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PiPiPiPiPiPiPiーー
今日も、僕のアラームが三人の目覚ましになる。
12月の朝は、毎日が冷蔵庫の中にいるみたいで、布団から出るのもひと苦労だ。
まずは枕元のリモコンを手に取り、いつものようにエアコンのスイッチをピッと押す。
すると、ブォー…という音とともに、少しずつ部屋の空気が動き出す。
目は覚めても、まだ誰も布団からは出ようとしない。
ぬくもりに包まれながら、寝ぼけ声でぽつぽつ交わす会話…
のんびりとした、他愛ないやりとりが、僕は結構好きだった。
「涼ちゃん今日何限からー?」
「三限からだけど、勉強したいから朝から行こうかなぁ。二人は一限から?」
「「うん。」」
「あははっ、声被ったねぇ。…じゃあ、二人と一緒に出ようかな〜。」
「ぼく、今日、豚汁定食食べるって決めてるから。」
「なに急に。」
「まだ朝ご飯も食べてないのにねぇ。」
「おれは鍋焼きうどん。」
「また?」
「じゃあ、僕は冬野菜カレーにしよっと。」
「ふふっ、涼ちゃんは冬もカレーなんだね。」
左を向くと、布団の中から顔だけ出して、目をしょぼじょぼさせてる元貴。
更にその向こうには、顔は見えないけど、元貴の顔越しにぴょこぴょこと跳ねる寝癖をチラつかせる若井。
そんな二人が本当に愛おしくて、自然と笑みが溢れてしまった。
・・・
今日も三人で僕の作った不格好な朝ご飯を食べて、三人並んで大学へ行く。
午前中は図書室で勉強して、また三人で食堂でお昼ご飯を食べて午後は講義を受ける。
そして、講義が終わったあとは、今度は三人で図書室に行って、レポート作成に取り組む。
そんなふうに、毎日がほとんど同じように過ぎていく。
一見すれば、代わり映えのない、ちょっと退屈そうな繰り返し。
でも、その日常の中には、いつも二人がいて…
だから、同じ日なんて一日もなくて。
毎日は楽しくて、愛おしくて、こんな日々がずっと続けばいいのにって、そう願ってしまう。
…ただ、最近。
ほんの少しだけ。
本当に、僅かだけど。
僕たちの何かが、変わり始めている気がしていた。
元貴がお風呂に入り、リビングに残ったのは僕と若井の二人だけ。
その静けさに背中を押されるようにして、僕は思い切って、ずっと喉の奥で引っかかっていた言葉を口にする事にした。
「若井ってさぁ…」
もしかしたら……いや、きっと、“何か”を変えたいと思っていたのかもしれない。
“今”の僕たちの関係は、とても心地よくて、愛おしくて。
出来る事なら、このまま時間が止まればいいのに、って願ってしまうくらいには、十分すぎるほど幸せだった。
だけど、ほんの少しずつだけれど、確かに変わり始めている空気を、もう見て見ぬふりは出来なかった。
気づいてしまった以上、もう戻れないのだと思う。
「なにー?」
スマホを見ていた若井が、軽い声で応じながら視線をぼくに向ける。
その無防備な表情に、ほんの少しだけ罪悪感がよぎる。
「元貴のこと、好きだよね?」
何気ない会話の一つみたいに、ぼくはなるべくいつもの調子でそう尋ねた。
けれど一瞬、若井の目が揺れたのをぼくは見逃さなかった。
「…まぁ、友達だし……好きだよ。」
少し詰まりながら返された言葉。
その曖昧な言い方に、ぼくがどういう意味で聞いているか、ちゃんと分かってるんだろうなと思った。
「“友達”ね。…ぼくは、“そういう意味”で好きだよ、元貴のこと。」
胸の奥では、心臓がバタバタと煩く跳ねてる。
だけどそれを隠して、年上らしく、涼しい顔を装った。
余裕のあるふりに、少し煽るような態度…
その方がきっと若井は本音を言ってくれる…
そんな気がした。
思った通り、今度ははっきりと、若井の瞳が揺れたのが分かった。
「……若井は?」
まるで、何でもない雑談の続きを促すような声で、けれど逃げ道を塞ぐように、ぼくは若井を見つめた。
若井は、何も言わずに僕を見ていた。
スマホを持ったまま、ぴくりとも動かず、ただじっと。
その間に僕の心臓は、ひとりで勝手にバクバクと音を立てていた。
「…おれも…」
少しの沈黙の後、若井が何かを決意したような顔で口を開いた。
「元貴の事が好きだよ…“そういう意味”で。」
その声には、わずかな緊張が混じっていた。
けれど、その瞳はまっすぐで、どこまでも誠実だった。
「だよね〜。」
「ちょ、だよね…って。」
そんな真剣な様子な若井とは真逆で、僕はいつもと変わらない調子でそう返した。
さっきまでは、それを繕っていたけど、今はなぜか、若井の返事を聞いた瞬間に、胸の中にあった緊張がふっとほどけた気がした。
そんなぼくの様子を見て、若井は思わず小さく眉をひそめた。
『……え、それだけ?』 そんな無言の戸惑いが、若井の目に浮かんでいるのが分かった。
今まで若井が元貴を見る目や、些細な言動の端々に滲む気持ちを、僕は見ていたから。
改めて言葉にされても、嫉妬も、焦りも、不思議と何も湧かなかった。
それよりも、気持ちを打ち明けてくれた方が嬉しかったのかもしれない。
まぁ、打ち明けるように仕向けたのは僕なんだけどね。
「困ったねぇ。」
ぽつりとそう呟くと、若井が『今度は何を言い出すんだろう』と言う顔で少しだけ眉を寄せながらこちらを見た。
「え?」
「だって、僕、元貴の事好きだけど…若井も大切な友達だからさぁ。 」
そう言って笑うと、若井は一瞬だけ驚いたような顔をした。
でもすぐに、照れくさそうに目をそらして、ふっと口元を緩めた。
「そうなんだよなー。そこが問題だよね。」
そう言いながら、若井は少し肩をすくめて、ニッと笑った。
さっきまでの張りつめた空気は、もうどこにもなかった。
「…ほんと、涼ちゃんってなんか調子狂うんだよねー。」
若井はソファーの上でさっきまで緊張で固まっていた身体を解すように、大きく伸びをしながらそう言った。
「えぇー!辛辣!」
「あははっ、違う違う。いい意味でだよ?」
「本当に〜? 」
「なんかさ、もっとマイナスな気持ちになるかと思ってた。」
「ん?」
「涼ちゃんも、元貴が好きだって聞いたらさ。」
「あ〜なるほどねぇ。」
「でも、涼ちゃんがなんかゆるすぎてさー。なんか、思ってたのと違ったわ。」
「もっとバチバチになるかと思ってた?」
「うん。」
「あははっ、僕も。実はさっきまでめっちゃ緊張してた。」
「まじ?あんな余裕そうだったのに?」
「そう、必死に余裕ぶってたの。」
「なにそれ、ダサー!」
「ひどい〜!」
僕達はいつもの僕達だった。
気付けばいつもみたいに冗談を言い合って、笑い合って。
ライバル同士なはずなのに、そこには新しい絆みたいなものが生まれていて。
いつもの僕達ではあるけど、明らかに1歩…踏み出せたような気がしていた。
ガチャーー
「お風呂上がったよー。…て、なんか楽しそうだね。」
リビングの扉が開いて、タオルで髪を拭きながら元貴が入ってきた。
湯上がりのほんのり赤い頬に、少し不思議そうにしている表情。
ぼくと若井は、顔を見合わせて思わず吹き出した。
「いやー、うん。ちょっとね。」
若井が曖昧に笑いながら言うと、元貴は首を傾げて『なになに?』と近づいてくる。
何も知らない無邪気さが、今はちょっと眩しい。
「秘密の男子トークしてたの。」
僕がそう言うと、元貴は『えー、ずるい!』と少しふくれっ面をして、若井の隣に腰を下ろした。
その瞬間…
さっきまでふざけ合っていたぼくの心が、ふっと静かになる。
何気ない時間。
だけど、きっともう、三人の時間は“前と同じ”じゃない。
「じゃ、おれもお風呂入って来よーっと。」
若井はそう言うと、むくれてる元貴を残し、一瞬僕に目配せして、『元貴のお守りよろしく』と言うような少し悪戯っぽい笑みを見せると、リビングを出ていった。
部屋が静かになると、元貴がトコトコと僕の方へやってきた。
「ねえ、なに話してたのー?」
どうやら仲間外れにされたのが気に食わなかったらしい。
逃げた若井を諦めて、僕に照準を定めたようで、そう言いながら後ろからふわりと抱きついてくる。
その甘え方がいかにも元貴らしくて、つい笑ってしまう。
「ん〜?そうだねぇ。元貴が好きって話をしてたんだよ〜。」
いつもの冗談めいた感じで、僕がそう言うと、元貴ははぐらかされたのかと思ったのか…
「うぅーっ、もういい!意地悪!髪の毛乾かしてくる!」
とちょっとプリプリしながら、僕の腕をぱしっと叩いて立ち上がる。
そのまま足早に部屋を出て行ったけど──
ちらりと見えた、耳の赤さ。あれって、
照れてたってこと、でいいのかな?
そうだと嬉しいんだけど。
「ふふっ、本当なのに。」
ぽつりと呟いた声は、誰にも届かない。
でも、それでよかった。
この気持ちが、今日を境に少しだけ近づいた気がしていたから。
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