テラーノベル
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あの日から、ひまなつといるまは一度も言葉を交わさなかった。
同じ校舎にいても、同じ空気を吸っていても、視線が交わることはなかった。
廊下ですれ違う気配がしても、どちらともなく目を伏せる。
わざとじゃない。怖かった。
声をかけてしまえば、何かが壊れる気がして。
何も言わなければ、そのまま時間が止まる気がして。
結局、二人は最後まで“何も言わない”選択を続けた。
卒業式の日ですら。
体育館のざわめきの中、ひまなつは何度も無意識に探してしまった。
あの背の高さ。
乱暴そうに見えて、どこか不器用な立ち姿。
けれど、見つけたとしても、声をかける勇気はなかった。
そのまま、別々の進路へ進んだ。
それが“終わり”だった。
……はずだった。
大学卒業したひまなつは、忙しさに身を任せるように働いた。
朝は満員電車に揺られ、昼はデスクで急いで弁当を流し込み、夜は同僚と軽く飲むか、コンビニで済ませて帰る。
特別な夢も、大きな野心もない。
ただ、目の前の仕事をこなして、今日を終わらせるだけの毎日。
それなのに。
ふとした瞬間、いるまの影がよみがえる。
重たい扉を押す時。
人混みの中で肩がぶつかった時。
低い声で笑う誰かを見かけた時。
「……ほんと、しつこいな」
独り言のように呟いて、苦く笑う。
忘れたいわけじゃない。
でも、忘れられないままなのは、少しだけ苦しかった。
一度だけ、衝動的に電話をかけたことがある。
深夜、部屋の電気もつけず、ベッドに腰掛けたまま、連絡先を開いた。
消していない番号。消せなかった名前。
指が震えたまま、発信を押す。
数回のコール音のあと、無機質なアナウンスが流れた。
『おかけになった番号は、現在使われておりません』
一瞬、意味が理解できなかった。
何度かけ直しても、同じ声が返ってくる。
「……そっか」
スマホを握りしめたまま、ひまなつはしばらく動けなかった。
繋がらないという事実が、想像以上に胸に重くのしかかる。
もう、完全に過去なんだ、と突きつけられた気がして。
その夜は、なぜか一睡もできなかったことを今でも覚えている。
季節が巡り、街並みも少しずつ変わっていく。
ひまなつ自身も、少しだけ大人になった。
髪型も、服の趣味も、話し方も。
無意識に、子どもだった頃の自分を脱ぎ捨てるように生きてきた。
そんなある日。
「今日さ、合コンあるんだけど、人数足りなくて」
同僚にそう言われた。
「えー……俺、そういうの得意じゃないんだけど」
「いいじゃん、座って飲んでるだけでいいからさ」
半ば強引に押し切られ、ひまなつは人数合わせで参加することになった。
正直、あまり気乗りはしなかった。
知らない人と愛想笑いをして、無難な会話をして、連絡先を交換して――そんな流れが、どうにも面倒だった。
それでも断りきれず、仕事終わりに居酒屋へ向かった。
店内は、金曜の夜らしく騒がしかった。
グラスのぶつかる音。
笑い声。
注文を通す店員の声。
ひまなつたちの席は、奥寄りのテーブルだった。
向かいには、初対面の相手たちが座っている。
乾杯が終わり、当たり障りのない会話が始まる。
名前、仕事、趣味。
笑顔を作りながら相槌を打つ。
――その時だった。
ふと、視界の端に、別のテーブルが映り込んだ。
同じように盛り上がっている、別の合コンらしい席。
何気なく、目をやっただけだった。
……はずなのに。
心臓が、唐突に跳ねた。
一瞬、時間が止まったような感覚。
そこにいたのは――
少し大人びた顔立ち。
鋭さの中に、落ち着きが混ざった目元。
整えられた髪。
それでも、不敵に口角を上げて笑うその表情は。
間違いない。
いるまだ。
「……っ」
息が、うまく吸えなくなる。
目の前の会話の声が、急に遠のいた。
頭の中が真っ白になり、鼓動だけがやけに大きく響く。
似ている人、じゃない。
そんな都合のいい勘違いじゃない。
あの笑い方。
あの視線の鋭さ。
あの、どこか危うい存在感。
何年経っても、忘れられるはずがなかった。
――忘れたくても、忘れられなかった男が、目の前にいる。
ひまなつは、無意識にグラスを強く握りしめていた。
指先が、少し震えている。
(……なんで、こんなとこで)
偶然なんて言葉では、片付けられない気がした。
もう二度と会わないと思っていた。
声も、匂いも、温度も、記憶の中にしか存在しないはずだった。
それが今、同じ空間で、同じ空気を吸っている。
ひまなつの視線は、離れなくなっていた。
そして、その視線に――
いるまが、気づいた。
ふと、笑いながら顔を上げた瞬間。
視線が、真正面からぶつかる。
一瞬の沈黙。
いるまの目が、わずかに見開かれる。
驚きと、戸惑いと、そして――確かな“認識”。
ひまなつの名前を呼ぶ声は、まだ届かない。
けれど、確実に、再会してしまった。
コメント
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うわぁぁぁぁぁぁっ!?運命っ!!いるなつは運命共同体っ!! 2人で幸せになることを祈ってますっ、!
これは!運命ですな!