テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
セリカは明確に死を実感した。
牙を剥き、迫るヒムロの姿を目の端で捉えたからだ。何も考えられず、頭の中が真っ白になる。目を閉じ、痛みに備えた。
「ぐッ……」
痛みはなかった。
恐る恐る目を開けると、床から天井まで激しく血が飛び散っている。そして目の前には少し大きく見える背中。
「シオン!」
そう叫ぶアーシャのお陰で、ようやく状況を理解した。
自分の目の前にシオンが割込み、ヒムロを受け止めていたのだ。左腕を噛ませつつ、シオンの剣がヒムロを貫いている。首の左後ろから刃を刺し込まれ、心臓も破壊されていた。痙攣したのち、ヒムロはどしゃりと崩れ落ちる。
剣の抜けた傷口から血が溢れ、床を染め上げた。
「言っただろ。奇跡はない、って」
生気のないヒムロを目の当たりにして、セリカの目の前が真っ暗になっていく。獣のように襲いかかってきたあの姿を見れば、これが正しかったのだと理解はできる。しかし気持ちは別だ。仲間を殺された悲しみ、怒り、それと同時に助かったことへの感謝。矛盾が彼女を掻き乱す。
一方でアーシャ、そして天儀は純粋にシオンを心配するべく駆け寄った。
「ねぇ! ねぇ! 痛くないの!?」
「そ、そうです。あなたも竜人から傷を負ってしまって……すぐに治療を!」
「あ、あー、いや」
言い訳する暇もなく天儀に腕を取られ、診察される。しかし驚愕し、己の常識を疑う羽目になった。
「これはいったい。既に傷口も直りかけているし、赫竜病の症状も出ていない」
「俺は大丈夫です。そういう体質ってことで今は納得してください。それよりもハルの方を」
「ッ! そうだった。竜胆!」
急性侵蝕赫竜病が進行しているもう一人、八神ハルの方を見遣る。そちらは変わらず竜胆が抑え込み続けているが、ほぼ竜人化が完了している状態だった。
何かの間違いで竜胆にまで病状が感染しかねない、危険な状況である。
「そちらも俺がやります」
もう誰も、シオンを止めようとはしなかった。うつ伏せに組み伏せられるハルは、もはや理性を失っている。首から頬にかけて竜鱗が現れ、額には小さな角が生えていた。
シオンはハルの傍で立ち止まり、剣を逆手に持って振り上げる。
「あ、待って……」
弱々しい懇願に、シオンも腕を止めた。
その言葉の主、セリカは夢遊病患者のようにふらふらと、彼女の元へ近づいていく。そしてぺたりと腰を落とし、項垂れた。
「ウウ……アア……」
「ごめん。助けられなくて、ごめん」
絞り出すような、謝罪。
別れとして選んだ言葉。
シオンも歯軋りするほど食いしばり、刃を落とす。八神ハルの背中へと刺し込まれた。
◆◆◆
大型ドラゴンの腹より復活した最悪の竜人。
その見た目からして、侵食が進んでいるのはすぐに分かった。
「死にきれなかったか、源三」
郷士は顔を歪めて呟く。
デミオンブレスを止めるべく、源三は死ぬつもりで大型ドラゴンの口に飛び込んだ。お蔭でブレスは暴発し、大型ドラゴンの頭部を吹き飛ばすことになった。
これで源三も死んだと思っていた。
いや、死ななければならなかったはずなのだ。
「ちっ……最悪だな。諸刃、撃て」
『ああ』
蒼真はすぐにインカムで呼びかける。
たった一撃で人間としての死が確定する竜人を相手に、接近戦は禁忌だ。接触禁忌種と呼ばれるだけはある。遭遇すれば銃撃で対応するのが定石だ。
狙撃弾は見事に、吸い込まれるようにして竜人化した源三の左胸へと直撃した。
同時に、弾かれた。
『失敗した』
「嘘だろ……狙撃弾だぞ?」
『かなりの強度を得ているらしいな。大型の腹から出てきただけのことはある。高濃度デミオンに晒されて一気に侵食が進んだんだろう』
「冷静に考察している場合か!?」
『悪いが俺の体内デミオンが尽きている。今はこの辺りのデミオン濃度が高くなっているから、それによる自然回復を待つしかない』
「……最悪だぜ」
そうして会話する間に、源三にも変化が現れた。
彼はただ、ジッとしているわけではない。まだ変化の途上なのだ。大型ドラゴンの死体から発散するデミオンを取り込み、最悪の竜人として羽化しようとしていた。
「ガ、ガアアアアアアアアアア!」
空気を揺らすほどの咆哮。
それと同時に、源三の背が盛り上がる。そして弾けるように、二枚の翼が現れた。更には額から水晶のように半透明で、それでいて赤い角が二本生える。
竜鱗、牙、角、そして翼。
人の形状でありながら最大限、ドラゴンへと近づいてしまった竜人の末路がそこにあった。
「これでお前の援護なしか。冗談きついぜ」
『心配するな。青蘭にそっちへ行くよう言っておいた。もう夏凛さんの護衛は不要だからな』
「お前はどうするんだ?」
その問いに対し、諸刃は少し間を開けてから答える。
『……鬼塚という人にあいつの居場所を聞いておいた』
「あいつ? おい、まさか」
『竜人には”竜人殺し”だ。キサラギではいつものことだろう? 俺が連れていく』
よくよく耳をすませば、駆け足のような音も聞こえる。
既に向かっているということだろう。
「ちっ……癪だが、精々時間稼ぎしてやるよぉ!」
蒼真がそう叫ぶと同時に、源三も翼を広げて飛び出した。
◆◆◆
天儀はシオンの腕の傷を観察しながら、唖然としてしまった。竜人化したヒムロから傷を受けたにもかかわらず、やはり急性侵蝕赫竜病の症状が見られない。常識ではあり得ない事態だった。
「不思議だ。傷口に侵食が見られない」
「俺は赫竜病にならない体質なんです」
「本当……です?」
「僕が見る限り、赫竜病になっていないね」
シオンの体質は機密の部類だ。外部の組織である旭が知るはずもない。
しかし赫竜病の治療法研究をしている天儀にとって、シオンの体質は興味深いというだけでは済まないものだった。長年追い求めてきた答えの一つが、そこにあるも同然なのだから。だが、彼は道理を通さず自分の興味にだけ関心を示すような男ではない。
まずシオンに頭を下げた。
「本当にすみません。皆さんの仲間を……助けられませんでした」
それを聞いてシオンは首を横に振る。
氷花は俯き、セリカも歯を食いしばっていた。
完全に竜人化してしまったヒムロは、もはや遺体も残っていない。デミオンとして昇華してしまった。
(せめてハルだけでも人間のまま死ねたのは幸福だ、なんて俺が言う資格はないな)
そんなもの慰めにもならない。
死は、死だ。
「シオン……」
アーシャだけはシオンを慮る。
彼女とて一時的だがヒムロやハルとも行動を共にした。幌トラックの荷台と、運転席という区切られた場所ではあった。しかし身近な人物の、竜人化による死はどうしても思い出させてしまう。赫竜病で死なせてしまった、アーシャの友人のことを。
誰もが、何も言葉を出せなかった。
その時、竜胆が警戒の声を発する。
「天儀、誰か来る……です」
「こんなところに?」
「二人来る……です」
竜胆はドラゴンスレイヤーとして獲得した鋭敏な五感により、足音を知覚していた。駆け足で近づいてくるその足音は、すぐに天儀にも聞こえるようになる。
通路の角から、二人の男が現れた。
一人は自衛隊服を着た旭の職員。そしてもう一人はキサラギのドラゴンスレイヤー、六道諸刃であった。シオンは驚き、眼を見開く。まさかこのようなところで会うとは思わなかったからだ。
「シオン、仕事だ」
諸刃は端的に、まずは結論から告げた。
「外で竜人が暴れている。お前にしか処理できない」
「分かった」
幼馴染にもかかわらず、酷く事務的なやり取りだった。シオンとしても諸刃には負い目がある。”竜人殺し”として、ただ仕事として、冷たいやり取りをしてくれる方がまだ心地よかった。
ただこんな会話では納得できない者もいる。
「少し待ってください。外の状況は?」
「天儀さん、その……」
答えたのは、諸刃をここまで案内してきた旭の職員であった。
「最大の脅威だった大型ドラゴンは討伐されました。しかし……」
「問題が?」
「……落ち着いて聞いてください。源三さんが竜人化されました。現在はその討伐戦の最中です」
「親父が!?」
先とは異なり、他人事では済まない話だった。しかし驚きはすぐ怒りと悔しさに変わる。息子として、医者として、己の無力さを嘆く感情だった。
「だから無茶をするなと言ったのにッ」
「天儀さん。あなたを前に言うべきではないかもしれませんが、俺が殺します」
「それは――」
何を言うべきか分からない天儀は、苦悩し、ただ頭を下げることしかできなかった。寄り添う竜胆も、同じように頭を下げる。
どうか楽にさせてやって欲しい。そんな意図だとシオンは受け取った。
また諸刃は自分の持っていた刀をシオンへと差し出す。
「こっちを使え。その直剣よりは使いやすいだろう。旭からDアンプルも少し提供してもらった。一般用だが少しは役立つはずだ」
「助かる」
「行くぞ」
「少し待ってくれ」
咎めるような諸刃の視線を受け止めつつも、これだけは譲れない。日本語での会話だったので状況が分からず困惑するアーシャのための説明が必要だった。
「アーシャ、俺はまだ仕事がある。竜人と戦わないといけない。ここで待っていてくれ」
「あたしは!」
「……アーシャ?」
何かを言わなければならないと、アーシャは言葉を紡ぎ出そうとした。しかし分からない。何を言えばいいのか、上手く形にできなかった。
「悪い」
「あ……」
そうしている間にシオンは行ってしまう。
ただその背中に、手を伸ばすことしかできなかった。
◆◆◆
『アーシャ』
『何?』
『もしも自由になれるとしたら……俺と一緒にいないか?』
シオンの姿が見えなくなって、アーシャは思い出す。
それは小田原城での会話だった。
シオンもアーシャも、特別な体質を持っていた。そしてこの忌まわしい体質のせいで、大切な人を殺してしまった。そんな共感があった。
(あの後、なんて答えたんだっけ?)
どうしても、あの会話の後のことが思い出せない。
ただあの時の会話だけが何度も何度も頭の中で響く。
それ以外のことは溶けて消えてしまったかのように思い出せなかった。
自分はあの後、どう返したのだろうか。それがまるで思い出せない。マーブル模様の水の中を漂っているような、そんな感覚が思考をふわふわとさせる。
(あいつは……あたしと一緒がいいのかな?)
そんなことを他者から言われたのは初めてだった。
物心がついた時から研究所生活が当たり前だったし、それ以外の生活も知らない。世話役で友人だったメアリを殺してしまってからは、近づく人もいなくなった。一緒に過ごす人などいるはずもない。孤独であったがゆえに、シオンの問いかけには戸惑うしかなかった。
そして思い出す。
「あたし、まだ答えを返していない」
それを思い出し、アーシャは走り出した。
言うべきことが見つかったのだ。
「キャトルさん!? 竜胆、彼女を!」
「追う……です?」
「放ってはおけない」
突然走り出したアーシャに対応が遅れてしまった。あっという間に彼女の姿を見失ってしまう。シオンを追いかけていったのは間違いないのだから、放っておけば危険だ。
「それに親父のことも気になる」
「……です」
天儀としては後者が本音だったのかもしれない。
竜人化したという獅童源三のことを聞いて、何もせずにはいられなかった。ただ氷花とセリカには一言残しておくべきだろうと、一度止まる。
「お二人はここに。状況が分かれば戻ってきます」
仲間を失い、立ち直れない氷花とセリカはここに置いて行くしかない。
返事を聞くこともなく、天儀たちはアーシャを追って駆けだした。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
#ファンタジー
#コンプレックス