テラーノベル
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研究室の灯りは落とされ、奥の休憩スペースだけが淡く照らされていた。時計の針の音と、冷却装置の低い唸りだけが響く。ツナっちはそっとドアを開け、息をひそめながら中に入った。
簡易ソファに、くられが横になって眠っている。腕を枕に、白衣を脱ぎかけたまま。無防備で穏やかなその姿に、胸の奥がぎゅっとなる。
前に一度、寝ている先生を見たときは、ただ心配で、安心感に満たされるだけだった。でも今は違う。“好き”という自覚が、胸の奥で小さな嵐を巻き起こす。心臓は早鐘のように鳴り、手のひらはじっとしていられない。
ツナっちは膝をつき、そっと距離を測る。手を伸ばすと届きそうで届かない。ほんの数十センチの距離なのに、体の感覚は敏感に反応し、鼓動の音が耳まで響くようだ。
指先で髪の先にそっと触れようとする――けれど、くられがわずかに体を動かしたせいで、手は届かなかった。指先が空気をかき分けるだけで、髪の柔らかさを感じられそうで、触れられない。ツナっちは思わず息を飲み、指を止めたまま固まる。
少しの沈黙。呼吸を整え、もう一度ゆっくり手を伸ばす。今度こそ、指先が髪の柔らかさに触れた瞬間、軽く震える感触が伝わる。思わず息を吐き、手のひらをそっと広げて、頬から顎のラインにかけて包み込む。掌に伝わる温もりと柔らかさに、心がひゅっと締めつけられる。体が自然と前のめりになり、顔が近づく。
――ん、……
くられの唇が微かに動いた。ツナっちは反射的に手を止め、視線を上げる。瞼がゆっくり震え、うっすらと目を開く。
「……ツナっち?」
眠りの余韻を帯びた声に、戸惑いと優しさが混じる。ツナっちは一瞬固まり、慌てて手を引っ込めた。膝を少し後ろに下げ、心臓の高鳴りを抑えながら、息を整える。
「す、すみません! その、なんか……寝てたから……!」
声が震える。指先に残った柔らかさを忘れられず、胸が熱くなる。
くられはまぶたをゆっくり閉じ、また静かに眠りに戻る。微かな寝息が耳に届き、掌に残る温もりがふわりと心を満たす。ツナっちは息を吐き、膝の上にそっと置いた手を握り直す。
「……綺麗だったな……柔らかかったな……」
誰にも聞こえない声でつぶやき、そっとソファの隣に腰を下ろす。夜の静けさに包まれ、手の温もりは胸の奥でゆっくりと余韻を残した。
研究室の奥、淡く照らされた光の中で、触れた距離はほんのわずかでも、心の距離はしっかりと縮まった。ほんの少しの勇気と静かな心の動きが、二人の間に見えない糸を引いている。
夜は深く、やさしく二人を包む。柔らかさと温もり、そして胸の高鳴り――触れた感覚の余韻が、ツナっちの心をしばらく離さなかった。
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