カチャリ。と、屋上の鉄扉を開ける。雲2割のこんな空の夜2時には、いつも彼がここにいる。彼の立ち姿はどこか煙のようで、ほうっておいたら、どこかに消えてしまうんじゃないかなんて。
「…スマイル。こんなとこにいたら凍えちゃうよ」
そう声をかければゆったりと顔を上げ、こちらを切れ長な紫の双眸が見やる。
「…そうか。もうそんな時間か。………ありがとう、Broooock」
どういたしまして。軽く笑って答えても、彼の足は張り付けられたようになかなかに動こうとはしない。髪を引かれるように、ゆったりと、その双眸は再び空に向けられている。
「雲で、一等星は見えないね」
だから、僕が体を寄せるのだ。僕の、スマイルよりほんの少し高い体温が、彼に伝わるように。彼が人の温もりを感じて、それに甘えて貰って、ただただ冷たい夜に彼が消えてしまわないように。
「見えなくても良いんだ。一等星でなくとも、星は輝いてる」
「そんな星があるから、一等星がより輝いて見える……そうでしょ?」
彼はふっ、と笑うと星々に背を向け、扉に向かって歩き始める。振り返ることもなく。僕はその背中を見送る。
今回で8回目だ。スマイルがここに来るのも、ほとんど変わらない会話をするのも。スマイルが、以前の戦争で薬を打たれて、毎日、眠っている間に前日までの記憶が消えるようになってから。スマイルは、日々の出来事や、僕らのことをスマホのメモに毎回残しているらしい。幸いにも、きんときが、薬をスマイルが打たれた直後に効果を判別することができたから、記憶をなくして目覚めるスマイルに、充分な情報共有が可能になったのだ。治療薬の開発にはあと数日が必要らしい。
僕たちはスマイルを監視しているといっても間違いじゃない。記憶のない彼が、メモの文体からでしか、他者への感情を慮れない彼が、軽い思いで、僕らから離れることを選んでしまわないように。
「Broooock?来ないのか?」
扉の隙間からひょこりと顔が覗く。鉄扉の向こうで待ってくれていたようだ。
「ごめーん。今行く!」
駆け寄って、サラサラの髪を撫でてみる。何すんだよ、と不満気な声に思わず笑いが溢れる。笑いの止まらない僕に苛立ったのか、思いっきりデコピンをくらった。思わず両手で抑えるくらい痛かったけど、スマイルが遠慮しなかったことが嬉しくて、もっと笑ってしまった。スマイルは引いたりはせず、ただただ呆れている。
記憶喪失を不安視していたのも、スマイルより僕で、僕らなんだと思う。
「やっぱスマイルはかっこいいね」
「きゅ、急に何いってんだ…」
思いきり背を向けた彼の耳が真っ赤に色づいた。
コメント
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治療薬の存在があってよかった…救われる… 記憶喪失でも周りが知らない人でも頑張って生きてるほぼ満身創痍のスマさん想像したらかわいいな