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交番でロザリーを引き取った後、ボクらはすぐに張り込み先へと戻る。もうとっくに芳雄さんの退勤時間を過ぎているし、張り込みも尾行も失敗だ。
とは言え、だからと言ってロザリーを責める気にもなれなかった。急に切り替わったかと思えば、元の自分とは似ても似つかない大柄な男性――アントンになってしまっているんだから泣いて逃げ出すのも当然だ。ロザリーはアントンのまましばらくベンチに座って泣き続けていたけど、しばらくすると纏さんに切り替わってしまった。
……まあ、例によって纏さんなのは身体の方だけだけど。
「困ったな……このままだと女の子に声かけにくいんだけど」
ボクに借りた手鏡を見ながら、纏さんは満更でもなさそうに呟く。
「何でちょっと楽しそうなのさ……」
「あ、わかる? 和服なんて普段着ないからちょっと楽しくなっちゃってね。いや~纏ちゃん怒るだろうなぁ」
そんなことを言いながらも全く悪びれた様子には見えない。本気で泣いていたロザリーと違って、晴義は状況を楽しんでいるみたいだった。
「それよりどうするの? 芳雄さん、多分もう会社出ちゃってると思うけど」
「でも通勤ルートは聞いてるよね。とりあえずそこを辿ってみようよ」
一応真面目に考えてはいてくれたようで、晴義は手鏡をボクへ返すとすぐにベンチから立ち上がる。
「……ほんとに大丈夫なの? こんな状態で……。浮気調査ならなんとかボクだけでやれるかも知れないし、晴義はもう事務所で休んでた方が良いんじゃない?」
正直なところ、さっきみたいにどこかへ走り去られると調査どころじゃないし、単純に家綱達の身体が心配だ。あんなにコロコロ身体も人格もバラバラに切り替わるなんて絶対にまともな状態じゃない。
「そう……だね」
いつものように軽口で返してくると思ってたんだけど、意外なことに晴義の表情には影がさした。
それが何故かたまらなく不安で、ボクは戸惑いを隠せない。すると、晴義はボクの頭にポンと手を置いて、纏さんの顔でいつものように笑って見せる。
「大丈夫。多分ね。ま、折角だから心配しててよ。かわいいから」
「……なんだよそれ」
少しムッとしてはしまうけど、いつもの軽口が聞けて少し安心した。だけどやっぱり、大丈夫だとは思えない。
そこで会話は終わって、ボクらは芳雄さんの通勤ルートに向かって歩き始める。何だか歩きにくそうにしている晴義の背中に、言いようのない不安を覚えながら。
***
通勤ルートを辿って行くと、どうにかボクらは芳雄さんを発見することが出来た。もしもう電車に乗られたりしてたら危なかったけど、どうにか駅に着く少し前の段階で見つけることが出来てホッとした。
芳雄さんは見るからに好青年……と言った感じで、兼ヶ原さんより少し若い二十代後半と言った出で立ちだ。事前に写真で見せてもらった通りの人物なんだけど、ボクにはこの人が浮気をするようにはあまり見えない。とは言っても、見た目はいじろうと思えばいじれるし、本性なんてわかりっこないから確証も確信もないけど。
そのまま駅に向かって歩いて行く芳雄さんを尾行していくと、ふと駅の改札口付近で芳雄さんは立ち止まる。
「あ、止まったわ! 由乃ちゃん隠れて隠れて!」
「う、うん!」
芳雄さんを捜している内にまた切り替わってしまい、今度は晴義の姿をした葛葉さんに切り替わっている。ただ、葛葉さんは晴義同様奇行も女装男装もない。カロリーメイトこそボリボリかじってはいたけど、晴義の服を着てわりと普通に振る舞ってくれているのだ。
このことにボクがどれだけ安心したことか……。後で何かおごってあげたいくらいである。
「電車……乗らないのかな」
「乗りそうにないわねぇ……もしかして誰か待ってたりして」
「誰かって……浮気相手?」
だとしたら兼ヶ原さんの嫌な予感が当たってしまったことになる。ボクとしては芳雄さんの潔白を証明したいくらいの気持ちだったんだけど、世の中そう綺麗には出来ていない。
そのまま観察していると、芳雄さんはなんだかキョロキョロと落ち着きがないし、段々ほんとに浮気相手と待ち合わせしているように見えてくる。
そしてそのまま待つこと十分程……祈るようなボクの気持ちを裏切るように、芳雄さんの前に一人の女性が現れた。
「うわぁ……」
年齢は芳雄さんと大体同じくらいに見える。少し遊んでる感じに見える女性で、髪の色もかなり明るい茶髪だ。
「クロだね……」
ボクがそう呟くと、葛葉さんは大体十本目くらいのカロリーメイトを咥えつつ首を左右に振る。
「まだわからないわ。もしかしたらただの友達かも」
なんだかすごく親しそうに話してるし、芳雄さんはちょっと気恥ずかしそうに顔を赤らめている。ボクとしてはやっぱこれアウトなんじゃないかなと思うんだけど、頼まれているのは浮気調査だけだ。現場を抑えて取り押さえるようなことはしなくて良いから、証拠写真だけ撮ってくれれば良いと言われている。
判断するのはもう少し後だけど、とりあえずこの現場だけは写真に収めておこう。
芳雄さんは現れた女性と一緒に駅を出て、町中へ向かって行く。話は随分弾んでいるし、二人共かなり楽しそうに見える。そんな芳雄さんの様子を見ていると、段々イライラしてくる自分に気がついた。
「由乃ちゃん、もしかして怒ってる?」
「うん……まあ。だって兼ヶ原さん、すごく不安そうだったし……。兼ヶ原さんの気も知らないでああやって楽しそうに浮気してるのかと思うと、なんかイライラしてき――――」
言葉を言い終わっていないボクの口に、何故かカロリーメイトが突っ込まれる。困惑したものの、チーズ味のカロリーメイトに罪はない。そのままかじって普通に食べつつ葛葉さんに視線だけで説明を要求する。
「おいしいものを食べると冷静になれるのよ! イライラしてると何か失敗しちゃうかも知れないわ」
「そ、それは確かに……」
「ほらリラックスリラックス。色々心配なのはわかるけど、今は集中しないと」
「……見抜かれてたか」
葛葉さんの言う通りだ。ボクはただ芳雄さんにイラついていただけじゃない。妙に不調な家綱達のことがずっと不安で仕方がないんだ。最初こそボクも少し楽しんではいたけど、神妙な面持ちのアントンや、少しだけ表情を陰らせた晴義、本気で悲しんでいたロザリーのことを考えると不安ばかりが募ってしまう。
でも今は、葛葉さんの言う通り集中しないといけない。とりあえず家綱達については頭の片隅におしやっておき、ボクは改めて芳雄さんに意識を集中させる。
芳雄さんは、女性と共にアクセサリーショップへ入っていく。結構高級そうなアクセサリーの並んでいる店で、ボクと葛葉さんは店の入り口まで近づいていく。
「ま、まさか貢がされるんじゃ……!」
「……中に入ってみましょう。ほら、腕組んで。カップルのフリしましょ」
「え、あ、うん……」
これが晴義だったら憎まれ口の一つでも叩くんだけど、葛葉さんだとそういう気分にはならない。ていうかこれ結構良い。顔の良い晴義の中に食欲以外は無害な葛葉さん……あれ、これ結構満更でもないぞ……!?
少し緊張しながら、葛葉さんと腕を組んで中へ入る。内装はかなりおしゃれで、一人だと入るのに結構勇気が要りそうだ。
さり気なく近づいて見ると、芳雄さんと浮気相手(仮)は随分真剣に話し合いながらネックレスを選んでいた。貢がされている……という感じにはあまり見えない。芳雄さんも色々見ながらかなり真剣に悩んでいる。
「……あ、オチわかったかも」
「え?」
葛葉さんはクスリと笑いながらそう言ったけど、続きを話してはくれない。ボクが少し困惑していると、芳雄さん達はネックレスを選んでレジへと向かっていた。
慌てて芳雄さんの方へ視線を向けていると、不意に組んでいた腕がドロリと溶けたような感触を覚える。
「何か欲しいモンあるか?」
驚いて見上げるとそこには、晴義ファッションのままの七重家綱が立っていた。
「……家綱?」
「やっとまともに出てこられたぜ……。悪い、迷惑かけたな」
家綱なのは見た目だけじゃない、中身もきちんと家綱だ。やっと会えたいつもの家綱に、ボクは思わず安堵のため息をついてしまう。
「それはそうと、はやくなんか選べ。レジ並ぶぞ」
「あ、うん……でも急に言われても……」
急にこんな場所でアクセサリーを選べって言われても選べない。適当に選んでしまおうかとも思ったけど、どれも安くはない。そもそもうちの事務所は経済的には色々まずいし、アクセサリーなんて買う余裕はないのだ。
「金のことなら気にすんな。こないだ勝った分のへそくりがある」
「ちょっ、お前また勝手に……!」
「よーーーしじゃあ俺が勝手に決めちまうからなーーー!」
ボクの言葉を強引に遮って、家綱は近くにあったネックレスを手に取ってレジへ向かってしまう。パチンコに関して言及しそびれてしまったけど、とりあえずボクは家綱についていく。
芳雄さん達の後ろで待つこと数分後。買い終えた芳雄さん達は満足げに去っていく。
「サンキュー、これで紗恵子さんもよろこんでくれるよ」
「……あ」
ふと聞こえた芳雄さんの言葉に、ボクは思わず声を漏らす。
「……ま、そういうこった。葛葉の奴はもう気づいてたみてーだけどな」
ちょっと嬉しそうにそう言って、家綱はボクに顎で芳雄さんを追いかけるように促す。
「一応あいつが家帰るまでは頼む。レジは俺がすませとくよ」
「……うん!」
すぐに頷いて、ボクは店を出ていく芳雄さん達の後を追った。
***
結局、芳雄さんと女性の関係はただの友達だったみたいで、帰りが遅くなっていたのも兼ヶ原さんへのプレゼントを選ぶためだったらしい。結婚記念日が近いって言ってたし、多分そのためのものだろう。
芳雄さんは女性に何度もお礼を言って、店の前で別れてそのまま自宅へと向かって行った。そのまま芳雄さんが自宅に戻るまで尾行を続けたけど、特に怪しい動きは見られない。
「……家綱遅いな。終わっちゃったんだけど」
途中で追いつくものだと思ってたけど、何故か家綱はあのまま姿を現さなかった。流石のアイツも調査の途中でパチンコに行ったりはしないだろうし、電車に間に合わなかったから先に事務所に戻ってるのかも知れない。
スマホ、やっぱりなんとか工面して用意した方が良いよねこれ……。
ボクが事務所に戻る頃には、既に日は完全に落ちていた。案の定家綱は着替えていつものデスクで待っていて、ボクが入ると戻ったか、だなんて軽い調子で言ってくる。
「もう、ちゃんと追いついてよ」
「わりーわりー、ちょっと色々あってな」
「……じゃあ、今日は夕飯家綱が用意してよ。それでチャラにしてあげるから」
「あー……そうだな。じゃ、どっか食いに行くか」
「が、外食……? どんだけへそくりあるの!?」
「ネックレスのお釣りだよ。っつーか適当にファミレスかラーメンだ。そんくらいなら問題ねーよ」
「あ、そっか……。でもへそくりについてはしっかり話してもらうからね」
「へーへー」
適当に答えつつ、家綱はデスクから立ち上がると事務所から出て行く。その背中を、ボクは呼び止める。
「ねえ、家綱」
「……ンだよ?」
「何か……あった?」
「…………ねーよ」
ボクの問いに答えるまで、数秒の沈黙があった。
「家綱普段なら外食なんて言わないじゃん。外食で千円使うくらいならその分打つって前言ってたし」
「あんなモン冗談に決まってンだろ」
「……でも前に自分だけ断食して浮かせた食費で打ちに行ってたことあったよね」
「うッ……」
いやほんと無茶苦茶だったなあの時。
言葉に詰まる家綱だったけど、やがてうるせえ、とだけ言って事務所を出て行く。なんだろう、変な感じがする。うまく言葉に出来ないけど、なんとなく引っかかる。でも考えたところで答えはわからなかったし、ボクはとりあえず家綱についていくことにした。
家綱が選んだ場所は、近所のファミレスだった。事務所から歩いて十分もしない場所にあるというのに、ボクはこの店に入るのは初めてだ。何せうちの事務所は赤字続きだし、外食なんてしている余裕はほとんどない。二人して夕飯がカップ麺だなんてザラだしそれは豪華な方。酷い時はパスタと塩しかない日だってある。
「ほら好きなモン食え。デザートにパンケーキ食っても良いぞ」
「き、気持ち悪いな……何でそんな太っ腹なんだよ」
「田中のおっさんのおかげでボロ勝ちしてな。良い台に座らせてもらったよまったく」
田中のおっさんって……あの田中さんか……。
家綱のパチンコ友達の田中さんには一度だけ会ったことあるけど、よく覚えてない。なんとなく良い感じの人だったかなくらいのことは覚えてるけど。
「家綱は何食べるの?」
「俺は帰ってなんかテキトーに食う」
「って金ないんじゃないか! パンケーキとか言ってる場合かよ!」
「あーもーうるせーな! たまには奢られろってンだ!」
「何その変な逆ギレ……」
「とにかくお前は好きなモン食え! いっつも苦労かけてンだから、ちったぁ礼くらいさせろっての」
そう言い捨てて、家綱はちょっとだけ頬を赤らめて顔を背ける。そんな家綱を見ながら、ボクは呆気にとられてしまっていた。
「……そんなこと考えてたんだ」
「まあ、な……。うちの事務所はもう、お前なしじゃ回らねーんだよ」
そんな風に言われると、なんだか色々こみ上げてきてたまらなくなる。
違うよ。礼をしたいのは、ボクなんだ。いつだって。
「そうかも知れないけど……でも、ボクだって家綱がいないとダメだった。あの時家綱がボクを見つけてくれたから……」
どうすれば良いのかわからなかった。家を飛び出して、和登家から逃げて、何者でもなくなったボクはどこに行けば良いのかわからなかった。このまま見つかって、連れ戻されて、それで終わるんだと諦めていた。
そんなボクを、家綱が見つけてくれたんだ。この広い町の中で、偶然だったとしても。
ボクに居場所と、理由をくれた。
「お、そうだ……ほれ」
感傷に浸るボクに、家綱は小さな小包を手渡す。中に入っていたのは、アクセサリーショップで買ったネックレスだった。
緑色の宝石の入った、銀色のペンダントネックレス。
「悪いな。その内ちゃんと選んだやつ買ってやるよ」
昔ちょっとボクは宝石が好きだったことがあって、色々石言葉とか調べてたし、この宝石も多分知っているやつだ。
「何の石だっけな……確か、マカ……なんとか……いやマラなんとかだっけか」
「……ま、マラカイトじゃないかな……」
「あーそうだそれだそれだ」
ま、ま、ま……マラカイト……!? いやこれ、ボクの知ってる通りだと……
「ど、どうした……?」
突然顔を真っ赤にしてうつむいたボクに、家綱は訝しげな顔を見せる。
「い、石言葉……知ってる?」
「い、いや……知らねえけど……」
……だよね。
なんだかそれを聞くと、ちょっと気が抜けた。晴義ならまだしも、家綱がそこまで洒落たことするとは思えないし。
「お、おいなんだよ! まさか変な石言葉じゃねーだろうな!」
「……教えない。自分で調べて。じゃ、ボクこのカルボナーラにするから」
強引に話を切って、ボクはメニューを広げてカルボナーラの写真を指差す。
「いや教えろって! おい!」
「あとデザートはパンケーキよりもチーズケーキの方が食べたいかな」
「って結局デザートまで食うのかよ……ったく。んじゃ店員呼ぶぞ」
マラカイトの石言葉は、恋の成就や繁栄。他には再会、癒やしや魔除けなんかも。
「……ありがとう、家綱」
「お、おう……」
ボクを見つけてくれて。
ボクを大切にしてくれて。
その後の時間は、なんだか遅いような早いような、言ってしまえば夢みたいな時間だった。結局家綱も一緒にパスタを食べて、あんまりおいしかったのかかきこんでむせたりなんかしていた。
他愛もない会話を沢山して、デザートもゆっくり味わって。事務所に戻ってもずっと喋りっぱなしで。
昨日から感じていた厭な予感も全部消えてしまったみたいだった。
なのに。
次の日、七重家綱は姿を消した。
何の書き置きもなく、ボクの前から。