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 ──Aが帰っていない。


 ストラトス撃墜事件から、二日。

 分析、報告、各国との折衝、責任整理──

 やるべきことはいくらでもある。だが、その合間に必ず思考が逸れる。

 Aはどうしているか。

 連絡はつかない。ワタリの追跡も成果なし。


 Lは椅子から立ち上がると、誰にも告げず研究所を抜け出した。

 外気が頬に触れる。

 寒い……。

 とぼとぼと歩いていた。

 足取りは重い。

 イギリスの空気がこんなに悪く感じたのは──十四年ぶりだ。

 ふと、“ウィンチェスター爆弾魔事件”を思い出す。

 まだ“L”ではなかった頃の私。

 ヴォクスホロウから、この道を走った。

 あの時は無我夢中で、怖くて、ただ爆弾を止めなければならないという衝動だけで走った。自分が死んでもいいとさえ思っていた。

 そのくらい必死にすがりついた事件。


 あの時と同じだ。違うのは、今は子供ではないこと。そして──守れなかったこと。


 足が止まる。脳裏に焼き付くのは、粉々に散ったストラトス。

 そのすべてが“Lの判断”の結果だった。

 国家単位で見れば最善。

 戦争回避、被害最小、外交維持──すべての数値は撃墜を肯定している。


 だが。


 最後に見たAの顔が離れない。泣きながら掴みかかり、「仲間を殺すのか」「裏切るのか」「君なら止められたんだろ」と叫んだ声が、耳に残っている。

 私は世界を守ったのか。

 それとも、家族を殺したのか。

 街灯の下で目を伏せる。

 「……A」

 風に溶けるほど小さく名を呼ぶ。研究所に戻れば仕事は山積みだ。だが今はただ一つ──Aがどこにいるのか、生きているのか、それだけが気がかりだった。

 Lは再び歩き出す。

 “十四年前、爆弾を止めるために走った道”を、もう一度なぞりながら。



 『父がいるところ』へ──



 「──私は、どうすれば良かった?」

 答えはないと分かっている。それでも、言葉は止まらなかった。

 「あなたなら……どうしましたか?」

 ウィンチェスター大聖堂。

 足元に落ちる、焼き付いた影。

 けれどLにとってそれは、ただの影ではなかった。

 命を懸けて自分を守った人。

 すべてを背負い、盾になり、道を示し続けた人。


 「私は……あなたみたいにはなれなかった」


 返事はない。

 答えてくれる人はどこにもいない。


 「何も、守れなかった……」


 声が、風に溶ける。


 「……なんで、こんな時にいないんですか」


 一瞬、言葉が詰まる。




 「──キリスさん」




 その名を呼んだ瞬間、胸の奥が軋んだ。

 沈黙。

 外の風だけが、街路樹の葉を揺らしている。


 ──カサ……カサ……


 不意に、乾いた音が耳に触れた。

 紙が擦れるような、軽い音。

 Lは、ゆっくりと顔を上げる。

 「……?」

 この辺りは瓦礫だらけだ。

 ゴミ袋も、新聞紙も、飛ぶようなものはない。

 風が鳴らすには、不自然な音。


 ──カサ、……カサ。


 なんの音だ……?

 今度は、少しだけ近い。

 Lは周囲を見回しながら、瓦礫の散らばる足元を注意深く歩いた。

 音の正体を追っていくうちに、朽ちかけた建物の影──かつて、ウィンチェスター大聖堂の祭壇があった場所に辿り着く。

 そして──そこに。


 一束の花が、置かれていた。


画像


 「……花束……?」

 土埃ひとつかぶっていない。

 枯れも萎れも見えない。ついさっき、誰かがここに置いた──そう思わせるほどに、生き生きとしたまま咲いていた。

 Lはそっとその花束を手に取った。生花の香りが、ごく微かに鼻をかすめる。

 「……なんで」

 外には、L自身が貼った「KEEP OUT」のテープが風に揺れていた。

 一般の立ち入りは禁じられている。調査関係者ですら、今となっては誰もここには近づかない。

 ──ここで、キリスさんが亡くなったことを知る者は、ほとんどいない。

 この花束が意味するもの。

 この場所を知り、死の意味を知り、わざわざここまで足を運び、生花を手向けた人物──



 ──その意志は、明らかに“キリス”に向けられたものだ。



 祭壇跡に立ち尽くしたまま、Lは周囲を見渡す。

 瓦礫の隙間、割れたステンドグラス、崩壊したパイプオルガン──何ひとつ不審なものは見当たらない。

 だが、確かに「誰か」が、Lの知らぬ間にここを訪れ、花束を供え、去っていったのだ。


 ──誰が、ここに……。


 問いは、風に溶けて消えた。

 残されたのは、一つの疑問と、手の中の、色鮮やかな花束だけだった。


Chapter 1 – End


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