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その日の歌会で、僕は次の歌の批評を求められた。
子や孫と暮らしているが黒縁の中のあなたに今は会いたし
〈黒縁の中のあなた〉とは亡くなった配偶者のことだろう。歌会には配偶者をすでに亡くしたおじいさんやおばあさんが何人か参加されているので、誰の歌かは分からない。
会えるといいですねとは無論言えない。あなたも死ねば会えますよという意味になるからだ。だから歌の内容でなく表現についてだけ批評した。
「亡くなった配偶者の方に会いたいという気持ちが強く伝わってくるいい歌だと思います。でも〈会いたし〉という言葉を使わずに会いたいという気持ちを伝えられればもっとよかったと思います」
「あん?」
どうやらその歌は静香さんの歌だったらしい。金髪少女が僕の批評を聞いて、反論というか食ってかかってきた。
「会いたいのに会いたいと言って何が悪いんだよ!」
「悪いと言ってるんじゃなくて、文学とはそういうものなんだよ」
「うるせえ! おばあちゃんの気持ちも知らないくせに、学校の先公みたいなこと言うんじゃねえよ!」
確かに僕は学校の先公だけど、今それを言えば火に油を注ぐだけだろうと思って黙っていたら、当の静香さんがバラしてしまった。
「和田君は高校の先生なのよ」
「本当に先公だったのか。どうりで話が通じなさそうだと思ったぜ。どうせ学校じゃずっと優等生だったんだろ? そんなだから人の心の痛みが分からねえんだ!」
確かに学校でずっと優等生だった教員は多い。成績はオール5だったとか、いつも学級委員だったとか、生徒会長経験者とか。学校での成功者だから教員を目指す。極めて分かりやすい選択だ。でも僕は――
「ほら、違うなら何か言い返してみろよ」
「僕は学校で優等生じゃなかったよ」
「僕? 自分のこと僕なんて言う男、リアルで初めて見たぜ。で、僕ちゃん、おまえ童貞だろ。童貞じゃないと言うなら、下向いてねえでちゃんとあたしの目を見て話してみろよ!」
「僕は片目が義眼だから人に目を見られるのが苦手なんだ。だから学校では優等生どころかいじめられっ子だった。向いてないのは分かってるけど、そういう過去を乗り越えたくて教員になった。君の言うとおり僕は童貞です。恋愛や結婚はあきらめてる。義眼のせいで見た目は変だし、片目が失明してて視野が狭いから運転免許さえ持てない。そんな男でもいいと言ってくれる女の人はいないだろうしね」
童貞じゃないなら下向くなと言うから、どうせ童貞だし下を向いたままそう言い切った。
「すいません。今日はこれで帰ります」
僕は逃げるようにそのまま会場をあとにした。一生童貞なのは覚悟していたけど、それが世間的にとても恥ずかしいことなのは知っている。それをカミングアウトしてしまった以上、もう歌会には出られない。短歌会も辞めてしまおうかな――
傘をさすことも忘れていて、僕はずぶ濡れになって自宅アパートまでたどり着いた。