く文意を読み取れなかった。
「何て書いてあるのです?」ベルニージュの母が尋ねる。「そのまま読んでくださればいいのですよ」
キーチェカが不思議そうに答える。「文字通り読むと、とうとう月に見初められてしまった、と書いてありますね。人の名前ではないようですし。まあ、とにかく続きを読みます。大変多くの女性が魔女の子に恋い焦がれるため、月は大いに嫉妬し、地上に熱病の呪いを放った、とのことです。これはどうやら月そのもののようですね。魔女の子はこの地下神殿にて、月の呪いが鳴りを潜める新月以外の夜は、祖神たるジェムティアンに祈りを捧げ、女たちの加護を願った、と。魔女は子を閉じ込めたというよりは、むしろ子のために手助けをしてくれた、ということになるんでしょうか」
ユカリは再び円蓋の穴、ここから遠い地上よりもさらに遠い夜空を見上げる。そこには釣り針のような月がぼんやりと光っていた。
「その話が本当なら、新月以外の夜に、ここに魔女の子がいないのはまずくないですか?」とユカリはキーチェカとベルニージュの母に尋ねる。
「本当なら、って」キーチェカがユカリを見上げる。「月が熱病の呪いを女たちに差し向けたって話? それが本当なら私たちも今頃犠牲になってるんじゃない?」
キーチェカは冗談ぽく言った。
「それが本当ならここにいる私たちが犠牲になることはないでしょう」ベルニージュの母が羊皮紙を降りて、螺旋階段へと向かう。途端に修復されていた壁画や像が崩れ去り、壁の向こうに片づけられていた財宝が元いた場所へ戻ろうと押し寄せてくる。「ここは夜闇の女神ジェムティアンの神殿ですから、月の眷属が立ち入ることはないはずです」
ユカリたちも慌ててベルニージュの母を追う。ベルニージュの母は螺旋階段の入り口に張られた綱を焼き払い、地上への道を上っていく。
キーチェカが問いかける。「そもそも、月が呪いをかけたって話を貴女は信じるんですか?」
ベルニージュの母は首を横に振る。「私にとってはどちらでもいいことです。それが本当の話でも、実は御伽噺の類だったとしても。しかしもしも無差別に女を狙う熱病の呪いかそれに準ずるものがあるのだとすれば、私は守らなければならない人がいますから、地上に戻る必要があります」
ベルニージュのことだとユカリは気づく。
キーチェカはそれでも半信半疑のようだったが、もしも祖母が狙われていたら、という懸念が思い浮かんだらしく、少し足早になった。
「まただ。またそばにいる。どこにいるの?」とグリュエーが騒ぐ。
「ちょっと後にしてね、グリュエー」とユカリは囁く。