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「ずっと、待っているのかい」
「おいで。一緒に暮らそう」
「そうだな、君の名前は──」
****
「──こ」
緩やかで、暖かい記憶。陽だまりのようなそれにずっと浸っていたいのに、水に浮かぶ葉っぱのように私の意識は浮上していく。
「──ちこ!」
あの人は、なんと言っていたかな。ああ、そうだ。私は、私の名前は──
「まちこ!」
ハッと一気に意識が覚醒する。視界に突如明るくなって一瞬混乱するが、その視界の端に見慣れた柔らかな色彩が見えてほっとする。
「じゅはち〜」
「もー、またそんなところ登って〜!」
ぷんぷんと怒ったように言う彼女はそこに少し心配を覗かせる。その様子が可愛くて、私は思わず頬を緩める。
「猫だから大丈夫だって」
「それでも見てる方はハラハラするの!ほら、降りてきて?」
美しく白い手が伸ばされる。それと共に目に入る、2対に伸びた紫色の角と、その白い肌に浮かぶ赤い文様はまさしく”鬼”の特徴。
私はその手に促されるまま、今までいたところ、つまり木の枝から飛び降りる。
うわ〜〜やっわらか〜〜い
極上の触り心地に包まれて怪我することなく私はじゅーはちに抱えられる。ずっとこのままでいたい気持ちはあるが、それは歳上としてどうなんだというなけなしの矜恃ですぐさまじゅーはちの腕からも飛び退く。
くるりと空中で回転すると同時に、私の目線はグンと高くなる。難なく地面に着地すると、私より少し低いくらいのところにじゅーはちの瞳が現れる。
「抱っこしたかったのに〜」
「私の抱っこ料金は高いのだよ」
拗ねたようなじゅーはちにふふんとわざとらしくふんぞり返る。
ああ、そうだ。忘れてた。
そう思って私は再び彼女の目を覗き込む。
「おかえり。じゅーはち」
彼女は私の言葉に柔らかく花が咲いたように笑って、「ただいま、まちこ」と優しい声で囁いた。
****
「みんなーおかえりー」
じゅーはちと共に私たちの家へと帰ってくると、皆の姿が見えた。手を振ると同時にそう声をかけると、いつものようにぎゃーぎゃー騒いでいた彼らは振り向いて笑顔を向けてくる。
「まちこり!ただいま!」
「りいちょ〜あんた今日はヘマしなかった??」
「いつもしてねぇわ!!」
真っ先に声を上げたのは桜のように薄い桃色の髪と、ふわふわと耳と尻尾を持った彼、りいちょ。九尾の狐という高位妖怪ではあるが、彼は妖怪としてもそこまで生きてはいない若者で、私たちの中だと最年少だ。
「ただいま、まちこさん。今日珍しい魚取れたから夕飯で食べよう」
「えっ、ほんと!?やったー!」
続いて物腰柔らかな赤髪の彼。キャメロンさん、略してキャメさん。狼男の彼は私と同じ獣妖怪仲間だけど、私が猫から妖怪化したのと違ってキャメさんは純血の狼男だ。狼男の頭として一時は群れを率いたこともあるらしく、その頼もしさは随一だ。
「おー、まちこ。ただいま。キャメ、その魚捌くのにコツいるらしいから俺がやるわ」
「せんせー捌けるの?」
「任せなさい!港のおっちゃんにコツ聞いたからいける!」
紫紺の髪の彼はしろ。博識でいつも知識面で皆を助けてくれるから敬意を込めてしろせんせーと呼んでいる。彼は餓者髑髏、怨みを持った怨霊が集まって形を為した妖怪だ。それもあって知識が深いのかも。
「ただいまー。留守番サンキュ」
「ん。家は私に任せろ!」
最後は黒髪に山伏の格好をした彼、ニキ。黒く大きな翼がばさりと揺れ、その風で私の髪を揺らす。私の前でそれやんないで欲しい。本能出ちゃう本能。
ニキニキは鴉天狗で、彼の言ってることが嘘でないならそこの若頭らしい。彼の気に入ってる西洋の言葉で言うと王子?だったかな。今は鴉天狗の掟に則って、1人前になるために里から出ているらしい。
18号、りいちょ、キャメさん、しろせんせー、ニキニキ、そして私。種族も歳も違う私たちはなんの偶然か、出会い、共に暮らしている。
山の中、奥深くに大きな個性的な家を建てて、狩りをしたり畑を作ったり、悠々自適な生活を送っている。
「腹減った〜!」
「ボビー飯〜!」
「お前らはガキか!ったく。キャメ、ちょっと手伝ってくれ」
「了解」
「私洗濯物しまっちゃうねー。ニキニキも手伝ってよ?」
「えー、18号がよしよししてくれたら「するか!」ちぇっ。はーい」
「なら私お風呂の用意しとくー」
「あ、待ってまちこり。俺も行く!」
自然といつものように別れてそれぞれの仕事へと向かっていく。私はりいちょと共にお風呂の準備だ。
「今日は、最近やって来て魚を独り占めしてる海坊主、だっけ?」
「そーそー。もーめちゃくちゃデカくて!まちこりの顔くらいあったわ」
「んな訳ねーだろ。ぶっ飛ばすぞコラ」
「すんませんっ!!」
「海坊主、前に見たことあるなー。普通穏やかな性格で独り占めなんてするはずないんだけど⋯」
「あー、それが、なんか一体じゃなかったんだよね」
「え、そうなの?」
「正確には他のところに住んでる別の海坊主に贈り物贈るために、めちゃくちゃ海の幸集めてたらしい」
「あー、求婚のためだったか」
「そ。18号がそれに気づいて恋愛相談して円満解決」
「さっすがじゅうはち」
「最初だけ戦ったけど全然消化不良〜〜」
「元気ありあまってんねー。若者は」
「うわその言い方婆臭いよまちこり」
「うるせー」
口を動かしながら薪を割っていく。私が薪を置き、りいちょが割り、その割った薪を私が風呂の下へと突っ込んでいく。ぽんぽんと軽口が叩けるこの時間も結構好きだ。
「てか、まちこりって実際何歳なの?」
「はぁ?女に歳聞くんじゃないよガキが」
「言い方強っ。って、そうじゃなくて、ガチで気になってるんだよね」
りいちょが動きを止め、斧を丸太に刺す。上を向いた持ち手に手をかけ顎を乗せて私を見つめる。
「俺たちより歳上ってのはわかるけど、なんとなく何十年とかじゃなさそうだし」
「なんとなく?」
「さっきの海坊主の話もそうじゃん」
「なにがよ」
「せんせーが言ってたけど、海坊主って見れること自体がとんでもなく奇跡らしいよ。まちこりも知ってのとおり争いを好まないし、波風を立たせない妖怪だから、そもそも人間の前にも妖怪の前にも姿を現さないんだって」
「ふーん。じゃあ私が見れたのは奇跡だったわけだ」
「だーかーら、それがおかしいんだって。今日会った海坊主に聞いたけど、海坊主仲間で話した時に、ここ100年は誰も妖怪にも人間にも会ってないって話題出たらしいし」
気になることは確かめないと気がすまない。それは彼の美点であるし、幼さの所以だ。
「まちこりって、しろせんせーとはちょっと違う、経験からの知識?ってのがすごいじゃん。だから俺、結構長生きなのかなーって」
そしてなかなかに鋭い。
私は薪の様子を見てもう割る必要はないか、と判断する。人差し指を立て、そこにふっと息を吹きかける。そうすると指先に小さな炎が灯る。それを近くの落ち葉に付けて薪に突っ込む。炎を操って薪全体に炎が巡るように調整する。
あとは張った水が湯になるのを待つだけ。
私はりいちょを振り返る。
「ま、りいちょが私に一撃でも入れられるようになったら教えてあげるよ」
そう煽るような笑みを浮かべれば、最年少の彼は途端にむっとした顔になる。
「はぁ!?そんなん簡単だし!夕飯まで時間あるし今からやるぞ!」
「え〜、りいちょさん疲れてるから負けたとかの言い訳しないでくださいよ〜?」
「しないし!!」
ぷんすこ怒りながら歩き出すりいちょに苦笑しながらもその背を追いかけた。
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