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ガトラルの王宮ではこの日、国王が三つある騎士団の団長らを集め、定例である団長会議を行っていた。
広い会議室に置かれた円卓では四人が決まった席に着き、その後ろにはそれぞれの補佐などが立っている。
“侯爵”ではあるがまだ団長ではないグラスは、もちろん席には着いていない。陸上師団の現団長である、父・フランの後ろに立っていた。
「皆、ご苦労。では始めようか。」
いつものごとく、国王・ガレットデロワが会議の口火を切る。
「――最近、こちらに陸師から気になる報告が上がっている。グゼレス侯爵、説明を。」
「はい、陛下。各地の旅団からの報告では、ここのところ、若い女性を狙った人攫いではないかと思われる事案が発生しているようです。……ただ、それが本当に誘拐なのか、本人の意思による失踪なのかについては不明。更にはいくつかの領地で起きているため、それらに全て関係性があるかどうかもまだ判然としておりません。」
“現状報告”が終わり、グラスは口を閉じた。すると代わりに、海上師団団長のゴーフルが口を開く。
「なんだあ?グラスよ、それで報告と言えるのか⁇」
静かな会議室の中。国王の御前であるにも拘らず腕を組み、彼はいつものごとく大きな声を出している。
グラスは口の端をひくつかせつつも、怒りを抑えながら笑顔を見せた。実に「大人の対応」である。
「…まだ数も少なく、今は個別に対応している状況です。……そういう海上師団こそ、海賊騒ぎの方はどうなっていらっしゃるのでしょうねえ??」
「ムっ!ちゃんとやってるわ‼それに、それは今関係ないだろう!!」
――残念、グラスはどうしても嫌味までは抑えられなかったようだ。それに対し当然のように反応したゴーフルは、更に大きな声を出して円卓を叩きその場で立ち上がった。その声はまるで拡声器でも使っているかのような、もはや騒音である。
「……カルヴァドス侯爵、もう少し声を抑えよ。耳がキーンとしたわ……」
広いと言っても常識的な大きさの会議室の中で、ガレットデロワが渋い顔をして片耳を押さえた。ゴーフルはハッとする。
「‼陛下!!これは大変失れ…」
バチィンン!!
学習しないゴーフルが再び大声で喋り出すと、後ろにいた彼の補佐であるコンフィがすかさず平手で力一杯に彼の口を塞ぐ。そして一瞬にして、元のように席へと座らせた。
「……陛下の御前ですよ。お静かに。」
彼女はギロリと睨みながら、その耳元で囁く。口を塞がれたままで言葉を発する事が出来ないゴーフルは、「うんうん」と首を縦に振って答えるしかない。
そんな一連の様子を見ていた近衛師団団長のヴァシュランは、やれやれと溜息を吐いた。
「――話を戻しましょう、陛下。海師団長の話も一理あります。フラン卿、陸上師団はこの会議まで、一体何をなさっておいでか?」
そう言って、ヴァシュランはキッとした鋭い目をフランに向ける。暑くもないのに噴き出す汗を、フランは拭った。
「……誠に面目無い。こちらとしても解明に全力を挙げているところだが、散発的で場所も不特定のため…なかなか進んでいないのが現状……。」
「それでは困るのですよ、フラン卿!王都外はあなた方、陸上師団の管轄でしょう。いささか、職務怠慢にも見えますがね?」
ヴァシュランからの痛い追及……。フランは答えに窮した。
決して人数の多いわけではない会議室だが、その場がざわつく。
「静まれ!もうよい、シードル侯爵。詳しい状況が分からないのは困った事だが、陸上師団には引き続き調査と警戒を。他も、騎士団は全て、この事を気に留めておくように。何か気付いた点があれば、すぐに王宮へ報告を。大事なのは、民に不安を与えぬ事だ。」
ガレットデロワの鶴の一声で、会議室はまた元の通り静粛になった。
「――…近衛も海師も、決して他人事だとは思わぬように。それぞれの管轄だけに関心があれば良いという事ではない。火種を外に求めていては、中で燻る火に気付かず、気付いた時には大惨事になりかねんぞ。我らはそれをよく知っているはずではないか?では、今日のところはこの件は終いだ。――次、海師には海賊の件を聞かねばならぬな。パスティス子爵、報告を。」
「はい、陛下。――」
その後も会議は続き、終わる頃にはすっかり日も暮れていた。
「ショコラ!今日は本館でダンスの練習をしようと思うの。少し付き合って貰えないかしら?」
オードゥヴィ公爵家の屋敷では、フィナンシェが笑顔で妹に声を掛けていた。向こうに見える別館が彼女の現在の住まいであり普段過ごしている場所なのだが、そのためだけにわざわざこの本館までやって来たようだ。
「はい‼もちろんですわ、お姉様!」
今日はファリヌとミエルが屋敷を留守にしている。そのためショコラは、ミエル以外の侍女たちを連れガナシュの書斎にいたのだが……久々に姉と二人、姉妹水入らずで過ごせると喜んで飛んで行った。
「今日は私が男性側をするわね。貴女もダンスの機会が増えるでしょうし、少しでも慣れておいた方がいいでしょう?」
少し広めの部屋へ入ると、フィナンシェは開口一番にそう言う。ショコラは首を傾げた。
「え⁇でも、お姉様の練習なのでは……」
「細かい事はいいのよ!さあ、始めましょう。」
二人は、手を取って踊り始めた。
これまで幾度となくダンスをして来たフィナンシェは、やはり格段に上手い。それも、本来の女性側では無いにも拘わらず……。
「――お姉様とダンスをするのは、いつ以来かしら……。いつもは私が男性側をしていたので、新鮮ですね!それなのに、お姉様はとってもお上手です。」
「そう……ありがとう。」
にこにこと嬉しそうなショコラに対し、フィナンシェは静かに微笑んでいる。
……そういえば、何だか今日は姉の元気が無いように見える……。心配になったショコラが口を開こうとするよりも先に、向こうから言葉を掛けられた。
「……旅の事、お父様のお許しが出たのですってね。」
「はい!今からわくわくしています。」
満面の笑みでショコラは返す。フィナンシェは、微笑んでいるのにどこか悲しげだ。
「――…そうして、貴女の世界はこれからどんどん広がってゆくのでしょうね……。楽しそうにしている顔を見られるのは嬉しいけれど……何だか、段々私から離れてしまうようで……寂しいわ。私だけのショコラだったのに。」
その言葉に、ショコラは目を見開いて姉の顔を見た。それに気付いたフィナンシェはハッとして焦り、取り繕う。
「違うのよ、旅に出る事に反対しているわけではないの。いえ……本当は心配もあるけれど……。貴女のやりたい事なら、何だって応援したいと思っているわ!でも、貴女が遠くへ行ってしまうようで……。私だけが一人、取り残されて行くみたい。」
姉の真情の吐露に、ショコラは戸惑った。
どうしてそんな事を……。まさか!義兄と上手く行っていないのだろうか⁇
「…………お姉様。結婚なさってお幸せ、なのでは無いのですか……?」
不安げな表情で尋ねる妹に、フィナンシェは逆に少し驚いてしまった。今の言葉、そう聞こえてしまったのか、と――…。
彼女は答える。
「……悔しいけれど……」
それからわずかの間を置いて、フィナンシェは再び口を開いた。
「幸せよ!」
なぜか彼女は、「フン」と少し怒ったような顔をしている。それを見たショコラは笑顔になった。安心した。いつもの姉だ。
「なあんだ、ほっとしました!大丈夫ですよ、お姉様にはクレムお義兄様がいつも傍にいてくださいます。お一人ではありませんわ!それに、私だってそうです。どこにいても、いつまでも、お姉様の事が大好きな事に変わりはありませんもの。お姉様がいつかヴェネディクティンの領地へ行かれてしまっても、心は決して離れません。ねっ??」
するとやっと、極まりが悪そうにではあったが、フィナンシェが愛想ではない笑顔を見せた。
「ふっ……。そうだったわね。いずれ、お屋敷から出て行くのは私の方だったわ。貴女を置いて行くのは、私の方だった。」
天を仰ぎ、彼女は呟いた。
「そうですよ。私はずうっとここで、お姉様がいらっしゃるのをいつでもお待ちしています!だから、もうお寂しくはないでしょう?」
「そうね。それじゃあ、ショコラには立派な公爵様になって貰わなくちゃだわ!そのためにはみんなを認めさせなくてはね。ダンスも、手を抜けないわ‼」
吹っ切れたようなフィナンシェは、そう言うと生き生きとショコラの手を引っ張り、本格的にダンスの練習を始めたのだった。
「――…ショコラ様、護身術の先生がお見えになりました。」
家令のオルジュが、夢中になってダンスをしていた二人へと声を掛ける。いつの間にか、もうそんな時間になってしまったようだ。
「ではダンスはここまでね。ショコラ、しっっかり訓練なさいな!いざという時は、自分しか頼れないのだから。」
「はい!お姉様。それでは、行ってきます!」
「行ってらっしゃい!」
――その日の晩の事。
食事が終わりショコラがリビングで両親とお茶をしていると、ファリヌが旅の提案を持って来た。
「旅先についてなのですが、ショコラ様はお屋敷の外へ出る事自体が初めてのようなものという事で、まずは慣らしが必要と考えます。」
父・ガナシュが、ふむと考える。
「確かにそうだな。それで、どんな案を立てた?」
「はい、オードゥヴィ家に縁のある地が良いかと思います。ですが領地では縁があり過ぎ、身元が知られてしまう恐れがありますので、ショコラ様のおっしゃる“普通”の行動には不向きかと。そこで、奥様のご実家であるシャルトルーズ領はいかがでしょう?」
「ほう…悪くない提案だ。」
母・マドレーヌの実家であるシャルトルーズ伯爵家の領地は、山地の近くに位置し美しい湖と高原で名高く、観光を主な産業とした場所である。別荘地としても有名だ。
観光地なので、物珍しそうに歩く見知らぬ人間がいても目立たない。更には貴族が訪れる事も多いため、治安の面が疎かにされている訳がなく、それについては王都に次ぐほどの折り紙付きの地でもある。そして何より、公爵家にとっては頼れる人と馴染みのある所だ。
するとその提案に一番目を輝かせたのは、母だった。
「まあー!いいじゃない‼私も久しぶりに帰りたいわあ。一緒に付いて行こうかしら?」
「こらこら、マドレーヌ。それでは意味が無くなってしまうだろう。」
夫に諭され、マドレーヌは口を尖らせる。実に不服そうな顔である。今の発言、なかなかに本気であったようだ。
ガナシュは苦笑いを浮かべる。
「また今度、な。――それで、ショコラはどうなんだい?」
彼は、旅の主役となる娘に尋ねた。
「……シャルトルーズ……。行った事はあるけれど、あれはいつの事だったかしら……もう、ずっと昔だわ!伯父様たちには、お姉様の結婚式の時に久々にお会いしたけれど……。」
相当幼い頃に訪れた母の実家へ思いを馳せてみるが、上手く思い浮かべられない……。しかし――
「いいですね‼そうします!ファリヌ、それで手配してちょうだい。」
初めてではないのに、初めて行くような場所……。その何とも不思議な感覚に、ショコラの心は踊った。
ファリヌが軽くお辞儀をする。
「かしこまりました。」
最初の旅先が決まった。
こうしてショコラはまた、新しい一歩を踏み出すのだった。