テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
169
2,146
4話
さらに数日後。
現場の空気は、はっきりと変わっていた。
誰も口には出さないけど、全員が気づいている。
「……勇斗、まだ来てないの?」
吉田仁人の声は、できるだけ平静を装っていた。
「うん」
太智が短く答える。
「連絡は?」
「つかない」
その一言で、全部伝わる。
仁人は、ゆっくり息を吐いた。
「……そっか」
それ以上は聞かなかった。
聞いたら、引き返せなくなる気がしたから。
でも——
「……もう無理だわ」
ぽつりとこぼれる。
「え?」
「待ってるの、無理」
視線を上げる。
その目は、もう迷っていなかった。
「行く」
太智は一瞬だけ驚いた顔をしたが、すぐに頷いた。
「……そっか」
止めなかった。
止める理由がなかった。
「場所、分かる?」
「分かる」
即答だった。
「じゃあ」
太智は軽く肩を叩く。
「行ってこい」
「……うん」
短く返して、仁人はその場を離れた。
玄関の前に立つ。
見慣れたはずのドアなのに、やけに遠く感じた。
「……」
一度、深呼吸。
それでも足は重い。
怖い。
でも——
コンコン、とノックする。
「……勇斗」
返事はない。
もう一度。
「勇斗、いる?」
静寂。
心臓の音だけがやけにうるさい。
「……入るぞ」
小さく呟いて、ドアノブに手をかける。
鍵は、かかっていなかった。
ゆっくりと開ける。
「……っ」
中は、暗かった。
カーテンは閉め切られていて、空気も重い。
「勇斗……?」
一歩踏み入れる。
足元に、何かが転がっている。
ペットボトル。空。
部屋は荒れてはいない。
でも、止まっている感じがした。
「……どこだよ」
喉が乾く。
奥へ進む。
そして——
「……っ!」
見つけた。
ベッドの横、床に座り込んでいる人影。
「勇斗……」
近づく。
反応が、ない。
「おい」
しゃがみ込む。
顔を覗き込んだ瞬間、息が詰まった。
「……なんだよ、これ」
別人みたいだった。
目は虚ろで、焦点が合っていない。
頬はこけて、唇も乾いている。
「勇斗!」
肩を掴む。
びく、と小さく反応した。
それだけで、少しだけ安心する。
「……仁人……?」
かすれた声。
それでも、名前を呼ばれた。
「そうだよ」
思わず強く言う。
「なにしてんだよお前!」
声が震える。
怒りなのか、恐怖なのか、自分でも分からない。
「こんな……っ」
言葉が詰まる。
「……来るなよ」
ぽつりと、佐野が言う。
「は?」
「来るなって……言っただろ……」
目を逸らす。
その仕草が、逆に苦しい。
「言われてねぇよ」
即座に返す。
「勝手に消えただけだろ」
「……」
沈黙。
「理由、聞きに来たんだよ」
まっすぐ言う。
「言えないなら、それでもいいから」
「……」
「でも、このままは無理だ」
声が強くなる。
「お前が壊れてんの見て、何もしないとか無理」
その言葉に、佐野の肩がわずかに震える。
「……関係ないだろ」
「あるよ」
即答。
「俺の問題だって言ったよな」
「……っ」
「じゃあ、その俺に俺が関係あるなら、関係あるだろ」
沈黙が落ちる。
重い、重い沈黙。
やがて——
「……無理なんだよ」
佐野が、絞り出すように言った。
「……なにが」
「全部……」
声が崩れる。
「もう……無理なんだよ……」
「だからなんで——」
「来るなって言ってんだろ!!」
突然の叫び。
びく、と空気が震える。
「……っ」
仁人は一瞬言葉を失う。
佐野の目が、初めてしっかりとこちらを向く。
その目は——
恐怖で、いっぱいだった。
「……お前に何かあったら……」
震える声。
「俺、無理だから……」
「……は?」
「耐えられねぇんだよ……!」
息が乱れる。
「もう……無理なんだよ……!」
その言葉で、全てが繋がる。
「……誰かに、何か言われたのか」
静かに聞く。
佐野の呼吸が止まる。
「……」
沈黙。
それが答えだった。
「……俺に危害が及ぶって?」
「……っ」
わずかに目を逸らす。
否定しない。
「……それで、別れたのかよ」
震える声で言う。
「……」
「ふざけんなよ」
低く、押し殺した声。
「一人で抱え込んで、勝手に終わらせて」
「守るためだ……!」
「守れてねぇだろ!!」
叫ぶ。
「お前、こんなんなって!」
「……っ」
「俺だって、ボロボロだわ!!」
息が荒くなる。
「それが守るかよ……!」
沈黙。
そして——
ぽろ、と。
佐野の目から、また涙が落ちた。
「……だって……」
声が崩れる。
「怖いんだよ……」
子供みたいな声だった。
「お前が……いなくなるの……」
仁人の胸が締め付けられる。
「……じゃあ離すなよ」
静かに言う。
「そばにいろよ」
「無理だって……!」
「無理じゃない」
一歩近づく。
「一人で無理なだけだろ」
「……」
「だったら二人でやれよ」
はっきりと言い切る。
「逃げんな」
その言葉に、佐野の呼吸が止まる。
「……俺は逃げない」
「……っ」
「お前がどんな状況でも」
目を逸らさない。
「一緒にいる」
沈黙。
やがて——
「……なんで……」
佐野が、震える声で言う。
「なんでそんなこと言えんだよ……」
「好きだからに決まってんだろ」
即答だった。
「……っ」
涙が溢れる。
止まらない。
「……俺……」
声が崩れる。
「……もう無理だと思った……」
「思うな」
「……っ」
「勝手に終わらせんな」
一歩、さらに近づく。
そして——
そっと、抱き寄せた。
「……一緒にいろ」
震える体が、腕の中に収まる。
最初は抵抗するように力が入っていた。
でも——
「……っ、……ぁ……」
次の瞬間、完全に崩れた。
「……仁人……っ」
しがみつく。
子供みたいに。
「……こわかった……」
「うん」
「ずっと……」
「うん」
「一人で……っ」
「うん」
背中を撫でる。
ゆっくり、何度も。
「もう一人じゃねぇよ」
その言葉に、
佐野勇斗は、声を上げて泣いた。
これまで抑え込んできた全部を吐き出すみたいに。
暗闇の中で、
ようやく——
少しだけ、光が差し込んだ。
𝓉ℴ 𝒷ℯ 𝒸ℴ𝓃𝓉𝒾𝓃𝓊ℯ𝒹
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!