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20
それは、とある番組の収録中に突然起こった。 一瞬だけ足元をふらつかせた仁人を、たまたま横に居た俺が受け止めた。カメラには抜かれていなかったのが何よりも救いだった。
俺の腕を掴む仁人の手が、異常なまでに熱い。
「……はや、と」
名前を呼ぶその声がひどく掠れていて、衣装から見えた首筋も汗ばんでいた。
この一瞬の間で色んな感情が、重なり、混ざり合う。どれも口に出せるものではない。伝えてしまうと、その場で相手を縛り付けてしまうから。
俺は慎重に言葉を選ぶ。仁人の腰を支え、しっかりと立たせながら、耳元で囁いた。
「この後、ね」
お互いそれだけで理解してしまう。
俺の顔を見て深く頷いた仁人は、俺から手を離してなんとか自分の足で立っている。不自然に思われないように笑みをつくり、なんともないって顔を見せながら。
いつだって、その足場は脆く、崩れてしまいそうなのに。仁人は誰も頼らない。ずっとそういう生き方をして、学んできてしまったから。
ーーー俺を除いて。
収録が終わり、楽屋へと一直線に戻った俺たちは早々に衣装を脱ぎ捨てた。仁人は苦戦していたようで、少し手伝ってやると素直に身を任せてきた。私服に着替えながら、俺はマネージャーに声をかけた。
「すいません。仁人と俺、直帰します」
「あ、分かりました。帰りどうします?タクシー呼びますか?」
「乗せてってもらっていいすか」
「すぐ手配します」
本来は事務所に一度戻る予定だった。
有無を言わさない俺の態度に、マネージャーは一瞬仁人の方を見た。しかし仁人も何も言わず黙々と帰り支度をしているので、すぐ車の手配をしてくれた。
マネージャーは事情の全てを知っているわけではない。俺からは何も伝えない。ただ、うっすらと何かを察している様子ではある。
互いに荷物を抱えて楽屋を出ると、すぐに駐車場に案内され車に乗り込む。奥に押し込んだ仁人は、荒く呼吸を繰り返しながら苦しそうに胸元を握っていた。
見かねて、俺はその手を解いて、強く握る。仁人がちらりと俺を見た。
涙で潤んだ瞳に、ぐらりと俺の理性が揺れる。
「っ、俺の家まで送ってください。できるだけ、速く」
動揺してつい声を荒げてしまう。しかし運転手はこちらを詮索することはせず、速やかに車は発進した。
すぐ隣の仁人の様子を窺う。俺の方に身体を向けて、ぼんやりと俺の顔を見ていた。汗ばんだその額を撫でると、目を閉じてふっと息を吐いた。
「苦しい?」
「……へーき」
仁人は、もう声を発することもつらいはずなのに、懸命に取り繕ってぎこちなく笑う。
どれだけ急いでも、俺の家まで三十分はかかる。どうか保ってくれ、堕ちないでくれ、と俺は必死に願っていた。
仁人の身体を寄せて、背中を撫でる。
「いい子、いい子……仁人……」
Playも始まっていないのに、何の効果もない言葉だ。そんなこと分かっていて、それでも少しでもラクになってほしくて。エゴだらけの俺の言葉なのに、仁人はぎゅっと握る手に力を込めて、少しだけ顔を上げた。
ありがとう、って。音にならない声で、確かにそう言った。
もどかしくて、でも救いたくて、俺が守ってあげたくて。俺のDom性が無ければ、仁人がSubじゃなければ、きっとこんな関係じゃなかった。そんなこと分かってて、でも仁人が俺を頼りにしてくれるその理由に縋りたくて。
こんなに苦しそうなのに。俺は、密かに幸福を感じてしまう。相手が俺じゃなければ、もっと仁人は幸せになれるかもしれないのに。
お互いの第二の性別を知ってから。Playをしてしまったあの日から。もうずっと、罪悪感で押し潰されそうだった。
それでもまだ、ギリギリで正気を保っていられるのは、紛れもなく。
「はや、と……ごめん……」
仁人が、俺を必要としてくれるから。ただ、それだけ。
仁人は俺の黒い心を晴らす、光そのものだ。
「もう喋んなって。いつも言ってんじゃん。仁人が気にするようなことは何も無いよ。俺を頼ってくれたらいいから」
それっぽい言葉で誤魔化して、いつもいつも、そうやって仁人と自分を納得させる。
悲しくなるほど、相手が必要。このギリギリの綱渡りを続ける理由は、それが全てなのだ。
車は真っ直ぐに走っていく。赤信号に捕まることも少なく、まだ気持ちが落ち着かない俺はただ焦るばかりだった。
カードキーで玄関の扉を開け、お互いすぐに部屋へと入る。仁人は抱えていた荷物を乱雑に置いたまま、靴も脱がず、俺に縋り付いてきた。
身長差がある分、必然的に仁人は俺を見上げる体勢になる。俺を求めるその瞳が必死で、支配欲と庇護欲で感情が混ざり合う。
「勇斗っ、はやと、ね、もう、おれ……っ!」
「分かってる。けど、いったんソファの方行こ?ここだと仁人が傷付いちゃうでしょ」
精一杯優しくした俺の声に、仁人は視線を彷徨わせながらもたもたと靴を脱いでいく。お互いの靴が脱げたところで、俺は仁人の手を引いてリビングへと駆け込む。
ソファに座る俺の前で、仁人は立ったまま俺を見つめている。俺の口元から、ギラギラした目を逸らさないまま。
ここが限界か、と悟る。俺は仁人に見せつけるように唇を舐めた。
「……Kneel(おすわり)」
見上げていたはずの仁人の顔が、一瞬で消える。俺の開いた足の間で、仁人はぺたりと座り込む。
やっぱり玄関じゃなくて良かった。
仁人はSub dropに堕ちるまでかなりの時間耐えることができる。だがその分、Commandが効きすぎる。
「やっと……っ、おれ、おすわりできた……!」
恍惚感を隠しもせず、全力で俺に尻尾を振る。たったひとつだ。俺が命じたCommandひとつで、仁人は全身でその嬉しさをアピールする。
だめだ、煽られる。震える手が、ゆっくりと仁人の方へ向かう。整髪剤がついたままの少し硬い髪に、触れる。
俺の手に微かに擦り寄る仁人を見て、また心が黒く侵食されていく感覚がした。
「Good boy(いい子)、仁人」
ふにゃふにゃと緩む口元が可愛らしくて、思わず俺も破顔した。
普段のツンケンした態度からは予想できないほど、従順で素直な仁人を、ノーガードで食らってしまった。頭を撫でてやりながら、俺は心のシャッターを切り続けた。
Commandを与えてもらって少し満足したのか、仁人が俺の膝にこてんと身体を預けた。
「やっぱ、勇斗のCommand……好き」
またこの素直さに、食らう。バクバクと煩い心臓を無視して、必死に冷静を装う。
「なんで急に苦しくなっちゃったの」
「んー、多分……共演してる人の中にDomが居たんだと思う。何かされたってわけじゃないけど、ちょっと高圧的だったから……びっくりしちゃった、かな」
ぽつりぽつりと話し始めた仁人の言葉に、衝撃を受けた。
「……は?」
漏れ出た俺の声は低く、仁人は目を丸くした。
俺のSubが危険に晒されていた、なんて。しかも、俺は仁人がすぐそばで苦痛を感じていたのに、気付けなかった。仁人の変化をすぐに察知できるように気を配っていたのに、どうして今日それができなかったんだ。
俺が、こんなにも近くに居たのに。
黙ってしまった俺を見て、仁人は首を傾げた。
「勇斗?」
「っ!ごめん……俺、気付けなくて」
「大丈夫だよ。俺の近くに居てもDefenseしないでって、俺が常に言ってることだし」
「……でもやっぱり、大事な時に仁人を守れないのは嫌だ」
「勇斗が支えてくれたから、あのまま最後まで現場に居られたんだよ。ね、ちゃんと上手くできてたでしょ?」
頭を撫でていた手を取られ、仁人は俺の手のひらに頬を寄せる。その瞳が、きらりと輝いた。
「……ほめて?」
まだPlay中なんだって、俺に訴えかけてくる。
そうだ。そんな過酷な状況で仁人はひとり戦ったのだ。俺が守れなかったのは悔しいけど、今はその悔しさをいったん飲み込もう。
誇らしげな俺のSubを、手放しに褒めてあげたい。ただ、気持ちはそれだけ。
するりと手を後頭部に回して、祝福するようにその額に口付けを送った。
「仁人はいっつも頑張ってるよ。えらいね。Good boy……ずっと、いい子だよ」
俺のこんな言葉が無くったって、きっと仁人はひとりで立ててしまうのに。
「……うん、うれしい。ありがとう、勇斗」
でも今、仁人がその言葉を必要としてくれるなら。笑って受け入れてくれるなら。俺はずっと、仁人の隣に居たいと望んでしまうよ。
その顔に綺麗な笑みをのせた仁人が、まっすぐ俺に向かって腕を伸ばした。
おねがい、って。声も出さず、俺に伝えた。
「Come(おいで)」
カーペットからお尻を浮かせた仁人をそのまま抱き上げ、膝上に乗せる。ぎゅうっと俺の首に腕を回して、仁人はくふくふ嬉しそうに笑う。
「仁ちゃんご機嫌じゃん」
「ははっ、なんかね、笑っちゃうの」
「Space入りかけてんじゃない?」
「そうかも。ちょっとふわふわしてる」
「……コスパ良すぎ」
「なんだよその言い方。勇斗のDomが強いんだって」
仁人が言う通り、俺はDom性が強すぎるのだ。幼い頃は特に制御が難しくて、過去に何度もPlay中に相手を壊しかけている。仁人とPlayする時は常に仁人だけに意識を集中させ、俺の本能を必死に殺す。苦しくはない。それが、仁人と居るために必要なことだと理解しているから。
「相性がいいのかもね、俺たち」
DomのCommandが効きすぎる仁人と、たったひとつのCommandに高い威力を発揮する俺と。
この状態が生殺しだって、気付いていても、気付かないふりをしていて。何も知らない仁人が何も知らないまま、Playを受け入れてくれる時間が、今は一番大切だから。
いくらでも、俺は自分を殺せるんだよ。
「……仁人がそう思ってくれるなら、俺は嬉しい」
その白い首筋に吸い付いて、何も巻かれていない、綺麗なままの首に安心する。
「そろそろCollar着ける?」
仁人からのその言葉が、腹の奥をずんと重くさせる。
仁人には伝えていないけれど、Collarを送ろうとしたことは何度もある。それでも送らない理由は……。
「着け外しする時、仁人が苦しくなるから……しない」
俺たちは常に他人から見られる仕事をしていて、なんてことないアクセサリーひとつであっても、意図しない方向で様々な憶測が飛び交ってしまう。
それに、Subにとって首輪を外す行為は精神的に苦痛を伴ってしまう。たとえ一緒に生活してすぐにケアできる環境にあっても、この職業柄生活サイクルは合わせられないのが当たり前なのだ。
仁人がひとり苦しんでしまう、そんな時間がひとつでも生まれる可能性を、俺は捨てたい。それが俺なりの守り方だから。
「……勇斗がそう言うなら、そうする」
ほら。この話をすると仁人は、いつも寂しそうな顔をする。
仁人が望んでくれているのに。それに応えられない俺自身の無力さを痛感して、苦しくなる。
「ごめん」
仁人の心を手にしたとしても、俺は仁人の綺麗な身体に、傷を付けちゃいけない。
「なんで勇斗が謝るの。俺のこといっぱい考えてくれてるの、分かってるよ」
「……じんと」
「勇斗、今日ずっと苦しい顔してる。俺のせい?俺が、弱いから……?」
少し語尾が震えた仁人の声にハッとして、思わず身体を離して仁人の顔を見つめた。
仁人が、自分を責めている。Dropに入りそうになっていたなら尚更、気持ちが揺れやすいのに。なんでそんな当たり前のことすら、俺は意識し続けられないんだ。
「違うっ!ごめん、仁人はなんにも悪くないから」
「でも……」
「仁人のこと信じきれなかった自分が悔しいんだよ。仁人はさ、ちゃんと俺に助けてって言えるでしょ?だから俺、嬉しかった」
「それは……今日は勇斗が隣に居てくれたから」
「じゃあ、今日はいっぱい仁人のこと褒めたい。だめ?」
俯きかけていた仁人の顔がパッと上がって、またふんわりとした笑顔を見せてくれた。
「いっぱい、して?」
あー。言葉の選び方が、ほんとにずるい。
きゅるきゅるな瞳で見つめられると、俺は単純だからすぐにぐらついてしまう。仁人は俺に褒められたいだけなのに、ただそれだけなのに。
「かわいいね、仁人」
猫みたいで、でも犬っぽくもあって。天使みたいで、小悪魔な部分もあって。この男が魅力的すぎて、俺の心を掴んで離さない。
「いいこ、って……言って?」
仁人がここまで素直に自分の気持ちを伝えてくれたことが、過去あっただろうか。きっとそれだけ今日は気持ちが不安定だったし、俺にケアしてほしいと強く願っている。
仁人の、頼りたい、甘えたいって気持ち、ひとつひとつをぜんぶ拾って守りたい。
できるなら、この先もずっと、ずうっと。
「……いい子」
仁人にだけ聞こえるように、耳元で小さく囁いた。にまにま笑ってお気に召したらしいが、まだ足りないようだ。
仕返しとばかりに、今度は俺の耳に囁かれた。
「はやと、もっと」
あまえた、まあるい、仁人の可愛らしい声。
可愛くて、愛おしくて、もっと大事にしたくて。俺は仁人の背中に回した腕に力を込めてしまう。押し出された息を小さく吐き出し、それでも仁人は文句も言わず、同じようにぎゅうっと返してくれる。
好きだなって、頭の中がそればかりになった。
ソファの上で愛を確かめ合うように、俺はいい子と囁き続けた。結局仁人はSpaceに入る前に眠ってしまった。
きっと仁人は朝起きた時に、昨夜の失態を恥ずかしがって布団から出てこなくなるだろうな、なんて考えながらベッドに運んだ。
その穏やかな寝顔に安堵し、静かに心の中で祈った。
「俺が、守るからね……」
これは、己の強いDom性がそうさせているのか。それとも。
俺の手をきゅっと握ったその手が愛おしくて、また仁人の額に祝福のキスをした。
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めおさん、第1話読ませていただきました……! もう、最初から最後まで胸がぎゅっとなりました。収録中のふらつきを咄嗟に支える勇斗の冷静さと、楽屋に戻ってからの焦り。そして「おすわり」のCommand一つでぺたりと座り込む仁人のギャップが、もうたまらなくて。勇斗が仁人を守りたい気持ちと、それでもCollarを着けられない理由――二人の職業や立場を考えた細やかな配慮が、じんわり切なくて、でも愛おしいです。続きが気になります…!