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終わりのない逃走劇が繰り広げられるこの世界において、唯一の救いがあるとすれば、それは『食事』の概念が存在することだろう。
恐怖と疲労で削られた精神は、温かいカロリーを摂取することで驚くほど容易に修復される。
「お待たせしました! 本日の新作、クアトロフォルマッジ・ハニーメープル添えです!」
サバイバーハウスのダイニングテーブルに、赤いシャツを着た青年――エリオットが、焼きたての大きなピザをドンッと置いた。
途端に、とろける四種のチーズと、甘いメープルシロップの香りがリビングいっぱいに広がる。
「ヒュー! 最高だぜエリオット! やっぱお前のピザがねえと始まらねえな!」
シェドレツキーが歓声を上げ、一切れを豪快に口へ運ぶ。さらに、反対の手に持っていたフライドチキンを、ピザの咀嚼もせずに口へ運んでいた。見ているだけでも胸焼けしそうだ。
賑やかな食卓の端で、僕は静かにフォークを構えていた。
もちろん、クールで論理的な人間たるもの、食事の席で声を荒げてはしゃぐような真似はしない。あくまで冷静に、一口サイズに切り分けたピザを口に運ぶ。
「……」
美味い。
なんだこれは。脳内の報酬系ネットワークが激しく発火しているのが分かる。チーズの濃厚なコクを、メープルの甘みが信じられないほどのシナジーで包み込んでいる。
「食後の紅茶もどうぞ。ええっと、Fauxさんはいつも通り、お砂糖三つでいいですか?」
エリオットが、湯気を立てるティーカップと、角砂糖の入った小瓶を差し出してくる。
「……ええ。脳の疲労回復には、糖の迅速な補給が不可欠ですから」
僕は丸眼鏡を押し上げ、角砂糖を三つ、紅茶に落とした。
……甘すぎる。
「……どうですか、Fauxさん? ピザ、ちょっと甘すぎましたか?」
エリオットが、心配そうな顔で僕を覗き込んできた。
「……いえ。複数種類のチーズから分泌されるグルタミン酸と、メープルシロップの糖分が引き起こすメイラード反応が、味覚受容体に対して極めて合理的なアプローチを行っています。栄養学的見地からも、次回の逃走に向けたカロリー源として高くひょうか、評価できるかと」
「えっと……つまり?」
「……美味です」
僕は丸眼鏡を押し上げて視線を逸らした。
「ふふっ、良かったです!」
エリオットは嬉しそうに微笑み、キッチンへ戻っていった。
主観的な「美味しい」という単語だけで表現するなど、分析力に欠ける行為だ。僕のように化学的かつ客観的な指標を提示することこそが、彼に対する最も誠実でクールな賛辞である。僕は自分の完璧な返答に内心で小さく頷いた。
しかし、ふと視線を感じて顔を上げると、向かいの席に座るチャンスが、呆れたような、けれどどこか温かい笑みを浮かべて僕を見ていた。
(……何故、そんな目で見られなければならないのですか)
まただ。彼はいつも、僕が無理をしているとでも言いたげな目で僕を見てくる。僕はごく自然に、論理的な『僕』として振る舞っているだけなのに。
僕は内心で首を傾げながら、激甘の紅茶で喉を潤し、二切れ目のピザに無言で手を伸ばした。
騒がしくて、温かくて、呆れるほどに平和な食卓。
いつ始まるかも分からない死のゲームの待機所であるはずのこのハウスが、気付けば僕にとって、ひどく居心地の良い場所になってしまっていた。
サバイバーハウスの消灯時間を過ぎた、深夜。
薄暗い廊下を、奇妙なステップを踏みながら進む一つの影があった。
「……シュッ。現在、仮想キラーの攻撃を回避。反撃のための懐への潜り込みルートを進行中」
少し大きめのダッフルコートに身を包んだ少女、Fauxである。
彼女は伊達の丸眼鏡を中指で押し上げ、ひどく真剣な顔でシャドーボクシングならぬ、シャドー回避の練習をしていた。
なぜそんなことをしているのか。
それは、本日の試合での脳内反省会に起因する。
彼女は後方支援要員として味方を回復する役割を担っているが、極度の運動音痴ゆえに、ちょっとした足のもつれで転倒し、結果的に前衛の負担を増やしてしまうことが多々あったのだ。
(僕の生存確率を上げるためには、さらなるフットワークの向上が不可欠。そこで導き出された最適解が、彼からの技術供与です)
Fauxの視線の先。
リビングのソファで、一人のサバイバーが黙々と一振りのダガーを手入れしていた。
Two Timeだ。
彼は試合中、キラーの死角から素早く懐に飛び込み、ダガーを突き立ててスタンを奪う遊撃手である。
彼のあの無駄のないステップをマスターすれば、僕のクールで完璧な戦術的価値はさらに高まるはず。
Fauxはゴクリと息を呑み、さらに姿勢を低くしてTwo Timeの背後へと忍び寄った。
(残り3メートル。完璧です。このまま彼の背後を取り、僕の敏捷性の高さを証明してみせ――)
ドンッ。
「……あ」
完璧な計算に基づいてステップを踏んだはずのFauxの足は、無残にも、昼間にShedletskyが置きっぱなしにしていた空のコーラ缶に見事にクリーンヒットした。
カランカランッ! という派手な音が、深夜の静寂なリビングに響き渡る。
それに驚いたFauxはバランスを崩し、見事な放物線を描いて前方にダイブした。
ドサァッ!!
盛大な音と共に、FauxはTwo Timeのすぐ後ろで絨毯に顔から突っ込んだ。
「……」
「……」
数秒の沈黙。
「あはは、大丈夫? 派手に転んだね、Faux」
どこかのんびりとした声で笑いかけてきた。
「ち、違います!!」
Fauxは真っ赤な顔で跳ね起き、ダッフルコートの埃を払いながら叫んだ。
「これは深夜帯におけるハウス内の障害物配置の調査と、金属音の反響率をけいっ、計測するための、きわめて合理的な……っ!」
「ふふっ、そっか。コーラ缶を踏み抜いて顔から転んだだけに見えたけど、調査だったんだね。……で、僕の背後で何をしていたのかな?」
Two Timeが小首を傾げてFauxを見上げる。
彼の物腰は柔らかいが、どこか浮世離れした不思議な雰囲気を纏っていた。
「……その。貴方の、キラーの懐に潜り込むフットワークのアルゴリズムについて、少しだけ教えを乞おうかと」
「僕の動きを?」
「はい。僕のクールな計算力に貴方の素早いステップが加われば、戦術的に無敵の相乗効果が――」
「うーん、アルゴリズムって言われてもなぁ」
Two Timeは困ったように微笑み、手元のダガーをくるりと弄んだ。
「僕のあの動きは、計算とか理屈じゃないんだよね。もっとこう……精神的なものというか」
「精神論、ですか? それは僕の論理的思考とは最も対極にある概念ですが……」
「そう? でも、僕がキラーの攻撃を恐れずに踏み込めるのは、全て『スポーン』の深淵なる導きのおかげなんだ」
「……はい?」
Fauxの眼鏡が、ずり落ちた。
Two Timeは立ち上がり、突如として目を輝かせながらFauxの両手をガシッと握りしめた。
「ねえ、Fauxも『スポーン教』に入信してみない? 今なら『二回目の命』が手に入るよ」
「に、二回目の命……? それは、システム的なリスポーンのことですか?」
「ううん、もっと神聖なものだよ。これさえあれば、一度目の命を懸けてキラーの懐に飛び込むことなんて少しも怖くないんだ。素晴らしい教えだと思わない?」
「……非科学的ですね。その『二回目の命』とやらは、どういった等価交換のプロセスを経て獲得できるんですか?」
Fauxが胡乱な目を向けながら論理的なツッコミを入れると、Two Timeはニコニコと営業スマイルを浮かべたまま答えた。
「んー? 大したことじゃないよ。ちょっとした儀式をして……そうだな、捧げ物をするだけ」
「捧げ物。……具体的には?」
「……細かいことは入信してからのお楽しみ! さあ、Fauxも一緒にスポーンの導きを――」
「き、却下です!! 非科学的かつ狂気的なアプローチは、僕の信条に反します!!」
Fauxは慌てて手を振り払い、ドン引きしながら後ずさった。
最初は耳障りのいいメリットだけを提示して、入信後色々と搾り取られるという、典型的な手法に見えた。
「えー、残念。すごく良い宗教なんだけどな」
Two Timeは本当に心底残念そうに肩を落とすと、再びソファに座り直した。
「でも、無理に僕みたいに動こうとしなくてもいいんじゃないかな」
「……え?」
「僕は直接キラーの懐に飛び込んでスタンさせることしかできないけど、FauxやElliotの回復がないと、前衛のみんなは戦線を維持できないでしょ?」
彼は、ダガーを鞘に収めながら、中性的な微笑みをFauxに向けた。
「適材適所ってやつだよね。だからFauxは、そのまま後ろで僕たちを支えてくれればいいよ。……無理してステップ踏んで転んで、キラーのターゲットを取られるよりはマシだからさ」
「……っ!」
それは、どこか掴みどころのない彼なりの、最大限のフォローだった。
Fauxは耳の先まで赤くしながら、ずり落ちた丸眼鏡を指でグッと押し上げた。
「……当然です。僕の完璧なサポートがあってこその、貴方たちの遊撃ですから。今後も、僕の回復圏内から出ないように立ち回ってください」
「あはは、頼もしいね。でも、もしもの時はいつでも言ってよ。復活の儀式、手伝うからさ」
「絶対に言いません!!」
Two Timeはクスクスと笑い、再び手元のダガーのお手入れに戻っていった。
一人残された廊下で、Fauxは熱くなった頬を両手でパタパタと仰ぐ。
「……よし。僕のフットワーク改善は、宗教上の理由により完全凍結と判断されました」
誰に聞かせるでもなくそう呟き、Fauxは自室へと向かって早足で逃げ出す。
やはり彼女には、前線を飛び回る遊撃手よりも、少し離れた安全圏から仲間たちを見守る不器用な『光』のポジションが、精神衛生的にも一番似合っているのだった。