バルニエ侯爵邸の敷地は、カルヴェ伯爵邸の二倍はあろうかというほど広かった。
爵位が上だから、という理由もあるが、それだけではない。かつて騎士団を抱えていたことや、貿易で財を成したから、とも言われている。
それ故、主人が住まう屋敷、使用人の宿舎とは別に、大きな別棟がある。騎士団があった頃の宿舎だ。
『アルメリアに囲まれて』では、マリアンヌの一時避難場所になっていた建物でもある。
さらに、侯爵ルートのエンディング後は、放浪癖がある養父(前バルニエ侯爵)が戻った際の住まいとして使用されていたらしい。
その反対側にあるのが、今、私たちの目の前にある広大な庭園。ここでよく、海外の客人をもてなしていたようだ。
今はバルニエ侯爵自身が、海外、もしくは国内を渡り歩いているため、宝の持ち腐れとなっていた。
なんて勿体ない。この見事なローズガーデンに、人を呼ばないなんて。今も尚、大事に管理している庭師がかわいそうだ。
「わぁ、なんて素敵なの。レリア嬢のドレスは、このバラに合わせたものだったのね」
「そうなんです。マリアンヌ嬢なら、きっと気づいてくれると思っていました。実は、ここに来た当初、何色が好きか聞かれたのでピンクと答えたら、数日後にはもうこのような状態になっていたんです。だから是非、見ていただきたくて」
レリアがそう自慢したくなるのも無理はない。花壇、生垣、アーチに至るまで、バラで埋め尽くされていたからだ。
よく見ると、庭園内のバラはピンクだけではなかった。
白と赤で作られたグラデーション。さらに葉の緑色を多めに使い、バラをより一層、映える演出もされていた。
「ありがとう、レリア嬢。何だか贅沢している気分だわ。この庭園を私たちだけで見るなんて」
「でしたら、もっと味わってください。庭園内に、お茶の準備をさせていますから」
私はレリアに手を引かれて、ローズガーデンの中へと誘われた。
ピンク色のバラのアーチを抜け、白いバラの生垣に挟まれた小道を進む。すると目の前に、噴水が見えてきた。
近くにはベンチがあり、アプリコット色のバラの花壇が、その周辺を彩る。
これがただの散歩なら、ベンチに座って、バラや噴水を眺めたいところだわ。
けれど、レリアの歩みは止まらない。噴水を抜け、再びバラのアーチを潜った。今度は赤いバラ。
そうして目的地の東屋へと私たちは辿り着いた。が、どうやら先客がいたらしい。人影が見えたのだ。
あのシルエットは……。
「そういえばレリア嬢。侯爵様はいらっしゃるの?」
「いいえ。本当なら紹介したいところなんですが、養父は普段から邸宅にいない方でして。すみません」
「ううん。気にしていないわ。そうなると、あそこにいるのは誰かしら」
疑問を口にすると、後ろにいたエリアスが横に現れた。私の護衛を数年間していたからか、反応が早い。
「あれは、フィルマン様?」
レリアは数歩前に出て、東屋にいる人物の名を呟いた。けれどその声は、私たちの耳にも入るほど、大きいものだった。
「あの、マリアンヌ嬢。フィルマン様がご一緒でもよろしいでしょうか」
「えぇ。構わないわ」
「ありがとうございます。私、今日のことが嬉しくて、思わずフィルマン様に話してしまったんです。その、フィルマン様は我が家への出入りが自由だから、多分、気になってやって来たんだと思います」
つまり、アポイントメント無しってことかな。
「養父が邸宅に、いえ首都にいることが少ないので危ないから、とフィルマン様が。私も邸宅の者たちも安心するので、このような形になってしまったんです」
「確かに、使用人がいるといっても、危険かもしれないわね。護衛とか雇わないの?」
エリアスに視線を向ける。
そういえば、王子ルートの時、マリアンヌはどこで避難していたんだっけ。やっぱり王宮だったような気がする。
なら、レリアも王宮に住めば……。
そっか。別にレリアは、フィルマンの婚約者になるために、バルニエ侯爵の養女になったわけじゃないから、その必要がないんだ。
バルニエ侯爵が求めているのは、フィルマンの婚約者ではなく、家督を継ぐ者。だから、王宮ではなく、侯爵邸にいるのかもしれない。
「勿論、フィルマン様が付けてくださいました。それでも、そんな理由で来て下さるんですよ」
「まぁ!」
ごちそうさま。うん、レリアは順調にフィルマンを攻略しているみたいで安心した。
「マリアンヌ嬢。先にフィルマン様と話をしてきていいですか?」
「えぇ。是非、行って差し上げて」
私の許可を得ると、レリアは小走りで東屋にいるフィルマンの元へと向かった。
「やっと邪魔者が消えたか」
「邪魔者って、ここはレリアの家なのよ。私たちは招待されている側で。それも、バルニエ侯爵邸を観光しに来たんじゃないんだから」
「観光。……向こうの話が終わるまで、庭園を散策しに行かないか?」
口では尋ねていたが、エリアスは行く気満々のようだった。私の腰を引き寄せて、目で促してくる。
「ダメよ。ほら、向こうだって早々に、話がついたみたいだし」
レリアが東屋から、大きく手を振って合図していた。その姿に、エリアスは舌打ちをする。
私はそれを聞かなかった振りをして、数歩前に出た。
「行こう、エリアス」
振り向いて、今度は私がエリアスの腕を取る。けれど引っ張っても動く様子はない。
もしかして、レリアとだけ話をしていたのが、気に食わなかったのかな。それとも、エリアスじゃなくて、レリアを頼ったことに腹を立てている? う~ん。どうしたらいいんだろう。
選択肢を出している時間もないし。ええい。恥ずかしいけど、これならどうだ。とばかりに私は、エリアスの腕を取ったまま、横へ移動して身を寄せた。
「っ!」
「エ、エスコート、して」
目を瞑り、絞り出すような声を出す私の顔は、きっと真っ赤になっていたと思う。
「マリアンヌ」
名前を呼ばれて見上げると、申し訳なさそうな顔をしたエリアスが目に入った。
「ごめん。もう大丈夫だから行こう」
「うん。あと私の方こそ、ごめんなさい」
蔑ろにしたつもりはないんだけど、結果的にそうなってしまった。
これからは、こういう場面が増えると思う。気をつけないと。
エリアスの歩に合わせながら、肝に銘じた。
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