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橘靖竜
第201話 パイソン
【異世界・転移した学園/校庭・朝】
黒い文字列が、校庭の地面を走っていた。
if。
else。
return。
break。
意味の分からない言葉のはずだった。
だが、それらはただの文字ではない。
ハレルの〈固定界〉をずらし、リオの副鍵の光を逆へ流し、
アデルが支える外周線に黒い歪みを差し込んでいる。
ジャバは、その文字列を見て笑っていた。
「いいじゃねえか」
「細けえことは嫌いだが、相手が困ってるなら悪くねえ」
ヴェルニが炎を構える。
「お前の仕業じゃねえのか」
「俺はこんな面倒な真似しねえよ」
「だろうな」
「今、馬鹿にしたか?」
「した」
ジャバの顔が歪む。
だが、踏み込もうとしたその足元で、黒い文字列が立ち上がった。
return。
その文字が、空間に縦へ伸びる。
次の瞬間、校庭の黒い亀裂が広がった。
その奥から、一人の男が現れる。
黒い影をまとった細身の男。
目の奥には、細い文字列が整然と流れている。
皮膚の一部には、電子基板のような線が薄く浮かんでいた。
ーーパイソンーー
その立ち姿には、ジャバのような荒々しさはない。
ラストのような暗さもない。
ただ、冷たい正確さがあった。
「ジャバ」
パイソンは静かに言った。
「下がりなさい」
ジャバの眉が跳ねる。
「あ?」
「力だけでは、この盤面は崩せません」
「あなたは十分に揺らしました。ここからは私が処理します」
ジャバが低く笑う。
「俺に命令してんのか」
「はい」
パイソンは即答した。
「カシウス様の目的に必要だからです」
ジャバの周囲の影が膨れ上がる。
だが、パイソンは少しも動じない。
「やれることと、勝てることは違います」
「あなたは前者です。私は後者を選びます」
ヴェルニが小さく言う。
「嫌な言い方する奴だな」
アデルは副鍵の光を保ったまま、パイソンを見る。
「ジャバより厄介だ」
パイソンの目がアデルへ向く。
「正しい判断です」
「褒められても嬉しくない」
「褒めてはいません」
パイソンは淡々と答えた。
「分類しただけです」
ハレルは主鍵を握り直した。
リオも副鍵を構える。
空気が変わった。
ジャバが出てきた時は、暴力の圧だった。
だが、パイソンが出てきた今は、戦場そのものの足場が揺れているようだった。
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/体育館・朝】
体育館の床に、黒い文字列が浮かんだ。
ほんの一瞬。
だが、サキは見逃さなかった。
if。
name。
role。
その文字が、名前確認の光に触れようとしていた。
サキは紙を握り直す。
「続けます」
「名前を先に。役割はあと」
青山先生が頷く。
「私は、青山和子です」
「三年二組の担任です」
「今、体育館中央にいます」
その時、床の光が一瞬だけ歪んだ。
青山先生の声ではない何かが、重なる。
「青山和子は、避難者です」
生徒たちがざわつく。
「え?」
「先生じゃないの?」
「今の何?」
ダミエがすぐに声を張った。
「聞くな!」
「今の声には名前がない!」
サキも叫ぶ。
「青山先生、もう一回!」
「名前からお願いします!」
青山先生は震えながらも、はっきりと言った。
「私は、青山和子です」
「三年二組の担任です」
「今、体育館中央にいます」
床の光が戻る。
ノノの声がイヤーカフから入る。
『今の、パイソンの干渉!』
『名前は変えられてない。でも、役割を別のものに差し替えようとしてる!』
サキは息を呑んだ。
「先生を、先生じゃなくしようとしてるの?」
『そう』
『担任を避難者に、生徒を不明者に、体育館を閉鎖区画に、みたいに意味をずらしてる』
ダミエが低く言う。
「結界も同じだ」
「守る結界を、閉じ込める結界に変えようとしている」
サキは、体育館にいる生徒たちを見た。
みんな怖がっている。
それでも、ここで声を止めたら、パイソンの言葉が入り込む。
サキは大きく息を吸った。
「みんな、聞いて!」
「変な声が入っても、名前のない声には従わないで!」
「自分の名前を言って!」
「隣の人の名前を呼んで!」
「先生の名前を呼んで!」
生徒たちが、震えながらも声を出し始める。
「小森ハルカ、います!」
「内田ソウタ、います!」
「青山和子先生、います!」
サキは頷く。
「そう!」
「名前を先に!」
床の黒い文字列が、白い光に押し返される。
だが、完全には消えない。
体育館の端で、記録用の光具がかすかに揺れた。
空になった箱があった場所だ。
箱はもうない。
ただ、そこに誰かがいたという記録だけが残されている。
サキは一瞬だけ、そちらを見る。
あの子は、もう箱の中にはいない。
どこかで、自分の道を探し始めているはずだ。
だからこそ、ここを敵に使わせるわけにはいかない。
サキは記録用光具の前に立った。
「ここは、誰かを閉じ込める場所じゃない」
「私たちが覚えている場所」
「勝手に意味を変えないで」
記録用の光が、少しだけ落ち着いた。
ダミエが短く言う。
「続けろ」
「そこも、記録として固定しろ」
サキは頷いた。
「うん」
◆ ◆ ◆
【現実世界・旧学園跡地周辺/仮設指揮所・朝】
現実側でも、異常は広がっていた。
森の外周に並ぶ光具の線が、何度も歪む。
南西だけではない。
北側、東側、校門付近にも、黒いノイズが入り始めている。
日下部は画面を見ながら叫んだ。
「外周線の意味が変えられています!」
城ヶ峰が聞く。
「どういうことだ」
「外周線は、本来“ここから内側が学園跡地”と示すためのものです」
「でも、パイソンの干渉で、
一部が“ここから先は入ってはいけない閉鎖区域”に変えられようとしている」
「そうなると、現実側から学園を掴む線が、逆に学園を押し返します」
木崎が眉をひそめる。
「守る線が、追い出す線になるってことか」
「はい」
森の奥から、また声がした。
「第一班は外周線を解除してください」
相馬班長が即座に叫ぶ。
「誰の指示だ!」
声は答えない。
木崎が森へ向かって言う。
「名前を言え」
沈黙。
木崎はカメラを構えたまま、低く言った。
「名前のない命令は無効だ」
すると、森の奥で黒い文字列が一瞬だけ乱れた。
日下部が叫ぶ。
「今ので干渉が弱まりました!」
「現実側でも名前確認が効いています!」
城ヶ峰は即座に無線を開く。
『全班へ』
『これ以降、命令を受けた場合は、発信者の名前を確認しろ』
『役職だけの命令には従うな』
『自分の名前、班長の名前、現在位置を声に出せ』
各班から返答が続く。
『南西一班、相馬。現在位置、旧学園南西外周』
『北側二班、村井。北側外周線、維持』
『東側三班、加納。東側道路封鎖、継続』
名前が重なるたび、外周光具の揺れが少しずつ減っていく。
木崎は森の奥を見た。
「相手は、言葉でこっちを崩してくる」
城ヶ峰は冷静に返す。
「なら、こちらも言葉で戻す」
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/校庭・朝】
パイソンは、校庭の中央に立っていた。
ジャバは不満そうに後ろへ下がっている。
だが、完全に退いてはいない。
「さっさとやれよ」
ジャバが言う。
「細けえことしてる間に、俺がぶっ壊した方が早いだろ」
パイソンは振り返らない。
「あなたが壊せるものは、もう彼らが守り方を覚えています」
「だから、壊すのではなく、意味を変えます」
パイソンが片手を上げた。
黒い構文が、校庭全体へ広がる。
if name == role。
else break。
return null。
文字列が、地面だけでなく、空中にも浮かぶ。
ハレルは主鍵を構えた。
「来る」
パイソンは静かに言う。
「主鍵の役割を変更します」
黒い構文が、ハレルの主鍵へ向かう。
ノノの声が飛ぶ。
『ハレル、名前!』
『先に自分の名前で固定して!』
ハレルはすぐに言った。
「雲賀ハレル」
「ここにいる」
主鍵の光が白く強まる。
パイソンは表情を変えない。
「では、条件を追加します」
黒い文字が主鍵の光に絡む。
if 守る対象 > 一つ。
break。
ハレルの主鍵が軋んだ。
「っ……!」
守る対象が一つを超えると、固定界が途切れる。
ハレルはその意味を直感した。
今、校庭も体育館も外周も守ろうとすれば、主鍵が切れる。
リオが叫ぶ。
「ハレル、広げるな!」
「分かってる!」
ハレルは歯を食いしばり、光を一点へ絞る。
だが、そこへパイソンが次の構文を重ねる。
if 一点 == 外周。
return 校舎。
「何だ……!」
固定しようとした場所が、ずれる。
南西外周を止めようとした光が、校舎側へ流れかける。
アデルが即座に踏み込んだ。
「ハレル、外周は私が受ける!」
彼女の左腕の副鍵が光る。
「私はアデル」
「ここで外周を支える」
副鍵の光が、南西外周を受け止めた。
ハレルの光がずれかけた分を、アデルが引き戻す。
パイソンが初めて、わずかに目を細めた。
「副鍵で補正しましたか」
アデルは言う。
「分類だけで戦場を測るな」
「分類は有効です」
「人は分類だけでは動かない」
パイソンは、少しだけ首を傾けた。
「興味深いですね」
リオがその隙に踏み込む。
「〈光刃・第三級〉!」
光刃がパイソンへ向かう。
だが、刃が届く直前、空中に文字列が浮かんだ。
if attack == direct。
return source。
光刃が反転した。
リオ自身へ戻ってくる。
「っ!」
リオは横へ跳ぶ。
光刃が腕をかすめ、制服の袖が裂けた。
ハレルが叫ぶ。
「リオ!」
リオは歯を食いしばる。
「自分の術を返された……」
パイソンは淡々と言う。
「直接攻撃は、発生源へ戻しました」
ヴェルニが炎を構える。
「じゃあ、直接じゃなけりゃいいんだろ!」
炎が地面を走り、パイソンの足元を囲む。
だが、パイソンはまた手を動かす。
if field == fire。
return smoke。
炎が黒い煙へ変わる。
ヴェルニが顔をしかめる。
「気色悪い真似しやがる!」
「真似ではありません」
パイソンは静かに答えた。
「条件を変えただけです」
その瞬間、ジャバが横から突っ込んできた。
「条件だの何だの、うるせえんだよ!」
ジャバの拳が、黒い影をまとってヴェルニへ迫る。
ヴェルニは反応が遅れた。
「しまっ――」
アデルが叫ぶ。
「ヴェルニ!」
ハレルが咄嗟に〈固定界〉を出そうとする。
だが、足元に黒い文字が浮かぶ。
delay。
ほんの一瞬、光が遅れた。
その一瞬で、ジャバの拳がヴェルニの腹へ入る。
「がっ……!」
ヴェルニの体が吹き飛び、校庭を転がった。
リオが叫ぶ。
「ヴェルニ!」
ジャバは肩を鳴らし、凶暴に笑う。
「忘れんなよ」
「細けえ奴に気を取られても、俺はここにいる」
パイソンは静かに言う。
「良い動きです、ジャバ」
「褒めんな。気色悪い」
ジャバは笑って、さらに踏み込む。
影獣が再び外周へ走り出す。
パイソンの黒い構文が固定界をずらす。
ジャバの力が正面から押し潰す。
ハレルたちは、一気に防戦へ追い込まれた。
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/体育館・朝】
体育館の中にも、パイソンの影響は強くなっていた。
「私は、小森ハルカです」
生徒が言った瞬間、床に黒い文字が浮かぶ。
if name == student。
return target。
サキの顔が青ざめる。
「だめ!」
その文字が光ると、小森ハルカの足元の白い線が黒く変わりかけた。
生徒という役割を、標的へ変えようとしている。
ダミエが結界を差し込む。
「させるか」
白い線が黒い文字を弾く。
だが、ダミエの額に汗が滲む。
サキはすぐに叫んだ。
「小森ハルカさん!」
「あなたは標的じゃない!」
「三年二組の小森ハルカさん!」
「ここにいる!」
小森ハルカが震えながら答える。
「私は、小森ハルカです!」
「ここにいます!」
周囲の生徒たちも声を重ねる。
「小森ハルカ、ここにいる!」
「内田ソウタ、ここにいる!」
「青山和子先生、ここにいる!」
名前の声が重なり、黒い文字が薄くなる。
サキは息を切らしていた。
ノノの声が入る。
『サキ、名前の重ねが効いてる!』
『一人の名前を、周りも呼ぶと強い!』
サキはすぐに頷く。
「みんな!」
「誰かの足元に黒い文字が出たら、その人の名前をみんなで呼んで!」
「一人で返事するだけじゃなくて、周りも呼ぶ!」
生徒たちが頷く。
恐怖は消えない。
でも、やることは分かった。
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/校庭・朝】
ヴェルニが片膝をついて起き上がる。
「くそ……効いた……」
アデルが駆け寄ろうとする。
だが、外周線が大きく揺れた。
パイソンが淡々と言う。
「アデル。あなたが動けば、外周は落ちます」
アデルは足を止めた。
その言葉は脅しではない。
事実だった。
アデルが動けば、南西外周の副鍵支えが抜ける。
ヴェルニを助けたい。
だが、動けば学園帰還の外周が崩れる。
ジャバが笑う。
「仲間が倒れてんぞ」
「助けに行かねえのか?」
アデルの目が鋭くなる。
「黙れ」
「怒ったか?」
「黙れと言った」
アデルは動かない。
動かないまま、左腕の副鍵をさらに強く光らせた。
「ヴェルニ、自分で立て」
ヴェルニは血の混じった唾を吐き、笑った。
「分かってるよ」
「助けに来たら怒るとこだった」
彼はふらつきながら立ち上がる。
「俺はまだやれる」
ジャバが楽しそうに笑う。
「そうこなくちゃな」
パイソンは静かに指を動かした。
新しい構文が、校庭の地面へ浮かぶ。
if ally == injured。
choice: rescue / defend。
「選ばせます」
パイソンが言った。
「救うか、守るか」
「どちらを選んでも、もう一方が崩れる」
ハレルは歯を食いしばった。
サキの声が体育館から届く。
『ハレル!お兄ちゃん!』
『一人で選ばないで!』
『名前を呼んで、みんなで支えて!』
その言葉に、ハレルは顔を上げた。
そうだ。
一人で選ばない。
ハレルは叫ぶ。
「雲賀ハレル、中心を支える!」
リオが続く。
「一ノ瀬涼、校舎側を支える!」
アデルが言う。
「アデル、外周を支える!」
ヴェルニが笑う。
「ヴェルニ、ジャバを殴る!」
ダミエの声が体育館側から響く。
「ダミエ、結界を保つ!」
サキが続ける。
「雲賀サキ、名前を繋ぐ!」
それぞれの名前が重なる。
パイソンの構文が一瞬だけ乱れた。
choice: rescue / defend。
その文字が揺らぎ、白い光に押し返される。
ハレルは主鍵を握り直す。
「どっちかじゃない」
「それぞれが、自分の場所を守る!」
パイソンの目が、わずかに細くなった。
「なるほど」
「個別の名前で、選択肢を分散させましたか」
アデルが返す。
「人を二択に押し込めるな」
リオが副鍵を構える。
「全員でやれば、二択じゃなくなる」
ヴェルニが拳を鳴らす。
「俺は俺の仕事をするだけだ」
ジャバが笑う。
「いいねえ」
「また面白くなってきた」
だが、パイソンの表情は変わらない。
「では、次の条件へ移りましょう」
黒い亀裂が、さらに深く開いた。
その奥に、何かが動く気配があった。
まだ見えない。
だが、重い。
サキは体育館の中で、その気配を感じていた。
胸の奥が、嫌な形でざわつく。
何かが来る。
でも、まだ名前を呼ぶには早い。
その正体を、誰も知らない。
◆ ◆ ◆
パイソンが姿を現した。
彼は、力で壊すのではなく、意味を変えた。
守る結界を閉じ込める結界に。
生徒を標的に。
攻撃を発生源へ。
炎を煙へ。
固定界の位置を別の場所へ。
そして、ジャバはその隙を逃さず、正面から叩き潰してくる。
構文で崩し、暴力で押す。
二人が同時に動いたことで、学園の戦線は一気に苦しくなった。
だが、ハレルたちも一つの答えを掴み始めていた。
名前は、一人で支えるものではない。
誰かが呼び、誰かが応え、周りもその名を認めることで強くなる。
役割ではなく、名前。
一人ではなく、全員で。
その光が、パイソンの構文をわずかに乱した。
だが、黒い亀裂の奥では、次の何かが動き始めていた。
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おお、第201話か!パイソン、めちゃくちゃイヤな敵だな…「意味を変える」っていう能力が新鮮で面白かった。力でねじ伏せるんじゃなくて、定義や役割を書き換えてくるってのがゾッとするわ。守る結界を閉じ込める結界に変えちゃうとか、生徒を標的にしようとするとか、頭いい敵って感じで好みだ。 それに対して「名前」で抗うのは熱いな。名前をみんなで呼び合って、一人の力じゃなくて全員で支える光。パイソンの構文が乱れたシーンはガチで鳥肌立った。サキちゃんの機転も光ってたし、アデルが動かないでヴェルニを信じたところも渋くて好きだわ。次も気になる!