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『愛理さん、明日は10時半に迎えに行くよ。それより今日の方が心配だな。何かあったらすぐに行くから連絡して』


『翔くん、ありがとう。今日は気持ちを強く持って行ってくるね。私だって、やるときはやるんだから!』


メッセージと一緒に腕をムキッとさせているキャラクターのスタンプを送ると、すぐに翔からの返信がある。かわいいうさぎのキャラクターが”Fight”とエールを送ってきた。それを見て愛理は顔をほころばせた。


土曜日、ホテルLa guérisonの前でタクシーを降りた愛理は、これから起こることを考えると、ギュッと奥歯を噛み締める。


  愛理が身に着けている、総刺繍が施された花色(伝統的な青)のAラインのフォーマルドレスは、上品な長袖のデザインで、上手く腕の傷の包帯も隠されていた。


ここ、ホテルLa guérisonは、ラグジュアリーホテルとランク付けされる高級ホテル。

製薬会社の御曹司である田丸誠二と華道家の美穂の婚約式が行われるだけあって、格式の高いホテルが選ばれたのだ。


愛理は、意を決したように大きく息を吐き出し、大理石が敷き詰められたエントランスを抜けた。

  ホテルのロビーに足を踏み入れたところで、髪をアップにした由香里が手を振っている。


「愛理、ドレス似合っていて、凄い素敵! 編み込みした髪も可愛い」


「由香里も綺麗だよ。深いグリーンのドレスなんて難しい色を着こなして、さすがだね」


「ふふ、ありがと。あっ、あっちにクロークがあったよ。その紙袋預けたら?」


愛理は、パーティーバッグの他に光沢のある白地に金の縁取りがある紙袋を持っていた。


「あ、これ⁉ 美穂にあげようと思ってプレゼントを持ってきたの」


「この前、みんなでブカラのグラスあげたのに?」


と由香里は目を丸くした。それに答えるように愛理は、こどものような笑顔を向ける。


「うん、たいしたものじゃないんだけど、ほんの気持ち」


「愛理ってば、優しいなぁ。じゃ、美穂の控室に寄ってプレゼント渡しちゃおうか。あっ、あそこで佐久良が手を振ってる」


愛理は、由香里と佐久良と3人で、絨毯が敷き詰められた廊下を進み、「朝比奈美穂様お控え室」と書かれた部屋に到着した。


ドアを開けると大きな鏡の前には、花嫁よろしく、白いマーメイドラインのドレスに身を包んだ美穂が華やかな笑顔を浮かべる。


「みんな、来てくれてありがとう」


「おめでとう。美穂、スゴイ素敵!めちゃくちゃ綺麗だよ。婚約者の田丸さんも鼻が高いね」


佐久良に褒められ、美穂は満足そうにうなずいた。


「ありがとう。今日は誠二さんのお友だちも来てるから、出会いのチャンスよ。楽しんでね」


「楽しみだわ!」


佐久良の率直な言葉に、美穂が愉悦の笑顔を見せる。

幸せを掴んだ最高潮の美穂の微笑みに、愛理は口角を上げた。


「美穂、婚約おめでとう! この前、みんなでプレゼントしたブカラのグラス気に入ってくれてるみたいで嬉しいな。インストにもアップしてたでしょう⁉」


刹那、美穂の笑顔が消え表情が凍り付く。

まさか、裏アカウントで作っていたインストの画像を愛理に知られているとは思っていなかったのだ。


「え? いったい! 何の話し?」



美穂へ真っ直ぐに視線を向けた愛理は、言い聞かせるようにゆっくりと話しを始める。


「偶然見つけちゃって、アカウント” A ”って美穂でしょ? ご自慢のバッグとかもUPされていたし、デートに行ったレストランもUPしてたね」


「だから何の話なの?」


と美穂は緊張を隠しきれずに眉根を寄せる。


  インストのアカウント”A”には、淳とデートをしたときに撮影した写真が、それとなくUPされていた。

  愛理は、インストのアカウントを知っていると告げたことで ”淳との不倫に気づいているんだ” 警告をしたのだが、美穂が素直に認めるはずもなかった。


ふぅ、っと息を吐き出した愛理は穏やかに微笑んだ。


「ごめん、私の勘違いだったかな? そうだよね。間違えたみたい。ごめんね」


「……いいのよ」

美穂は、愛理の追求から逃れられたとほくそ笑む。

  インストの裏アカウントには、デートで行ったお店やプレゼントでもらった物など、いわば自慢ネタしかなかったはずだ。証拠になるモノなんて、せいぜい手の先ぐらいしか写っていない。それだけなら、例えバレても、お人好しの愛理なんて簡単に言いくるめると美穂は思った。


愛理と美穂の間の微妙な雰囲気を由香里が取りなすように声をかける。


「あっ、そうだ。愛理ってば、美穂にプレゼント持ってきたって言っていたでしょ? 今、渡しちゃえば」


愛理は、その言葉にうなずき、光沢のある紙袋を美穂へ差し出した。


「そうだね。これ、婚約祝いに《《思い出のアルバム》》を作ってきたの。大切な思い出だから、《《けして忘れないで》》」


美穂は、驚いたように目を見開き、愛理から差し出された紙袋を受け取った。


「大切な思い出って? 大学時代の写真かしら?」


そう言った美穂の横で、由香里が目を細め、

「大学時代の写真なんて、ちょっと、恥ずかしいな」

と照れたように笑う。


  美穂はそれにうなずいて紙袋からアルバムを取り出すと、佐久良が身を乗り出し、好奇心いっぱいに覗き込んだ。


「わー、大学時代の写真⁉ サークルで出かけたときのかな? 見せて、見せて」


「けっこう色んなところに行ったから、いつのだろう」

由香里もアルバムに目を向ける。


「さあ、いつのだったかな? 意外と最近のものかもよ」


愛理の声を合図に美穂がアルバムを見開く。

すると、そこには裸で縺れ合う美穂と淳の姿が写されていた。あのSDカードの映像をプリントアウトしたのだ。


 4人の視線が、獣のように戯れる男女の写真に注がれる。


「美穂っ!?」

佐久良が叫ぶような声を上げ、それと同時に慌ててアルバムを閉じた美穂は、愛理を睨みつけた。


愛理は美穂へ、ニコッと子どものように無邪気に微笑んで見せる。

それを見た美穂が険しい瞳のまま、愛理へと言葉を吐き出した。


「どういうつもり?」


美穂を見据えた愛理は、駄々っ子に言い聞かせるように話し始める。


「どうもこうもないと思うんだけど、ただ、忘れて欲しくなかっただけ。面白半分に人の幸せを壊して自分だけ幸せになるなんて、許されるわけないわよね。婚約を目の前にして不倫していたことが、都合よく無かったことにはならないんだと、心に刻んでほしかったの」


「やめてよっ!」

叫んだ美穂は聞きたくないとばかりに耳を塞いだ。愛理は、構わずに話しを続ける。


「知ってる? 不倫って、辞書で調べると ”人の道からはずれること”って書いてあるの。一度でも調べたら踏み止まれたかな? でも、抑えきれない好奇心には勝てないかもね」


「ウソ、美穂って、淳くんと不倫してたの⁉」


そう言って、好奇心旺盛な目を見開いた佐久良は、美穂と愛理を代わる代わる見つめる。

由香里は唖然とし、ポツリとつぶやいた。


「愛理……。淳くんの不倫相手って、美穂だったの?」


美穂へと向き直った愛理は、悲し気に口にした。


「そうなの。友だちだと思っていたのに、陰で笑って、人の夫を誘惑していたの。私、美穂のこと、ゆるさないから」


その言葉を聞いた美穂は慌てて、愛理へと手を伸ばし、腕にすがりつく。


「ごめんなさい。悪かったわ。お願い、誠二さんには言わないで……」


この期に及んで、口先ばかりの謝罪をする美穂。

掴まれた腕だけでなく、踏みにじられた心にも痛みが走る。


「痛っ!」


「ちょっと、止めなよ。愛理が痛がっているじゃない。それに友だちの旦那に手を出すとか、ありえない。遊ぶにしたって、最低限のルールってあるじゃない」


不倫で悩んでいた愛理から相談を受けていた由香里は、愛理をかばい、ふたりの間に割って入った。

愛理から引き離された美穂は、この世の終わりとでも言うように顔面蒼白で、もう一度、愛理に縋る。


「ごめんなさい。お願いだから、ゆるして……。なんでもするから、誠二さんに言わないで、お願い、友だちでしょう?」


美穂に「友だち」と言われ、愛理の心がスッと冷え、感情を失ったような瞳で美穂を見つめる。


「うん、友だち《《だった》》かもね。私が思っていた友だちと違っていたみたいで残念だけど、それは仕方無いよね。でも、淳とのことは償ってもらわないと……」


愛理から”償い”と聞いて、何か名案でも思い付いたように、目を見開いた美穂が話し出した。


「わかったわ。慰謝料を払うわ。口座番号を言ってくれれば、すぐに振り込むから! ねえ、いくら払えばいいの?」


懇願する美穂を、見下ろした愛理は薄く笑う。


「いやだ、そんなことをしたら、恐喝してるみたいじゃない。私、恐喝罪とかで告発されるようなマネはしたくないの。あっ、いま何時かな? そろそろパーティーが始まる時間じゃない?」


そう言って、愛理はスマホを取り出し、時間を確認した。

そして、何も言わずにトップ画面を美穂に見せる。


トップ画面には、インスト、LIME、Fwitter、TikHok、MouthbookなどのSNSアイコンが、時計のデジタル表示と一緒に並んでいた。


アイコンをタップするだけで、SNSで一度も会ったことが無い人と繋がっている。そのため画像を拡散することも容易い。もちろん、プライバシーの侵害や肖像権で差し止めすることも可能だが、差し止め請求が通った頃には、拡散がし終わった状態で、後の祭りだ。


美穂は、それを見た瞬間、「ひっ!」と短い声を上げ、歯の根が合わないほどガタガタと震えだす。   

  美穂がお得意の作り笑顔も出来ない状態を見て、愛理は甘やかな微笑みを浮かべた。


「もうすぐパーティーの時間ね。お料理が美味しいって言っていたでしょう。楽しみにしてたの。田丸さんのご友人とも仲良くしようかな?」


そう言って、パーティーバッグの口を開きスマホを仕舞った。背中を向ける愛理へと、美穂は膝をつき懇願する。


「いやぁぁぁ、ごめんなさい。ゆるして……ゆるしてください」


涙を流し謝る美穂へ、愛理は気の毒そうに眉尻を下げ、声をかけた。


「ほら、あんまり泣くとお化粧が崩れちゃうよ。素敵なドレスも汚れるし、パーティーの主役が、そんなんじゃダメじゃない。田丸さんに嫌われるようなことをしたら、せっかくの幸せが逃げていくと思うの。この後のパーティーでは田丸さんと並んで幸せな笑顔を見せてね。《《お友だち》》として祝福させてもらうわ」


「ねえ、ねえ、それで淳くんとはどうなったの?」


パーティー会場へ向かう途中、遠慮のない佐久良が好奇心いっぱいに聞いてくる。


「ちょっと、佐久良ってば止めなよ」


由香里が気を使って止めてくれたけど、それを聞く佐久良ではない。


「こんな騒動に巻き込んだんだもん。教えてくれてもいいよね」


愛理は細く息を吐き出し、冗談めかしで佐久良に言う。


「淳とは別れるの。佐久良が引き取ってくれるなら助かるなぁ」


「そっかぁ、別れるのか」


と、愛理の言葉を本気にしたのか。佐久良は、何やら考えている様子だ。

淳がいままでしてきたことを知っていたら、夢など見れるはずもないのに。けれど、佐久良にそれを教えてあげる優しい気持ちになれなかった。


「愛理……大丈夫? 」


  由香里が心配そうな目を向ける。


「うん、ありがとう。せっかく来たのに雰囲気悪くしてごめんね。美穂があんまりひどいから……」


「あれは美穂が悪いよ。お金の話しを持ち出したとき、ゾッとした」


「そうだね。お金でどうにかなると思っているなんて、人のことをバカにしているよ。私、美穂に蔑まれているんだって、改めて思った。美穂のことは、ゆるせない。私が、パーティー会場にいるだけでプレッシャーになると思う。だから最後まで居たいの」


「うん、わかった。愛理につきあうよ」


ホテルLa guérisonのパーティールーム『ロベリア』は、立食形式だと200人は入れる会場だ。

婚約式は、友人知人に将来の伴侶となる人を、紹介するというのが本来の目的。ただ、田丸製薬のような大きな会社の御曹司ともなれば、若手経営者やこの先企業の経営を受け継ぐ後継者が集まり、新たなビジネスへの顔繋ぎの場にもなる。

  愛理は会場をゆっくりと見回した。会場には既に100人以上の人が集まり、あちこちで歓談が始まっていた。


「わあ、美穂ってば張り切ったのね」

会場に入るなり、佐久良がつぶやく。


確かに、婚約式としては、かなり大規模。会場のいたるところに飾られた華やかな生花は、御曹司に見初められた娘・美穂のために、実家で花道の御家元である朝比奈が、命運を賭して、会場の飾り付けをしたはずだ。


  婚約式の前にショックな出来事があったからと言って、その理由も説明が出来ないし、いまさら中止になど出来ないだろう。


「婚約式でこの規模って、すごいね。さすが田丸製薬の御曹司」

  と由香里は目を丸くしている。


ビジネス絡みということもあって、スーツ姿の男性が多い。女性3人組の愛理たちのグループは会場の注目を集めていた。


「佐久良、素敵な出会いがあるかもよ。グループの方が声をかけやすいでしょう。今日は迷惑かけちゃったし、応援するから頑張って」


  そう言って、愛理は、新たな出会いを期待する佐久良を焚き付けた。気を良くした佐久良が瞳を輝かせる。


「そうね。せっかくだから、いろんな人とお近づきになって、恋もビジネスもチャンスは逃さないようにしないとね」


「佐久良ったら、物怖じしないと言うか、なんというか」


  由香里が呆れたように言う。


佐久良の厚かましさは、普段なら鼻に付く愛理だったが、今回に限っては頼もしく思った。

美穂の婚約者である田丸の友人たちに、佐久良は率先してアプローチをするはずだ。

   

美穂の化粧直しに時間が掛かったのか、予定の時間を15分ほど過ぎた頃、やっと会場の明かりが絞られ、薄暗くなる。次の瞬間、豪奢な扉にスッポトライトが当たり、アップテンポの明るい曲がBGMで流れだす。


美穂にとって、この場所は夢に見たおとぎの国であり、酩酊状態で見る夢の世界のようだ。


扉が開き、田丸誠二と腕を組んだ朝比奈美穂が笑顔で入場してくる。会場から拍手が沸き起こり、皆が口々に「おめでとう」とはやし立てた。


それにならって「美穂ー! おめでとう」と愛理が声を上げると、それに気づいた美穂が顔を向けた。

愛理を見つけた美穂の口元はかろうじて上がっていたが、目元がおびえたようにヒクヒクと痙攣しているように見える。


「美穂、笑顔!笑顔!カメラまわっているよ」

と佐久良も美穂へ声をかけた。美穂はハッとしたように、また、作り笑顔を張り付けて会場の中央を進んで行く。


誠二と美穂の周りには、記念に撮影を頼んだのか、撮影カメラが後を追いかけている。その他にも皆、片手にスマホを持ち、ムービー撮影で主役のふたりを捉えようと待ち構える。

主役のふたりはたくさんのカメラに囲まれていた。


誠二と美穂が定位置に着くと、シャンパングラスが配られ、誠二の友人のひとりが声を上げた。


「この良き日に、田丸誠二くんと朝比奈美穂さんの婚約を祝して、乾杯」


「「乾杯」」


ビュッフェスタイルの立食形式のパーティーは、人と人の間を自由に行き来できるスタイルだ。


佐久良は、愛理の期待通りの動きを見せ、スーツ姿のイケメンを中心に精力的に声をかけている。そのうちのひとりのイケメンをゲットしたのか、佐久良は愛理たちにその人を紹介した。


「愛理、由香里、こちらの方、田丸さんの秘書をされている柳田さん。柳田さんは田丸さんのご親戚でもあるんですって」


愛理たちは簡単な自己紹介をして、柳田と世間話を始めた。すると、離れた場所にいる美穂の強い視線を感じる。


「あはは、美穂がこっちを気にしている。さっきのことを告げ口されるとでも思っているのかしら」


と佐久良が口にした。それに柳田が反応する。

「何かトラブルでも?」


「ちょっと、佐久良」

と由香里に注意され、慌てた佐久良は、両手を降参するときのように胸の横にあげて、笑顔でごまかす。

「あ、ごめんなさい。なんでもないんです」


柳田は一瞬、訝し気に目を細めたが、直ぐににこやかな表情に変わった。

誠二の秘書ということだけあって、柳田の横にいるだけで色々な人たちに声をかけられる。気が付けばトランプが出来そうなほど、婚約式に訪れた人たちの名刺が、愛理の手の中に溜まっていた。


佐久良の耳元で柳田が何か囁いた。満面の笑みを浮かべた佐久良は、愛理へと目くばせをして、柳田とふたりで会場の外へ、弾むような足取りで出て行く。佐久良の後ろ姿を期待を込めて見送った。


人々の間を今日の主役のふたりが仲良く腕を組み、挨拶をしながら回っているのを、愛理は時折、横目でチラ見する。美穂はわざと愛理のいる場所を避けて、挨拶に回っている様子だ。

愛理のそばに来たなら、誠二に何を言われるのか、美穂は気が気じゃないのだろう。愛理の様子を気にしている美穂と目が合うと、手にした名刺をトランプで相手にカードを引かせるときのように広げてみせる。すると、美穂は顔を引きつらせ、そっぽを向くのだ。


名刺の数だけ、SNSで拡散される可能性が高くなったと、美穂は作り笑顔の下で、冷や汗をかいているのだろう。

そう思うとクスクスと笑いがこぼれてしまう愛理だった。


そして、密かに考える。

もう一度だけ、美穂へチャンスをあげようと。




自ら、招待をしておいて挨拶をしないわけにはいかずに、最後の最後、誠二に促されるように美穂が、愛理たちのもとへ挨拶にやって来た。

誠二を目の前にするのは初めての愛理だったが、フォーマルスーツも着こなしていて、背も高く、鋭気に満ちた感じだ。それでいて、大企業を担う者として、物腰が柔らかく人あたりも良い。


「はじめまして、田丸です。美穂とは大学時代からのご友人だとお伺いしております」


こんなにしっかりとした人でも、美穂のお嬢様然とした見かけと、その処世術に騙されて、結婚まで考えてしまうなんてと愛理は驚いた。そして、自分も長い間、騙されていたんだと寂しく感じる。


「大学時代から仲良くして頂いている友人なの。サークルで一緒だったのが始まりなのよ」


美穂が、笑顔を引きつらせながら簡単に紹介し、愛理を視界に留めると、そっと耳打ちをした。


「余計なことは言わないで」


瞬間、愛理の心の染みが疼きだす。

愛理が最後にあげたチャンスを美穂は逃がしたのだ。


愛理は、ふっと意味深に微笑み、バッグの口を開けると、中からスッと白いモノを取り出した。

美穂が訝し気に眉根を寄せ、それを凝視する。


愛理がバッグから取り出したのは、ただの白いハンカチだった。それを口元に寄せ、美穂の耳元で囁く。


「婚約おめでとう。幸せな夢は見れた? そういえば、償いの件がまだだったよね。明日、田丸さんと美穂の新居へ、弁護士事務所から内容証明付きの不倫に関する慰謝料請求が届くから、脅迫ではなく真っ当に請求させてもらうわ。もしかして、さっきので、ゆるされたとでも思った? まさか、そんな甘い考えだったなんて、ないよね」


「くっ」と美穂が息を吞んだのがわかった。

愛理は、挑発するようにクスッと小さく笑う。


  新居へ、弁護士事務所から内容証明付きの不倫に関する慰謝料請求など送られたら、すべてを失う。


カッとなった美穂が、手を振り上げた。


「冗談じゃないわ!」


そう叫ぶと、愛理の頬めがけ振り下ろす。

パンッと肉を打つ音が響き渡った。

  頬を叩かれた愛理は、ヨロヨロと足を縺れさせ、伸ばした手がテーブルクロスをグッと掴み、持っていたバッグを投げだすように床へ倒れ込む。


「キャーッ!」


テーブルの上のお皿やグラスが派手な音を立て、床の上に落ちていく。一斉に会場の視線が集まった。

そして、愛理の持っていたバッグ、その口は開いたままだった。

投げ出した勢いで、中身が散らばり、それは好奇の目に晒される。


口の開いたバッグからスマホとリップ。そして、裸の淳と美穂が縺れ合う写真の数々が床の上に広がった。

御曹司の婚約者が起こした騒動を、撮影しようとたくさんのスマホが向けられる。当然その写真も撮影されたり、拾い上げられたり人々の目にふれた。


「いやぁぁぁ、見ないでぇ!」

美穂の悲鳴が聞こえる。

床の上に倒れた愛理は、うつむいたままニヤリと口角を上げた。


  アルバムの写真だけで終わりだなんて、ひと言も言っていない。SDカードの録画をクラウドに保存をすれば、パソコンやスマホでいつでも映像を見ることが出来る。スクリーンショットをした写真は、コンビニに行けばいくらでもプリント出来るのだ。念には念を入れ用意した物が役に立った。


美穂は、床の上に這いつくばり、泣きながら、その写真を必死にかき集め始めた。

御曹司の婚約者としてはあるまじき姿だ。


そう、式場で故意に裸の映像を流せば、名誉棄損で訴えられる可能性がある。けれど、誤って写真が散らばってしまったのなら、それは過失であり、たとえ第三者の手によって、その写真がSNSに拡散されたとしても、愛理の責任にはならない。

いま、愛理は”美穂に殴られた被害者”であり、美穂を暴行罪で訴えることも出来る。まわりには、たくさんの証人と証拠の映像があるのだ。


「これは、いったいどういうことなんだ! 美穂、説明しろ!」


婚約式の最後に起きた惨事に誠二の怒りに満ちた声が聞こえた。


「この女が、いけないのよ! わたしのことを|羨《うらや》んで|貶《おとし》めようとしているんだわ!」


  同情を買おうと目論んだ美穂は、愛理を指差し、わざとらしく、わぁっと泣き伏せる。

その様子を見た誠二は、話しにならないとでも言うように首を横に振り、大きく息を吐き出しながら思案に暮れていた。

すると、誠二の側にどこかから戻ってきた柳田が近づき、何やら耳打ちをする。

誠二は、それに頷き、顔を上げると会場に居る人々に呼びかけた。


「この式は中止にする。婚約は取り止めだ! 皆、すまないが、帰ってくれ」


その言葉に会場がざわついた。しかし、誰が見ても納得の出来事。参加者は、興味深々な瞳を向けながら、のろのろとドアの外へ足を進め始めた。だが、中にはまだ撮影の手を止めない者もいる。


「愛理、大丈夫?」

床の上で左腕を抑える愛理に、由香里が声をかけた。柳田と一緒に戻ってきた佐久良も心配そうな顔で覗き込む。

「ドレス汚れちゃったね」


「まさか、こんなことになるなんて……」

口ではそう言った愛理だが、わざと美穂を挑発し、叩かれ、派手に転んでみせたのだ。


もしも、美穂が反省をすれば、ひっそりと内容証明を送るに留めてあげようと思っていた。

しかし、反省もせずに美穂はどうにか危機をやり過ごすことだけを考え、口先だけの謝罪で、愛理を丸め込んだと見下していたのだ。

  そんな美穂をゆるせるはずなどない。


幸せが壊れていく悲しみや絶望感を美穂にも感じて欲しかった。


「だから、あの写真はどういうことなんだ。きちんと説明しろ!」


誠二は、納得がいかないというように声を上げる。その誠二に縋りついた美穂は、潤んだ瞳で甘えるように言う。


「あの女がウソをついているのよ。わたしを貶めようとしているの。誠二さん、助けて……」


 まだ、悪あがきを止めない美穂を見据え、愛理は立ち上がった。


「私、美穂を貶めてなんていません。あの写真の美穂の相手は私の主人なんです。先日、私が出張で家を空けたときに……。控え室で美穂に問い質したら、田丸さんには言わないでとお願いされたんです」


「そんな……」


誠二は信じられないと言うように、目を見開き、手のひらで口を押え、唖然とする。


「式のときは、お祝いを言っただけなのに、私が田丸さんに告げ口するんじゃないかと思い込んで、叩いたんだと思います」


  内容証明の話しをして、挑発したことは言わないで置く。あくまで被害者の立ち位置だ 。美穂だって、内容証明の話しを自らはしたくないはずだ。

美穂がウソをついて、責任逃れをしようとするなら、愛理は本当の出来事にウソを上手く練り込んで、誠二へ話す。


「誠二さん、ウソよ。その女の言うことは、信じちゃダメよ。いまどき、写真なんていくらでも加工できるんだから! その女は、アイコラでわたしを脅して強請ろうとしたから叩いたのよ」


「私、そんな事しません。これ、聞いてください。さっき控え室で、不倫を認めた美穂が、お金振り込むって言っているのを断っています」


なにもかも人のせいにして、ウソをウソで塗り硬め、この場を切り抜けようとする美穂を、幾重にも積み重ねた包囲網で、愛理は追い立てる。


愛理は、パーティードレスについている小さなポケットから、ボイスレコーダーを取り出すと再生ボタンを押した。

  手のひらに収まる小さな機械から、控え室で交わした会話が聞こえて来る。


『ごめんなさい。お願いだから、ゆるして……。なんでもするから、誠二さんに言わないで、お願い、友だちでしょう?』


『うん、友だちだったかもね。私が思っていた友だちと違っていたみたいで残念だけど、それは仕方無いよね。でも、淳とのことは償ってもらわないと……』


『わかったわ。慰謝料を払うわ。口座番号を言ってくれれば、すぐに振り込むから! ねえ、いくら払えばいいの?』


『いやだ、そんなことをしたら、恐喝してるみたいじゃない。私、恐喝罪とかで告発されるようなマネはしたくないの……』


再生を聞いている途中で、美穂は取り乱し声を上げた。


「いやっ、ウソよ!ウソ!そんな話し知らないわ」


  聞きたくない話しになると、駄々っ子のように耳を塞ぐ美穂を、誠二は辟易した様子で見下ろした。すると、控え室にあったはずのアルバムを柳田がスッと手渡す。

アルバムを開いた誠二は悔しそうに顔を歪ませ、美穂へ告げる。


「ウソばかり付いて、いいかげんにしろ! 母からの紹介で、きちんとした家のお嬢さんだから大丈夫だと思っていたが、とんだアバズレだったわけだ……。貞操観念の無い女性と結婚する気はない」


顔面蒼白で唇を震わせている美穂を、冷たい瞳で見下ろした誠二は言葉を続ける。


「恥をかかされた責任は取ってもらおう。婚約不履行の手続きを弁護士に言っておくから、ご実家とも今後のことをよく相談するんだな」


「いやぁぁぁあ」



美穂にとって、田丸との破談は、約束された将来が立ち消え、婚約不履行で賠償金が発生するだけではない。

  美穂本人の信用はガタ落ち。今後、フラワーアレンジメント教室の経営も立ち行かなくなるだろう。そればかりか、実家である朝比奈の華道家としての看板にも傷をつけたのだ。


そして、婚約式で撮られた映像や写真は、参加者によってSNSにUPされるはずだ。

  この先、朝比奈美穂の名前を検索にかければ、なにかにつけ、その映像や写真が表示される。

本人がどんなに嫌がろうとも、この先、一生消えない汚点が付き纏う。


  スリル満点の不倫は、背筋も凍る結果になったのだ。



◇◇◇

「はーぁ、疲れたぁ」


帰りのタクシーに乗り込んだとたん、佐久良は首のつけ根を押さえて、ぐりぐり回している。隣の席に並んで座る愛理は、申し訳ない気持ちで話し出した。


「ふたりともごめんね。せっかくキレイにしてパーティーに出たのに、こんなことになって」


「しょうがないよ。あれは美穂が悪かったんだから……」


由香里がそう言った後に、佐久良が渋い顔で口を尖らせた。


「そうそう、あのアルバムの写真。改めて見たらすごかった」


「あれ? 《《改めて》》って、いつ見たの」


「ほら、柳田さんと会場にいたとき、わたしが口を滑らしていたでしょう。会場を抜けたときに、そのトラブルの原因を聞かれたから、控え室に行って、あのアルバム見せたの。おかげで、一番のハイライトシーンを見逃しちゃったけどね」


「あのアルバムを柳田さんに渡したの佐久良⁉」

由香里は目を丸くして、驚きの声をあげた。


「えっ? ダメだった? 」


「ダメじゃないよ」


愛理が言うと由香里が親指を立てた。


「むしろグッジョブ」


 婚約不履行の証拠として、あのアルバムを利用してくれるなら、どうぞお使いください、の気持ち。佐久良は期待以上の働きをしてくれたのだ。


「それと……愛理、ごめんね」


愛理と由香里ふたりの様子にホッとした表情を見せた佐久良が意外な言葉を口にした。


「えっ⁉ 何が?」


「隣の芝生は青いじゃないけど、愛理のところが幸せそうに見えたの。自分も幸せになりたくて、淳くんのこといいなって、思って……実はアプローチしようとして仕事頼んだんだ。でも、外から見るのとちがうし、不倫はリスクが大きすぎるわ。反省してる」


あれだけ、あからさまにアプローチをしたら、さすがに気が付いている。なにせ、最初は佐久良が不倫相手ではと、疑ったぐらいだ。でも、今では佐久良を責める気にはなれない。


「私、結婚したら幸せで居られると思っていたんだ。それで、いろいろ頑張ったんだけど、ぜんぜんダメだったの。それなのに、幸せアピールしてバカみたいだったよね。でも、もういいんだ。これからは、自分で自分を幸せにするって、決めたの。佐久良も幸せになってね」


それを聞いて、由香里がフフッと笑う。


「愛理は、おばあちゃんになったら、わたしと幸せに暮らすんだもんね。佐久良は佐久良の幸せを探してね」


「えー! 仲間ハズレにしないでよ」


タクシーの中、そんな冗談を言い合って、心からの笑顔になった。もしも、おばあちゃんになって、3人で集まるようなことがあったら、今日の日の出来事を「あのとき大変だったよね」と笑いながら、思い出話として語る日がくるのかもしれない。そんなことを愛理は思った。








だって、しょうがない

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