テラーノベル
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その日は、いつもより帰りが遅くなった。
撮影が押して、スタッフも俳優も疲労の色が濃く、現場にはどこか張りつめた空気が残っていた。
「今日なっがぁ…もう足棒やわ」
「ほんまそれ。飯行く気力も残っとらん」
「勇ちゃん大丈夫?」
「うん…平気、」
そう答えながらも、胸の奥がずっと落ち着かなかった。
仁人は少し離れた場所でスタッフと話していたが、俺の視線に気づくとすぐこっちを見る。
離さないという意志が、言葉にしなくても伝わってくる目。
帰りの車の中、仁人が話しかけた。
『今日はどうすんの?俺ん家泊まんの?』
「…いや、今日は自分のとこ帰るわ」
『あっそう、大丈夫?』
「大丈夫。ちゃんと戸締まりもするし」
仁人は一瞬だけ迷うように沈黙してから、静かに言った。
『着いたら連絡して』
「うん」
その短い会話だけで、仁人がどれだけ俺を心配しているかが分かった。
部屋に入り、鍵をかけ、チェーンも確認してからようやく息を吐いた。
照明をつけると、静まり返った部屋が広がる。
「…なんか静かすぎて怖ぇな」
スマホを取り出して、仁人にメッセージを送る。
「"今、家着いた"」
すぐに返事が来た。
『"鍵、ちゃんとかけた?"』
「"かけた"」
『"何かあったらすぐ電話して"』
そのやり取りを見て、少しだけ笑った。
過保護だな、と思いながら同時に安心している自分がいる。
シャワーを浴び、着替えを済ませて、ソファに座ったときだった。
___コン
小さな音がした。
最初は気のせいだと思った。
家電用品の音か、外の風か…
___コン、コン
はっきりと、ドアの方から聞こえて心臓が強く打つ。
「……?」
そっと立ち上がり、息を殺して玄関へ向かう。
ドアスコープを覗くと、廊下の照明に照らされた人影があった。
見覚えのあるシルエットで 背筋が凍る。
(……黒崎さん、?)
インターホンが鳴った。
短く、ためらいのない音。
動けなかった。
スマホを震える手で何とか取り出し、仁人に電話をかける。
『もしもし?勇斗?』
「…家に、来てる…」
『誰が、?』
「黒崎さん…」
一瞬、通話の向こうが無音になった。
『開けんなよ。今から行くから』
「え、でも……」
『いいから開けんな。いまからそっち行く』
その声は低く、怒りがこもった声だった。
インターホンがもう一度鳴る。
「佐野くん、いるんでしょ。少し話したいだけなんだ」
ドア越しの声は、驚くほど穏やかだった。
だからこそ、怖かった。
終わらない呼びかけに近所迷惑になるのではないかと心配が迫る。
「……今日は、無理です」
「心配になってさ。君最近調子悪かったから」
「来ないでほしいって言いましたよね」
「…君は、あの子に縛られてる」
「縛られてません」
「守られてると、思い込まされてるだけだ」
呼吸が浅くなる。
「帰ってください」
「ドア、開けてくれたら帰る」
その条件がすでにおかしかった。
そのとき、廊下の奥から足音が聞こえた。
「そこ、動かないで下さい。」
はっきりとした声が響く。
「…吉田くん?」
『なんでここにいるんですか?』
「君は、どこまで口を出すつもりだ」
『勇斗の生活すべてにですけど』
ドア越しにそのやり取りを聞きながら、胸がいっぱいになる。
「大げさだな」
「家まで来ておいて、大げさはないだろ」
だんだんと仁人の口調も荒々しくなっていった。
そして短い沈黙のあと、仁人は続けた。
『今すぐ帰らないなら、警察呼びますけど』
その一言で、空気が変わった。
「…本気で言ってるのか」
『当たり前でしょ』
黒崎はしばらく黙っていたが、やがて小さく笑った。
「君は、ずいぶん必死だね」
『恋人のためなんで』
「…勇斗君、出てこないならこっちもこっちでいろいろあるけど、どうする?」
「え…」
もしかしたら、矛先が俺ではなくて仁人に向かうかもしれない。
俺の問題なのに、仁人を傷つけてしまうかもしれない。
…仁人を失うかもしれない。
それが何よりも怖くて、ゆっくりとドアを開けた。
『勇斗開けんな!』
「あぁ、やっと出てくれたね。」
「やめてください。家に来られるのも迷惑ですし、夜ですよ。近所迷惑になります。」
「そうだね、じゃあ俺の家で話そう」
そう言って俺の手を掴んで引きずり出そうとした。
『触んな』
今までに聞いたことないような低い声と、呆れた顔。
しかし、その目は怒りに満ちていた。
仁人が割って入り、掴まれていた手首を切り離した。
『中入ってて』
そう言って、再び家の中に入ってドアを閉めた。
「何をするんだ」
『"あ、もしもし。ストーカーが家の中に入ろうとしてて…"』
「あぁ、もういい。チッ__」
足音が遠ざかる。
完全に静かになるまで、その場から動けなかった。
やがて、スマホが震える。
『"もういない。ドア、開けて"』
震える手でチェーンを外し、ドアを少しだけ開ける。
そこに立っていた仁人は、息が少し乱れていた。
『怖かったな、』
「…うん」
言葉にした瞬間、緊張が切れたように膝が震える。
仁人はためらわず一歩踏み込み、俺を抱き寄せた。
強すぎず、離さない力で。
『ごめん、一人にして』
「いや、来てくれてありがとう」
『このまま泊まってっていい?』
「うん」
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