「あっははははっ!」
部屋の空気が一気に裂けた。
乾いた高笑いが
まるで刃のように時也の鼓膜を刺す。
目の前の男──アラインは
身体を震わせながら笑い転げていた。
その笑みには
悦楽と狂気と
過去から解き放たれた陶酔が混ざっていた。
「今では、殺してくれて感謝しているよ!」
その声には、微塵も皮肉がなかった。
むしろ
心の底から歓喜しているようにさえ見えた。
「アリアの破壊の炎と
血の再生を繰り返されたおかげで
前世の姿にまで戻れた!」
瞳を見開いたまま
彼は己の細くしなやかな指先を
まるで愛おしむように見つめる。
「ボクがずっと毎晩夢に見ていた姿⋯⋯
ボクがずっとなりたくて
焦がれていた姿になれたんだからさ!」
その言葉と共に
彼はずいと時也へ顔を近付ける。
その動きには
異様なまでの滑らかさがあった。
目の前で歪む笑みは
善悪すら超越した感情を滲ませている。
「殺したかったら、殺せば良いよ」
甘く、囁くように。
けれどその奥底には
静かな挑発が混ざっていた。
「だけどね⋯⋯今のボクは──」
唇が、時也の耳元へと迫る。
吐息が首筋を掠めたその瞬間──
「キミ達と同じ⋯⋯〝不老不死〟だ」
その一言が、引き金となった。
バキ──ッ!
響いたのは、頬を打ち抜く音。
次の瞬間には
時也の拳がアラインの顔面を直撃していた。
「っ⋯⋯!」
アラインの身体が
軋む音を立ててベッドへと投げ出される。
だが、倒れるその最中ですら──
その口元から、笑みが消えなかった。
馬乗りになるようにして
時也が覆いかぶさる。
次の拳が、躊躇いなく振り下ろされた。
アラインの頬が裂け、唇の端から血が滲む。
それでも──笑っていた。
まるで
その痛みこそが
生きている証であるかのように。
「痛い、けど⋯⋯あぁ、やっぱり良いなぁ
この感覚。
生きてるって、実感する⋯⋯」
その呟きは、時也の怒りに油を注いだ。
「時也様っ!! お止め下さいッ!!」
鋭い声と共に、部屋の扉が勢いよく開く。
飛び込んできたのは
幼子の姿をした青龍と
その後ろから駆け込んできたソーレンだった。
「おい!止めろって時也!
どうしたってんだ、転生者を殺す気かよ!」
ソーレンが駆け寄るなり
時也の腕を背後から羽交い締めにする。
だが、時也の怒りは理性を超えていた。
張り詰めた仮面が崩れ去り
感情の奔流が顔に表れていた。
「それでも、今俺が殺してやる!!」
その声には
これまで誰にも
見せたことのない憤怒があった。
言葉遣いも、いつもの礼節など欠片もなく
ただ本音だけが剥き出しにぶつけられていた。
「くそっ⋯⋯!」
ソーレンは焦り、咄嗟に重力を操作した。
時也の身体が重く引き倒され、膝をつく。
床にぴたりと縛り付けられ
両腕も動かぬよう
見えない重力の帯が彼を押さえつけていく。
「落ち着けって、バカ!!」
ソーレンの声には
怒りではなく、切実な懇願が混ざっていた。
ベッドの上で口元を拭うアラインの唇は
なおも血で赤く濡れたまま。
だがその笑みは──
変わらず歪で、美しかった。
「残念だったねぇ、時也。
ボクを殺せなくってさぁ⋯⋯?」
その挑発的な声は
床に押さえ付けられている時也の胸に
針のように突き刺さる。
だが
それに反応したのは時也ではなかった。
「うるせぇな、お前⋯⋯少し黙れや」
低く唸るような声と共に
ソーレンの手がアラインの首元に伸びる。
そのまま
強く、鋼のように喉元を掴み上げた。
ぐ、と音がした。
喉が圧迫され、アラインの身体が少し浮く。
それでも、その唇には──
笑みの、まま。
苦痛に歪むどころか、瞳を細め
嬉しそうに喉を鳴らす仕草さえ見せる。
「⋯⋯俺、お前の顔に⋯見覚えがあるぞ?」
思わず、ソーレンの手が緩む。
アラインの身体がベッドに落ちると同時に
彼は激しく咳き込んだ。
だが、ソーレンの目は
ただならぬ緊張に包まれていた。
眉間に深い皺を刻みながら
何かを必死に思い出そうとしている。
「⋯⋯俺と、レイチェルを⋯⋯監禁した?
でも⋯⋯いつだ?
くそ!なんか、ハッキリしねぇ!」
その苛立つ声に、アラインは咳の合間から
くつくつと笑いを漏らした。
「⋯⋯くくっ⋯⋯あぁ、監禁してやったよ。
時也を含め、三人ともね」
「っ⋯⋯!」
「その記憶を使って
アリアを屈服させたのさ」
その声には
まるで自慢話でもしているかのような
下劣な愉悦が滲んでいた。
床に縛り付けられていた時也の鳶色の瞳が
見開かれる。
思い出すのは──
アリアを見つけたあの瞬間。
砂嵐の走るモニターに
必死に手を伸ばしていた彼女の姿。
そして、ライエルが言っていた言葉──
自分の能力は〝記憶〟に関するものだと。
アリアの胎内か〝彼〟が現れた瞬間
奇妙な既視感があった。
今までの転生者とは
明らかに違う違和感──
そして
時也自身にもあるはずの記憶が
綺麗に〝抜け落ちていた〟こと。
(⋯⋯まさか、俺も──)
あの時着ていた着物。
所々が裂け、血に染まっていた。
だが、自身にはその傷の記憶がない。
そこに、すべてが繋がった。
アリアを屈服させる為にアラインは
時也、ソーレン、レイチェル
三人を監禁し、その記憶を利用して
まるで──
〝今監禁されているように
モニターに映して〟アリアに見せたのだ。
彼女のことだ。
大切な者たちが囚われ
苦しむ姿を見せられれば
自分がどれほど傷付こうとも
⋯⋯逃げ出さない。
だからこそ──
あれほどまでに、凄惨な姿になっていた。
「⋯⋯外道が──っ!」
時也の喉から迸る怒声は
今までのどんな叫びよりも
深く、苦しいものだった。
それは、他者への怒りだけではない。
自分自身への怒り──
アリアの危機に気付けなかった
愚かさへの怒り。
重力に縛られ
身動きひとつ取れないその体勢で
それでも、彼は拳を握り締めた。
そして──
床を叩いた。
痛みなど感じぬほどに、拳を振り下ろす。
その音は、床材に反響しながら
部屋の空気を震わせた。
抑えきれぬ憤りと後悔が
音となって、吐き出されていた。
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