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放課後、校門を出ると夕暮れの色が街を淡い色に染めていた。赤く溶けた陽射しがアスファルトをじんわりと温め、吹き抜ける風が昼間の熱をさらっていく。
『氷室に似合うのは、俺だと思わない?』
『ドジばっかの奏より、ずっとしっくりくるだろう?』
額を床に擦りつけて、俺に謝ってくれた健ちゃん――それなのに断片的に、健ちゃんの声が耳の奥で反響する。消そうとしても、胸の奥のどこかに突き刺さったままの言葉たち。歩くたびに、その棘が小さく疼く。
氷室と並んで歩きながらも、俺の心は落ち着かなかった。胸の奥に澱のように残っていた不安が、まだ完全には消えない。
「……奏、今日はなんだか静かだな」
氷室が歩みを緩め、俺の横顔を覗き込む。その穏やかな口調と注がれる優しさに満ちた眼差しで、心の奥の堰が少し緩んだ。
「蓮……ちょっと話したいことがあるんだ」
自宅に向かう足の方向を変えて、近くの小さな公園に歩を進めた。ふたり揃ってベンチに腰を下ろすと、街灯がぽつりと灯りはじめる。
深呼吸を数回し、しばらく言葉を探してから、俺はゆっくりと口を開いた。
「今日の昼休みに、健ちゃんと話をしたんだ。……俺を中学受験に誘った、本当の理由を聞いた」
氷室は黙って頷く。その沈黙が、俺の言葉を促してくれるようだった。
「健ちゃん、俺のこと……見下してたんだって。ドジで成績も悪くて、笑ってごまかす俺を“下”だと思ってたって。でも……蓮の隣にいる最近の俺を見て、健ちゃんは焦ったんだって」
「神崎が図書室で言ってたことと、なんだか矛盾している気もするが……」
吐き出すたびに、胸の奥の傷口がひりつく。それでも氷室の目が俺から逸れないおかげで、最後まで言うことができた。
「健ちゃんにそんなこと言われて……改めて思ったんだ。見た目と成績もあまり良くなくてドジな俺が、このまま蓮の隣にいてもいいのかなって」
言ってしまった瞬間、胸の奥がきゅっと痛んだ。事実を聞いたことで、氷室に嫌われたらどうしよう――そんな臆病な自分の声が、心臓の鼓動と一緒に鳴り響いた。それはまるで自分の弱さを表しているみたいになり、ものすごく嫌になる。
沈黙のあと、氷室は小さくため息をついた。
「奏……君は本当に、自分を低く見積もるのが得意だな」
その声音は優しく、けれど芯が通っていた。
「俺は、奏だから隣にいるんだ。成績でも見た目でもなく……君の全部が、俺にとって大事なんだ」
言いきった氷室と視線がぶつかる。そこには一片の迷いもなかった。曇りのない瞳が、その証拠に見える。
「誰がなにを言おうと、君の価値は変わらない。少なくとも俺の中ではな」
胸の奥にあった澱が、じわりと溶け出した。涙が零れそうになるのを、必死になって堪える。
「……ありがとう、蓮」
その言葉は少し震えていたけれど、心からのものだった。氷室はなにも言わずに、そっと俺の頭に手を置き、彼の胸に顔を埋めさせた。
夕暮れの冷たい風が、俺たちの間を優しく通り抜けていく。秋の風が街を抜けるたび、俺の心にも少しずつあたたかな光が差し込む。――氷室となら、この先どんな季節も歩いていける気がした。