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「嘘だ⋯⋯嘘だ嘘だ嘘だ!
なんだよ、それ!」
震える声が、リビングの静寂を鋭く貫いた。
今まで堪えていた涙が
一気に堰を切ったように
アースブルーの瞳から流れ落ちる。
それはライエルの涙だった。
だが、次第に──
その口元が、ゆっくりと歪んでいく。
唇の端が引き攣り
瞳が大きく歪むように見開かれ始めた。
「⋯⋯嘘だろ⋯⋯?」
テーブルに肘をつき、額を押さえ
──アラインが現れた。
手は震え、指が髪を掻き毟る。
だが
己の内側から溢れ出す何かを抑えられず
ただ狂おしさに顔を歪めていく。
「ねぇ⋯⋯嘘だろ?
ボクはずっと⋯⋯
キミが、アリアと不死鳥を
憎んでいると思ってたんだよ⋯⋯っ!」
語尾が震える。
その声には、怒りもある。困惑もある。
けれど、最も根深いのは──
裏切られたような絶望だった。
アリアは何も言わない。
ただ静かに、アラインの言葉を聞いていた。
深紅の瞳に
怒気も感情も浮かべることなく
彼女はただ、その吐露を見つめていた。
「共に戦おうって⋯⋯なんだよ⋯⋯!
なんなんだよそれ⋯⋯!」
アラインの肩が震え、息が荒くなる。
「ボクは⋯⋯
キミの怨みを晴らしてあげたかったんだ!」
そう叫ぶ声は、かすれていて、切実だった。
毎晩、夢で見てきた。
炎に焼かれ
涙を流しながら腕を伸ばす黒髪の青年──
自分の〝前世〟⋯⋯
その夢の中でアリアに焼き尽くされる直前
彼は何かを言おうとしていた。
アラインは
ずっとその言葉を、怨嗟だと信じていた。
アリアに憎しみを抱き
不死鳥に呪いの言葉を投げつけながら
焼かれたと。
そうでなければ
あの姿に
絶望に染まった瞳に説明がつかなかった。
彼は信じていた。
その憎しみを代弁することが
自分の存在理由だと。
不死鳥を討てば
自分の背に刻まれた呪いも
愛を知らず虐げられてきた人生も
そして──
前世の無念も、救えると信じていた。
──何故ですかっ!
何故⋯⋯我々も共に闘おうとは
仰っていただけないのですか!──
突如、脳裏に響く、かつての〝本当の声〟
ライエルの叫びが
記憶の奔流となって
アラインの内に流れ込む。
それは
悲しみと祈りに満ちた言葉だった。
「っ⋯⋯あああああッ!!」
叫びと共に
アラインの拳が、テーブルを打ちつけた。
乾いた衝撃音が、食器を揺らし
木目の天板に白い痕を残す。
その拳は真っ赤に染まり
血が滲む寸前まで力が込められていた。
「復讐のために⋯⋯!キミのために⋯⋯!
ボクは⋯⋯アリアを苦しめて⋯⋯
跪かせて⋯⋯あの不死鳥を⋯⋯っ!」
語尾が崩れ、声が掠れる。
喉が裂けそうだった。
でも
それでも吐き出さずにはいられなかった。
拳を握ったまま
アラインの肩が上下に波打つ。
拳を握り締めたまま
浅くて苦しい呼吸を繰り返すその姿は
まるで
崩れそうな瓦礫の上に
蹲っているようだった。
そこにいたのは──
誰かのためにと思い込んで
誰にも愛されず、誰にも報われず
それでもその〝誰か〟を想って足掻いた
ただの、哀れな⋯⋯子供。
憧れに歪められ、愛を知らぬまま
記憶に囚われ、現実をねじ曲げ
ようやく真実に触れたその刹那
彼の魂は
自らの〝過ち〟の重さに押し潰されていた。
アラインの肩が震えていた。
その背に──
そっと、ひとつの手が触れる。
細く白い指先が
彼の黒髪を掬うように撫でた。
「──⋯っ!」
瞬間、アラインの肩がビクリと跳ねる。
まるで、触れられることなど
想定していなかったかのように
思わず身体を引く動きを見せた。
けれど、アリアの手は止まらなかった。
彼の拒絶を恐れもせず
ただ静かに、穏やかに、髪に触れる。
指先は柔らかく、温かく
どこまでも優しかった。
それは──
彼がこれまで
人生で一度も受け取ったことのなかった
〝無償の温もり〟だった。
「⋯⋯お前達が⋯⋯
今世で凄惨な人生を送っているのは⋯⋯」
アリアの声は、穏やかで、澄んでいて──
しかし
確かな罪を背負った者の重みがあった。
「⋯⋯魔女狩りに加担してしまった
私の所為だ。
どれだけ怨まれても⋯⋯
仕方の無い事を、私はしたんだ」
彼女の指が
ゆっくりとアラインの髪を撫でる。
耳元から後頭部へと
指先が優しく滑るたびに
彼の呼吸が、少しずつ、変わっていく。
「⋯⋯⋯⋯怨むのなら、私だけに」
その一言に
アラインの胸が
ぐしゃりと潰れたように痛んだ。
不死鳥に前世を殺された者たちは
アラインだけではない。
ソーレンも、レイチェルも
名前すら残らなかった数多の魔女たちも──
今世で孤独と絶望の道を歩んできた。
けれど、その苦しみの全てを
アリアは──
ーたった一人で背負おうとしていたー
「⋯⋯アライン、ライエル」
彼女はその名を、等しく呼ぶ。
前世の彼も、今世の彼も
同じように存在を認める言葉だった。
「遅くなって、すまない。
私と共に⋯⋯不死鳥と戦ってくれないか?」
その言葉は、重く
しかし確かな救いだった。
一瞬、アラインの動きが止まる。
目を見開き
ただ信じられないようにアリアを見上げた。
深紅の瞳は、彼を拒まない。
嘘でも、演技でもなく──
確かに
彼を〝仲間〟として見ている瞳だった。
「⋯⋯アリア⋯⋯」
声が震えた。
もはやアラインという
〝敵〟の顔ではなかった。
それは
ただ誰かに必要とされたかった
幼い少年のような顔だった。
次の瞬間、彼は堪えきれず
椅子を蹴るように立ち上がると
アリアの胸にしがみついた。
「アリア⋯⋯」
その声は、涙に濡れ、嗚咽で途切れた。
「⋯⋯アリア⋯⋯っ!」
繰り返す名を呼ぶその声は
あまりに切実で──
まるで
生まれて初めて
自分の名を呼ばれた子供のように
彼はただ、泣き続けた。
その内側で
ライエルの意識が静かに浮かび上がる。
彼の魂もまた、静かに涙を流していた。
(⋯⋯アリア様⋯⋯
そのお言葉、ずっと⋯⋯
お待ちしておりました)
その声が、アラインの内に届く。
二つの魂が重なった瞬間──
はじめて、彼は赦された気がした。
アリアの腕が
しっかりと彼の背を抱きしめる。
その手は
どこまでも変わらず、温かかった。