凪はいつものように、千歌を見つけると笑顔で近づいてきた。
「先輩、今日こそ少しだけ歌ってくれませんか?」
千歌は一瞬心が揺れる。
——聞かせてあげたい……でも、この前の夜のことが頭をよぎる。
「……無理」
凪は少し肩を落としたけれど、すぐに明るく振る舞う。
「そっか……じゃあ、また今度!」
千歌は胸の奥がキュッと痛むのを感じた。
——楽しさと罪悪感が入り混じる。
——どうして、こんなに苦しいんだろう。
数日後、また放課後。
凪は千歌の前に現れ、手を差し出して笑いかけた。
「先輩、今日は少しだけでも話しましょうよ!」
でも千歌はふと父の言葉を思い出す。
「無駄なことに時間を使うな」
「歌なんて将来の役に立たない」
心の中で葛藤が生まれ、千歌は少しだけ距離を置いた。
「……ごめん、忙しいから」
「え……そうですか」
凪は一瞬悲しそうな顔をするが、すぐに笑顔を作る。
「じゃあ、また明日!」
千歌はその背中を見送りながら、胸が締めつけられるのを感じる。
——もっと近づきたい。
——でも、近づけない。
こうして二人の距離は、確実に少しずつすれ違いながら時間は流れてしまう。