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第三十九章 選びたい
翔太💙「帰りたく……ない」
一段と目を細めた亮平。
翔太の頰をゆっくりとなぞると、大事な物を扱うように優しく抱き寄せた。
亮平💚「それで?」
〝自分で決める〟
翔太💙「好き……だから。一緒に居たい」
亮平の喉が、わずかに動く。
抱き締める腕が、ほんの少しだけ強くなる。
でも――
すぐには、何も言わない。
翔太の髪に触れたまま、静かに息を吐く。
亮平💚「……それ」
低い声。
亮平💚「今、誰に言ってる?」
翔太💙「……っ」
胸が、苦しくなる。
抱き締められているのに、試されている。
亮平は、急かさない。
でも、逃がさない。
亮平💚「俺?」
亮平💚「それとも」
ほんの少しだけ、抱く力が弱まる。
亮平💚「“ひとりになりたくない”に言ってる?」
翔太💙「……違」
反射的に否定しかけて、止まる。
違う、と言い切れない。
亮平は、それを感じ取ったみたいに、小さく笑った。
でも、その笑いは、少しだけ苦しそうだった。
亮平💚「……やっぱ優しいね」
翔太💙「……」
亮平💚「誰も傷つけたくないんだ」
頬に触れていた指が、ゆっくり髪を梳く。
亮平💚「だから」
亮平💚「自分が一番、ぐちゃぐちゃになる」
その言葉が、痛いくらいに優しくて。
翔太は、シャツを掴む指に、さらに力を入れた。
翔太💙「……先生」
かすれる声。
翔太💙「傷つけちゃった?」
一瞬。
亮平の表情が、ほんの少しだけ止まる。
亮平💚「そうだね、傷付いてる」
あっさりと。
隠しもしない。
翔太💙「……っ」
亮平💚「でも」
そこで、ふっと笑う。
亮平💚「翔太が来るから悪い」
冗談みたいな言い方。
なのに、全然、冗談に聞こえない。
亮平💚「そんな顔で」
額に、軽く触れる距離。
亮平💚「“帰りたくない”とか言うから」
ゆっくりと、視線が絡む。
亮平💚「帰したくなくなる」
その瞬間。
“医者”でも、
“余裕のある大人”でもない。
ただ、恋をしている男の顔だった。
――なのに。
次の瞬間には、もう戻っている。
亮平は、ふっと小さく笑うと、翔太の髪をくしゃりと撫でた。
亮平💚「……なーんて」
軽い声。
翔太💙「……え」
亮平💚「そんな顔しないでよ」
抱き締めていた腕が、するりと離れ、亮平は、何事もなかったみたいに机へ戻る。乱れた資料の端を揃え、ペンを持ち直す。
その横顔は、もう“医者”の顔に近い。
でも、さっき見えたものを、なかったことにはできない。
亮平💚「ほら」
資料を軽く持ち上げる。
亮平💚「外泊計画、途中」
翔太💙「……先生」
亮平💚「ん?」
顔だけ、こちらを見る。
柔らかく笑っているのに、どこか掴めない。
亮平💚「そんな顔されると」
小さく肩をすくめる。
亮平💚「本気で攫いたくなるから困るんだよね」
冗談みたいに言う。
でも、冗談に聞こえない。
翔太💙「……」
亮平💚「安心して」
さらりと続ける。
亮平💚「無理に選ばせたりしないから」
ペン先が、紙を滑る。
亮平💚「翔太、自分で決めたいタイプでしょ」
優しい声。
でも、その言葉は、まるで逃げ道を塞ぐみたいだった。
亮平💚「ただ」
一瞬だけ、視線が上がる。
亮平💚「比べちゃうくらいには、残りたいなって思ってるだけ」
翔太💙「……っ」
亮平💚「蓮といる時に」
小さく、笑う。
亮平💚「たまに俺のこと思い出すくらいには」
心臓が、嫌な音を立てる。
亮平は、その反応を見ても、それ以上は何も言わなかった。
ただ、何事もない顔で資料をめくる。
紙の擦れる音だけが、静かな部屋に落ちた。
ペン先がほんの数秒止まる。
それから、亮平は視線を上げないまま、小さく笑った。
亮平💚「……結局、戻ってきちゃうんだろうね」
翔太💙「先生……」
亮平💚「そういうの、嫌いじゃないよ」
軽い声。でも、翔太は気づいてしまう。
その言い方が、“余裕”で作られていることに。
亮平💚「蓮みたいに、真っ直ぐ奪えないから」
その声だけ、ほんの少し苦かった。
亮平💚「俺は、こうやって残るしかないんだよね」
亮平💚「……で」
資料を軽く持ち上げる。
亮平💚「外泊計画、途中なんだけど」
翔太💙「……」
亮平💚「仕上げ、翔太やって」
翔太💙「え……」
亮平💚「佐久間の状態、一番見てるの翔太でしょ」
ペンを回しながら、さらりと言う。
亮平💚「俺が全部決めるより」
一瞬、視線が合う。
亮平💚「翔太が考えた方が、たぶんいい」
その言葉が、妙に胸に残る。
“任される”感覚。
亮平💚「書けたら、蓮に提出しといて」
翔太💙「……先生が出さないんですか」
亮平は、くるりとペンを指で回した。
亮平💚「主治医、あっちだし……外泊をお願いしたのは翔太でしょ」
軽い声。でも、そのまま資料を揃えていた手が、ほんの少しだけ止まる。
亮平💚「症状が安定しているうちに……ちゃんと顔見て話した方がいいよ」
翔太💙「……っ」
亮平💚「逃げずに、患者とも……」
そこで初めて、まっすぐ視線が合う。
亮平💚「蓮とも向き合って……俺は待つことしかできないから――」
この話は終わりとばかりに、資料をバチンッと閉じた亮平は静かに椅子から立ち上がると、翔太をベッド隅に座るよう促すと、その隣に座った。
亮平💚「ところで、聞いてもいいかな?夜の仕事のこと」
翔太💙「……うん」
亮平💚「いつも、〝ユキちゃん〟なの?」
首を目一杯左右に振った翔太は、膝の上に作った小さな拳が小刻みに震えている。それに気付いた亮平は、そっと上から手を添えた。
亮平💚「責めたいわけじゃないよ?でも、なんでかなって思ってね……悩んでることがあるなら教えて欲しいな?」
真っ直ぐと前を向いていた顔を、翔太に寄せて覗き込んだ。
翔太💙「なんで、先生が苦しそうな顔するの?」
亮平💚「翔太が大事だからだよ」
上から添えられた手が温かくて、〝大事だから〟と言ったその言葉に流れた涙は頰を伝った。
亮平💚「俺は勧めないよ」
否定されるのは、慣れっこだ。誰だって〝やめろ〟って言う。
――蓮だってそうだった。
自分で選んだ、〝生きる道〟を否定された。
亮平💚「でも、翔太の事情知らないまま“辞めろ”とは言えない」
翔太💙「先生……変わってるね」
亮平💚「ふふっ……そう?」
亮平💚「でも、分かりたいとは思ってるよ」
翔太💙「俺……変、ですよね」
ぽつりと落ちた声は、ひどく弱かった。
亮平はすぐには答えない。
隣に座ったまま、ただ静かに翔太を見ている。
部屋の空気は静かなのに、胸の奥だけが、ずっと騒がしかった。
亮平💚「何が?」
責める響きはない。
本当に、“分からないから聞いている”声だった。
その優しさが、逆に苦しい。
翔太💙「昼は病院で働いて」
膝の上に落ちた視線が、上がらない。
白衣を着て、患者の体調を見て、薬を確認して、“ちゃんとした人”みたいに働いている。
なのに。
翔太💙「夜は、ああいうことして」
最後の方は、ほとんど消えそうな声だった。
軽蔑されると思った。
呆れられると思った。
でも、亮平は何も言わない。
否定もしないし、すぐに慰めようともしない。ただ、翔太の拳に重ねた手だけが、静かに熱を持っていた。
翔太💙「俺だって」
小さく笑う。
でも、その笑いはうまく音にならなくて、喉の奥で掠れる。
翔太💙「普通じゃないって、分かってる」
誰にも言われなくても分かっていた。
昼と夜で、まるで違う顔をしていることも。
笑いながら触れられて、名前を呼ばれて、“ユキちゃん”として求められる自分に、どこか麻痺していることも。
全部。
ちゃんと、分かっている。
翔太💙「でも」
握った拳に、少しだけ力が入る。
爪が、掌に食い込む。
翔太💙「辞めたら」
息が詰まる。
言葉にした瞬間、本当に消えてしまいそうで怖かった。
翔太💙「……たぶん、俺、何もなくなる」
静かな声だった。
泣いているわけでもない。
叫んでいるわけでもない。
なのにその一言は、助けを求める声より、ずっと苦しく聞こえた。
亮平💚「翔太は……翔太でしょ」
その声は静かだった。
“普通”とか、
“まとも”とか、
そういう言葉から、切り離すみたいに。
翔太は俯いたまま、小さく息を吐く。
翔太💙「……小学生の時に」
ぽつり、と落ちる。
翔太💙「親、事故で死んで」
亮平の手が、わずかに止まる。
でも、何も言わない。
翔太💙「そのまま、妹と幼児院入って」
翔太の声は淡々とした声だった。
慣れている声。
何度も、“説明”として話してきた声。
でも、膝の上で握った拳だけが、痛いくらい力が入っている。
翔太💙「奨学金もあるし」
乾いた笑いが漏れる。
翔太💙「妹、頭いいから」
翔太💙「医者なりたいんだって」
その瞬間だけ、ほんの少し誇らしそうに笑う。
でも、すぐに消える。
翔太💙「だから」
視線が落ちる。
翔太💙「金、いるんです」
静かな声。
言い訳みたいにしたくなくて、
でも、それ以外に言い方が分からないみたいに。
亮平💚「そっか……」
小さく落ちた声は、慰めるというより、噛み締めるみたいだった。
亮平💚「どおりで、翔太は強いんだ」
そっと肩を抱かれる。
引き寄せられるまま、翔太は亮平へ身体を預けた。
さっきまで資料をめくっていた綺麗な手が、ゆっくりと髪を撫でる。その手つきが優しくて、張っていたものが、少しずつ壊れていく。
翔太💙「……っ、ぅ……」
声を押し殺したまま、涙だけが頬を伝った。
亮平は、無理に顔を上げさせたりしなかった。
ただ、泣いている翔太を抱いたまま、静かに息を吐く。
亮平💚「……妹さんのこと、好きなんだね」
翔太💙「……当たり前、です」
少しだけ、
意地を張るみたいな声。
亮平は小さく笑った。
亮平💚「……うん」
その“うん”は、同情でも慰めでもなかった。
少しだけ遠くを見るみたいに、亮平は静かに笑う。
亮平💚「兄弟いるとさ」
ぽつり、と落ちる。
亮平💚「自分のこと、後回しにするの普通になっちゃうよね」
翔太💙「……先生も?」
亮平💚「弟いるからね」
さらりと言う。
でも、その声は少し柔らかかった。
亮平💚「気づいたら、“自分より優先するもの”になってる」
髪を撫でる手が、ゆっくり止まる。
亮平💚「だから、翔太の言ってること」
亮平💚「分かんないわけじゃないよ」
翔太💙「……ううっ」
亮平💚「頑張れてるよ。泣かないで?」
その声が優しすぎて、余計に涙が止まらなくなる。
声を上げるわけじゃない。
ただ、静かに。
次から次へと涙だけが頬を伝って落ちていく。
亮平は、何も急かさなかった。
“可哀想”とも、“辞めろ”とも言わない。
ただ、泣いている翔太の背中を、一定のリズムでゆっくり撫でている。
それが、ひどく安心した。
翔太💙「……先生」
掠れた声。
翔太💙「俺、ちゃんと出来てますか」
亮平の手が、一瞬だけ止まる。
それから、困ったみたいに小さく笑った。
亮平💚「それ、患者に聞かれたら怒るやつ」
翔太💙「……」
亮平💚「“ちゃんと出来てるか”じゃなくて」
静かな声。
亮平💚「ちゃんと、生きてるかの方が大事」
翔太の喉が、小さく震える。
亮平💚「翔太」
名前を呼ばれる。
亮平💚「もう少し、自分のこと大事にしな」
その言葉に、また涙が落ちた。
窓の外は、もうすっかり夜だった。
整いすぎた部屋の中で、初めて少しだけ、呼吸ができる気がした。
亮平💚「翔太」
名前を呼ばれて、ゆっくり顔を上げる。
亮平は、泣き跡を指でそっと拭った。
亮平💚「……無理に今、答え出さなくていいから」
静かな声。
亮平💚「ちゃんと悩んで、自分で決めな」
その言い方は、突き放しているみたいなのに、どこまでも優しかった。
翔太💙「……先生は」
掠れた声。
翔太💙「待てるんですか」
亮平は、一瞬だけ目を細める。
それから、困ったみたいに笑った。
亮平💚「どうだろ」
小さく肩をすくめる。
亮平💚「でも」
そこで少しだけ、声が柔らかくなる。
亮平💚「翔太の“一番”になれる日が来たらいいな、とは思ってる」
翔太💙「……っ」
亮平💚「まぁ」
ふっと笑う。
亮平💚「簡単じゃないの、知ってるけどね……俺っていっつも二番手だから――」
目尻に皺を寄せて、笑った亮平の顔はどこか悲しげで初めて翔太に見せた〝弱さ〟だった。
窓の外では、夜の街の光が静かに滲んでいた。
その光を見つめながら、翔太は初めて、
“選びたい”と思った。
コメント
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劣勢だなーーー💚🥺🥺🥺 強引な🖤に負けちゃいそう、、、 私はこっち大好きなんだけどなぁ。 ところで痔の人❤️どうなった???久々に会いたいよ🤣🤣🤣