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夏目莉央
1,537
131
くま🐻☁️
12
私たちはペンションまでやってきた。
雨は相変わらず、勢いよく降り続いている。
車から降りると、二人でペンションの入り口まで一気に駆け込んだ。
「瞳子さんもびしょ濡れですね」
朝倉くんがタオルを手渡してくれる。
私はそれを受け取ろうとしたのだけど、彼は私の髪に残った水分をそっと拭き取ってくれた。
もう、ギョッとすることはなかった。
これは彼の純粋な優しさだって、知っているから。
「これくらい大丈夫。中で暖を取らせてもらおう」
「はいっ」
なんだか、やけに嬉しそうな朝倉くんの顔が目に焼きついた。
ペンションの中へ入ると、数名のお客様がソファーに座ったり、窓の外を眺めたりしていた。
(この大雨の中でも、泊まりにいらっしゃる方がいるのね)
私は特段、不思議には感じなかった。
「瞳子さんは暖炉の前で待っていてください。僕が事情を伝えてきますので」
「ありがとう」
(やっぱり、朝倉くんは紳士だ)
実は、雨で濡れてシャツが身体に張りついていることが、少々気になっていた。
妙な色気を出されたら困る。
私は暖炉の前に立ち、濡れたシャツを軽くかざした。
(帰るまでには乾くでしょう)
暖炉の熱が身体を包み、冷え切っていた指先が少しずつ温まっていく。
ほっと息をついた私は、そっと後ろを振り返った。
カウンターでは、朝倉くんとペンションの主人が、まだ何かを話し込んでいる。
(どうしたんだろう? 何かトラブルでもあったのかしら)
心配になってカウンターへ向かおうとした、その時だった。
朝倉くんが戻ってきた。
「瞳子さん。お待たせしました」
朝倉くんは、なぜか晴れやかな表情をしている。
ついさっきまで雨に濡れて凍えていた人とは思えないほど、機嫌がいい。
「大丈夫だった? ご主人はなんて……」
そこまで言ったところで、あるものが目に入った。
私の言葉が途切れる。
口も閉じた。
朝倉くんの手には、なぜか部屋の鍵が握られていた。
その鍵を、彼は軽く掲げる。
「今晩の部屋、取りました」
私の頭は、まだ現実についていっていない。
「朝倉くん、ここに泊まっていくの?」
それなら私はタクシーで帰るしかないのかと、ぼんやり考えていた。
「瞳子さんも泊まります」
「……私も……?」
「ええ」
「一緒に?」
「そう。一緒に」
(いや、それは無理です)
どうしてそんなに淡々と話を進められるのか。
私は呆れてしまった。
「私は弟が待っているから帰るわ」
「雨が止んでも、通行止めは解除されないそうです」
「え?」
「山から集まってくる雨水で、これから水量が増えるので、むしろ危険だそうです。ですから、仕方なく宿泊決定です」
そう言って、再び笑顔で鍵を掲げる。
だけど……私には、鍵が一つしか見えなかった。
(待って。二人とも宿泊するなら、二つの鍵が必要なんじゃない?)
まさか……そんなわかりやすいこと、しないよね?
私の中に、じわじわと猜疑心が募っていく。
思わず眉を寄せた。
「朝倉くん……なぜ一部屋分の鍵しかないの?」
「これが最後の一部屋でした」
「うそ……」
「この先で工事をしている関係者の方たちも、帰れなくなって泊まることになったそうです。満室だそうですよ」
私はウェルカムルームを振り返った。
確かに、平日の大雨の日にしては、不自然なほどお客様が多い。
そして、よくよく見れば、作業着姿の人も何人か混じっている。
「……こ、こんなことってある?」
奇妙な偶然が重なりすぎて、怖くなってくる。
唇が、わずかに震えた。
「実際に今がそうですよ?」
朝倉くんが嬉しそうに小首を傾げる。
「温泉もあるので、こうなったらゆっくり過ごしましょう!」
身体が冷えているはずの朝倉くんから、上気した熱を感じる。
……気のせいだろうか。
私は項垂れ、そのまま後ろのソファーに腰を下ろした。
「不可抗力とはいえ……部下と同じ部屋に泊まるなんて、だめよっ」
私の道徳観が、激しく抵抗している。
最近の彼を、誠実な男性だと思うようになっていた。
だけど、それとこれとは話が別だ。
一緒の部屋に泊まるというのは、次元が違う!
「大前提を忘れないで。私たち、男女の上司と部下なのよ?」
「間違いを起こすとでも? 僕が信用できませんか?」
一瞬、朝倉くんの目が鋭くなる。
彼を傷つけるつもりはないが、私も軽いノリで決断もできない。
「信用の問題ではないわ。こんなの……だめに決まっているでしょう?」
朝倉くんは困惑する私をじっと見つめる。
ふっと俯いたかと思ったら、にこりと顔を上げた。
「と言っても、非常事態ですから、致し方ありませんよー」
私は拍子抜けになりそうになる。
その通りなのだけれど、そんなに軽く言わないでほしい。
ことはかなり重大なのだから。
会社に知られたら、懲戒ものだ。
私は頭を抱えてしまった。
「瞳子さん。僕からは何もしませんので、安心してください」
そんな彼の言葉に驚いて、私は顔を上げた。
彼の表情は、先ほどとは違いきゅっと引き締まっている。
「本当に?」
少し前にも、密室で距離を詰められたことがある。
そんな彼の言葉を、果たして信じるべきなのだろうか。
私が迷っていると、朝倉くんは小首を傾げた。
「だって、強制は犯罪でしょう?」
「……」
朝倉くんは才能がありすぎて、一般常識が抜け落ちていると思っていた。
でも、犯罪の一線は理解しているらしい。
確かに、今までもすべて未遂で終わっている。
朝倉くんが私を無理やり押し倒すようなことは、しないだろう。
(私が振られて弱っていた時も、彼は最後まで紳士だった!)
その信頼だけで、今夜を乗り越えられるかしら。
再び目眩に襲われ、私は頭を抱えた。
(今週は色々ありすぎて、もう疲労がピークなのに……)
「……考えるのも疲れたわ。有難く部屋を使わせてもらいましょう」
今夜、下山できないことは事実なのだ。
だったら、朝倉くんを信じて身体を休ませることを優先しよう。
「賢明な判断です」
朝倉くんは、私の荷物を持ってくれた。
その顔には、どこか満足そうな笑みが浮かんでいる。
(彼なら……大丈夫)
私は心を決めて立ち上がった。
布団と布団の間を最大限に空けて、彼を寝かしつけてから自分が眠ればいい。
私は子供の寝かしつけを思い出しながら、朝倉くんと部屋へ向かった。
『白樺』という部屋の前で立ち止まる。
朝倉くんが鍵を差し込み、扉を開けた。
そして、レディーファーストで私を先に通してくれる。
(ふふ。本当に、どこまでも紳士ね)
彼への信頼が、さらに高まった。
その瞬間だった。
私は目の前に飛び込んできたものに驚愕し、膝から崩れそうになった。
「ダブルベッド……??」
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