ガタン、ゴトン、とショコラ一行を乗せた馬車は、少し広めに作られた林道を走っていた。
「林を抜ければすぐに湖と、その奥には山脈も見えて参りますよ!今日はお天気も良いですから、山頂に雪を被った姿が綺麗に見られるでしょうねえ!」
初めて外を自由に歩き回れるショコラはもちろんの事だが、そのお供として同行して来たミエルがはしゃいでいる。彼女もまた、屋敷から遠い地へはなかなか行ける機会が無かったのだ。
そんな彼女の様子に、ファリヌは溜息交じりで釘を刺した。
「……ミエルさん、あまり浮かれないように。貴女は遊びに来たわけではありませんよ。」
「分かっています!でも、少しくらいはいいじゃないですか。」
ミエルはむくれながら、対面に座る彼にそう返す。
いつも王宮へ行く際には御者台で馬を操っているファリヌだったが、長距離移動のためそれは専門の御者に任せ、今回はショコラたちと共に客車へ乗っているのだ。
「ファリヌ、私もただ遊びに来たわけではないわよ?“外歩き”に慣れるためなのだから!」
えへんと胸を張りながらショコラが言う。
「そうですね。――では、改めて確認しておきましょう。ショコラ様がこれから各地を旅されるという事は、くれぐれも内密に。これからお世話になるシャルトルーズ伯爵家には知らされていますが、あちらにもすでに緘口令が敷かれています。ショコラ様。外歩きなさっている際、もしもお知り合いに出会われても、実情をお話にはなりませんように。静養とでもおっしゃればよろしいでしょう。」
そういえば、サロン休止の知らせを送ってからしばらくの間。旅に出るまでには少し時間があったのだが、誰一人としてショコラを訪ねて来た者はいなかった。
――と彼女自身は思っていたのだが、実際のところは連絡や訪問を全て断っていたからだった。あのグラスやミルフォイユたちでさえも、である。
ショコラが多忙であった事もあるが、彼彼女らが来るのは「なぜ急にサロンを休むのか」と聞くために決まっている。だから、通せばそれに答えなければならなくなる。本人から情報が漏れては意味が無いのだ。
そのため父・ガナシュから、秘密裏にそういう指示が出されていたのだった。
馬車が林を抜けると、見通しの良くなった窓は明るくなった。そしてさっきの話の通り、その先には広く青々とした湖と山々が姿を見せた。
「うわあ――、本当‼ミエルの言った通りね!何度か来た事はあったけれど、窓の外なんて見ていなかったわ。なんてもったいない事をしていたのかしら!」
目の前に現れた景色に、ショコラの気分は一気に高揚した。そこへファリヌが一つ口を出す。
「ショコラ様。しばらくすると市街地へ入ります。その際には、窓のカーテンを閉めさせて頂きますので。」
その言葉にミエルがすぐさま反応する。
「もうっ!どうしてファリヌさんはそう、いちいち水を差すような事を言うんですか⁇せっかくショコラ様が楽しまれていらっしゃるのに!」
そして無言のファリヌと睨み合いになった。車内は途端に険悪な雰囲気になってしまう……。
そこへショコラが割って入った。
「――分 か っ た わ!ファリヌ、お屋敷に入るまではなるべく人に顔を見られてはいけないからよね?もう少ししたら、閉めましょう!それまでは許してね。」
こうやって仲裁する事にも、最近段々と慣れて来た。
ただ、自分がいない所ではどうしているのだろう……?ショコラはそれがふと気になった。
「そうだわ。そういえばこの間、二人でお屋敷の外へ行っていたわよね。どこへ行っていたの⁇」
彼女はそれとなく尋ねてみる。するとファリヌが答えた。
「ショコラ様の旅用のお召し物を見繕いに参りました。わたくしだけでも良かったのですが、女性の服にはあまり明るくありませんので。ミエルさんに見立てを頼んだのです。」
「それなら、私だけで行っても良かったと思いません??」
ミエルが話に割り込んだ。ファリヌは少し不機嫌そうな顔になる。
「……ミエルさんだけに任せると、ショコラ様の物だからと高級品ばかりを選びそうでしょう?私が欲しているのは、庶民的な服ですので。」
「〰〰それくらい、言われれば私にだって分かります‼」
……しまった。また口喧嘩が始まりそうになっている。
馬車に乗り込む時、大きな旅行鞄をいくつも積んでいるのをショコラは見た。あれを開ければ、その成果は分かるだろう。買い物中、二人がどんな事を繰り広げていたのかを想像すると、少し聞いてみたい気もした。だが、それはやめておく事にしよう。
“ファリヌの選ぶ服はどう”だとか、“ミエルは今一つ意図を分かり切っていない”だとか、二人はまだ何か言い合っている。しかし、干渉せずに放っておこうとショコラは思った。萎縮せずに言いたい事が言い合える関係は、決して悪いものではない。
ショコラは窓の外を見る。そろそろ建物が見え始めて来たようだ。
彼女はそっと、カーテンを閉めた。
シャルトルーズ伯爵家の屋敷では、一家とその使用人たちが、出迎えのためすでに玄関先へと出て来ていた。
「あっ!公爵家の馬車だ。おお――い!ショコラ姉様――っ‼」
屋敷の門を入って来た馬車に向かって大きく腕を振り、元気な声で少年が叫んだ。シャルトルーズ伯爵家の一人息子で、ショコラたちにとっては従弟に当たるベニエである。
「カヌレ伯父様、クラフティ伯母様、ベニエも!お久し振りですわ。しばらくお世話になります。どうぞよろしくお願いいたします。」
馬車を降りると、ショコラはスカートを持ってお辞儀をし、伯父たちへ丁寧に挨拶をした。
「よく来たねえ、ショコラ!改まった挨拶はいいさ。話はマドレーヌから手紙で聞いているよ。それにしても、驚いたなあ。ショコラが次期公爵に名乗りを上げるなんて、思ってもみなかったよ。なあ?」
母の兄である伯父のカヌレが、隣に立つ妻・クラフティに声を掛ける。
「あら、私はそれほど驚きませんでしたわよ。貴方もまだまだね。ショコラ、自分の家と思って自由にしていいのよ。」
「ありがとうございます、クラフティ伯母様!」
「やっぱり、家の中に女の子がいるのはいいわねえ。華やかになるわ!」
伯母が嬉しそうに笑う。
……と、ここまでの流れはお約束だとして……。ベニエが、堪らず横から口を挟んで来た。
「ねえねえっ、ショコラ姉様!馬に乗れるようになったんでしょう?それなら一緒に遠乗りしましょう!僕が案内するから‼」
いつ自分に話す番が回って来るかとそわそわしていた彼だったが、どうにも我慢出来なくなったらしい。
「まあ!いいわねえ。私、遠乗りは初めてだわ。」
ショコラは笑顔で返す。するとクラフティが口を挟んだ。
「ベニエ、あまり危ない事をさせては駄目よ。」
「大丈夫だよ、母様!湖の方とかに行くだけだもん。」
小言を言われたベニエは、ショコラを盾にして母に「べぇっ」と舌を出して見せる。彼女は、「その“とか”が心配なのよ」と溜息を吐いた。
ここにも不穏な気配が……。それを察知したショコラが、二人の間に立つ。
「伯母様!私にはファリヌたちが付いて来てくれるはずですから、心配なさらないで!」
するとファリヌが、気まずそうに側へとやって来た。
「ショコラ様、申し訳ございません。わたくしはこれから先の計画を練るために、付き添う事が出来ません。ミエルさんにお願いしたいのですが――…」
彼はちらりとミエルの方を見る。すると彼女は、勢いよくショコラに頭を下げた。
「も、申し訳ありませんっ!私は馬に乗る事が出来ません…。」
「……貴女も、訓練しないといけませんね。」
ファリヌの苦言にも珍しく反論せず、ミエルは心苦しそうにしゅんとしていた。
「ははっいいさ。付き添いはうちから出そう。この辺に詳しい者の方がいいだろうしね。それより、疲れただろう?遠乗りは明日にして、今日はゆっくり休みなさい。ベニエも、いいね。」
「はあい、父様。」
父に諭され、ベニエは不満そうに返事をする。
「ふふっ。ベニエ、私はまだ来たばかりよ?時間ならこれから沢山あるわ!」
「そっか!そうだね!じゃあ色々連れて行ってあげるよ、姉様!」
ショコラが笑いながら声を掛けると、彼はすぐに機嫌を直した。そんな息子を見て、カヌレはやれやれと苦笑いしている。
「すまないね、ショコラ。何せ一人っ子なものだから。久々に従姉が来て、馬にも乗れるようになっていて、嬉しいのだろう。」
「ふふ。弟みたいで可愛いですわ。」
一通りの挨拶が済むと、シャルトルーズ家の使用人に案内され、ショコラは当面の仮住まいとなる部屋へ通された。
大きな硝子窓の外を見ると、そこには陽を受けてきらきらと光る湖が広がっている。馬車の窓から見た時よりも大きく感じるのは、単にその時よりも近い場所にいるからなのだろうか。
ショコラはバルコニーへ出てみた。高原の澄んだ空気が心地いい。
『こんなにきちんと外を眺めてみたのも初めてだわ。……私って、今まで本当に外の事に無関心だったのね……。』
赤ん坊の頃には湖を見に連れて行ったのよ、と母が出発前に話してくれたのだが、そんな頃の事はもちろん覚えているはずもない。明日の遠乗りには、湖の方へ行くとベニエが言っていた。ショコラにとってはほぼ初めての場所だ。もっと間近で見る湖は、どんなだろう……。
バルコニーからそれを眺めながら、ショコラは心を踊らせていた。
「そうだ、ショコラ!今こちらに、凄いお客様がいらしているんだよ。」
その夜、晩餐の席でカヌレが唐突に話を始めた。
「“すごいお客様”??……とは、どなたですか?」
「なんと、国王ご一家だよ‼」
伯父は少々興奮したように言う。
ここから王都は遠い。簡単に行ける距離では無く、その分国王の顔を見られる機会も少ないという事なのだろう。
「こちらへご静養にいらっしゃった際には、いつもご連絡を頂いているんだ。それが先ほど届いてねえ。明日謁見に伺うんだが、ショコラも一緒に行くかい?」
するとベニエが、ガタンと立ち上がった。
「ええーっ!!父様、明日ショコラ姉様は僕と一緒に遠乗りに行くんだよ!」
「分かっているさ。だから、お前も一緒に来なさい。遠乗りにはその後、行けばいい。」
「……分かりました。」
朝一から出掛けるつもりでいたベニエは、不服そうな顔をしつつも父の話を承知した。
まだまだ子供のように頬を膨らませる息子を見ながら、カヌレがショコラにもう一度尋ねる。
「そういう事になったのだが、いいかな?」
「はい!もちろんです、伯父様。」
無論、異議など無い。ショコラは笑顔で返事をした。
――そんなわけで、急遽国王一家に謁見する事が決まってしまった。本人は大して気後れなどはしていなかったのだが……焦ったのは、ファリヌとミエルである。
二人の予定には、そんな格式張った格好をする場面など、想定されていなかったのだ。
「ほら!だから少しは良いお召し物も持って行きましょうと言ったんです!」
「……そうですね。すみません。これは確かに、私の落ち度でした……。」
端の方で、二人が小声で話し合っている……。
ショコラはまだ、その事には気付いていないのだった。
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