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平和な日常は、常に唐突に断ち切られる。
足元の空間が歪み、赤いタイマーが【04:00】を示した瞬間、僕たちは廃遊園地のマップへと転送されていた。
暗闇の奥から、チェーンソーの駆動音が響いてくる。今回のキラーがSlasherであることは、目視せずとも分かった。
「固まれ! 各個撃破はさせない!」
ゲストの鋭い指示が飛ぶ。
ゲストたちはターゲットを取るため、道の真ん中、ケーキの置かれているテーブルがある建物の真横で待ち構えた。背後に複数の退路を確保しつつ、どの発電機からも離れた最適な迎撃ポイントだ。シェドレツキーが剣を構え、その横に並ぶ。
僕はわざわざ姿を現さなくても回復できるため、建物の中に隠れておく。
窓からゲストの姿を視認しながら、いつものように背中に『Vital Sync』の緑色の生体リンクを繋ぐ。
(よし、ここまでは完璧だ)
ここ数回の試合で、僕は自分の支援アビリティの使い方にかなり慣れてきていた。少しだけこの危険な世界で上手くやれている、という過信が芽生え始めていたのだ。
しかし。
暗闇の中から、不気味なホッケーマスクが姿を現した。キラーのお出ましだ。
彼はゲストたちの存在に気付くと、マチェーテを構え、恐ろしい速度で距離を詰めてきた。
「……」
ゲストは無言のままキラーの前に立った。
Slasherがマチェーテを振り下ろす。ゲストはそれをブロックで斜めに逸らし、その反動を利用して鋭い拳を叩きこんだ。
そのスタンがチェイス開始の合図だった。ゲストは攻撃を躱し、あるいはいなして、純粋な暴力の化身に対しても一歩も引かない実力を見せた。
あのお調子者のシェドレツキーも横から剣を当て、スタンの連携に成功している。他のサバイバーたちも各々の役割をこなし、戦況は安定しているように見えた。
その時、戦闘が激化し、キラーに押し込まれたゲストの姿が、建物の窓の死角へと外れそうになる。
『Vital Sync』は対象が視界から外れれば途切れてしまう。
「キラーの視界外に移動して、射線を確保します」
僕は冷静に状況を判断し、頭の中で完璧なルートと到達時間を計算した。ダッフルコートの裾を翻し、窓のすぐ左手の出口から出て、道の中央に出た。
……しかし、ここで僕の致命的弱点が牙を剥いた。
グキッ。
視界が、ぐらりと反転した。ガンッ、と膝と肩を地面に打ち付ける鈍い音。肺から空気が強制的に押し出され、息が詰まる。
「ひゃうっ!?」
ワンテンポ遅れて、脳が状況を演算する。
(足を取られた。装飾石だ。姿勢制御、負荷。最寄りの遮蔽物は――)
思考より先に、手から滑り落ちた端末がカランと音を立てた。ゲストとの生体リンクが、プツリと切断される。
その小さな音を、キラーが聞き逃すはずがなかった。Slasherはこちらを振り向く。仮面の奥の瞳が、床に這いつくばる僕に固定される。
立ち上がる暇もない。マチェーテが振り上げられ、チェーンソーの轟音が耳を劈いた。
「Faux!」
怒号と共に、迷彩服の影が僕の前に滑り込んだ。ゲストだ。彼はキラーに対して半身に構え、キラーとの間に斜めの防壁を作るようにして自身の両腕を上げた。
Slasherの凶悪なマチェーテとチェンソーの連撃が叩き込まれる。
ゲストはそれをただ耐えるのではなく、衝撃を殺しながらジリジリと斜め後方へステップを踏み、キラーの圧力を壁側へと誘導していく。
「立て! Faux! 走れ!」
彼が、自らの身を削って僕の退路をこじ開けてくれている。早く立って逃げなければ。頭では完全に理解しているのに、体が追い付いてこない。
僕の足はガタガタと震えて全く力が入らなかった。無様に腰を抜かしたまま、僕はただ見ていることしかできなかった。
キラーの圧倒的な連撃の前では、その洗練された防御技術をもってしても完全にダメージを防ぐことはできない。迷彩服が切り裂かれ、赤い血が激しく飛び散る。彼の命がゴリゴリと削り取られていくのが分かった。
それでもゲストは体勢を崩さず、歯を食いしばってキラーの刃を受け流し続けた。
永遠にも思える数秒の拮抗ののち、ついに重い一撃をいなしきれず、ゲストは吹き飛ばされて地面を転がった。
「ゲスト!」
仮面の視線は依然として僕から外れない。血に濡れたマチェーテが、無慈悲に振り下ろされようとした、その瞬間。
「Faux! しっかりしろ!」
Slasherの背後からシェドレツキーが、自身の剣を振るう。青白く輝く刃がSlasherの肩口に深く突き刺さり、ダメージと共にキラーの動きを一時的に縛り付けた。
「恩に着る、Shedletsky!」
腕から血を流しながらも、ゲストが弾かれたように立ち上がり、僕の腕を掴んで走り出す。スタンして動けないキラーを置き去りにし、僕たちは合流した仲間たちと共に、全速力で廃遊園地の奥へと向かって駆け抜けた。
――カーン、カーン、カーン。
タイマーが『0:00』を示した瞬間。
キラーの姿が闇に溶けるように霧散し、僕たちはハウスへと強制送還された。
サバイバーハウスのリビング。
転送された直後、僕はゲストの元へ這い寄った。
「ゲスト! ゲスト……っ!」
「……大丈夫です、Fauxさん。落ち着いてください」
荒い息を吐きながらも、ゲストは静かな敬語で答えた。
ハウスに戻れば、ゲーム内で負った傷はシステム的に修復される。死んでも生き返る。彼の腕の傷も、すでに塞がっていた。
それでも、僕の胸を締め付ける罪悪感は消えなかった。
「……申し訳ありませんでした。僕の戦術的エラーです。僕の物理的な動作不良のせいで、あなたにダメージを……」
「謝る必要はありません。私たちは生き残った。結果が全てです」
ゲストはゆっくりと立ち上がり、いつものように壁際へ向かい、トレーニングを始めた。
その背中を見つめながら、僕はどうしても聞かずにはいられなかった。
「……あなたは何故、あそこまで他人を守れるのですか」
僕のような、足手まといのために。
どうして自分の命を投げ出せるのか。
ゲストはトレーニングを止めず、淡々と答えた。
「私が『盾』だからです」
「……盾」
「君たち後方支援や遊撃要員が動くための、時間を作る壁。それ以上でも、それ以下でもありません。そこに個人の感情は不要です」
その言葉を聞いて、僕は深く納得した。
(そうだ。彼の言う通りだ。彼は盾として機能し、僕は後方支援として機能する。極めて論理的で完璧な役割分担だ)
僕たちはただ、与えられた機能を全うしているだけなのだ。僕は無意識のうちに丸眼鏡のフレームを押し上げ、自分のクールな在り方を再確認した。
「……なあ」
不意に、すぐ横から声がした。
いつの間にか、チャンスが壁に寄りかかり、僕を見下ろしていた。
他のサバイバーたちは、エリオットが淹れた紅茶を飲んでリビングの奥で休んでいる。今ここには、僕と彼しかいなかった。
「……なんですか、チャンス」
「お前さ」
チャンスは、サングラスの奥の鋭い瞳で、僕の心の奥底を覗き込むように言った。
「『本当』は何が怖いんだ?」
「……っ!」
ドクン、と。
僕の心臓が、跳ね上がった。全身の毛穴が粟立ち、手のひらに冷や汗が滲む。
なぜそんなことを聞くのだろう。僕はただ論理的な生存を追求しているだけだ。怖いものなど何もないはずだ。
「……あなたの質問の意図が理解できません。僕はただ、合理的な生存確率を――」
「そういうのはもういい。……まあ、話したくないなら無理には聞かねえがな」
チャンスは肩をすくめ、それ以上は踏み込んでこなかった。
彼に見透かされているような気がして不快だった。僕は立ち上がり、リビングから続く暗い廊下へと歩き出した。
「……顔色が悪いですね」
廊下の隅で、端末の光に顔を照らされた、007n7――セブンが立っていた。彼は頭の上のハンバーガーを少し揺らしながら、僕の顔を見て静かに言った。
「……なんでもありません」
「そうですか。……ああ、そういえば。先程、貴女のデバイスの微細なエラーを診断させていただいた件ですが」
セブンの言葉に、僕はビクッと肩を震わせた。
先日のことだ。僕がアビリティの照準調整で困っていた時、彼が『元技術者』として善意でデバイスの診断を申し出てくれた。
しかし、彼が診断ツールを繋いだ瞬間、僕の脳裏に激しい痛みが走り、診断は中断されたのだ。
「あの時、貴女のデバイスの深層で検知した『ノイズデータ』について、少しだけ推論がまとまりましたよ」
「……僕は、聞いていません」
「あれはただのバグやエラーではありません。人間の『自己防衛反応』がシステムに干渉した結果の可能性が高い、と推察されます」
僕の拒絶を意に介さず、セブンは静かに続けた。
「人は、忘れることで生き延びることもあります。直視すれば心が完全に壊れてしまうほどの強烈なトラウマを、無意識下に圧縮し、厳重なロックをかけて封印する。……貴女のデバイスのノイズは、貴方自身が作り出した『見えない壁』なのかもしれませんね」
セブンはそれ以上は語らず、端末に視線を戻した。
無理に僕の壁をこじ開けるつもりはない、ただの彼なりの忠告だったのだろう。
僕は無言で彼の横を通り過ぎ、一番奥にある小さな図書室へと早足で逃げ込んだ。
埃っぽい図書室の隅で、一人になって息を吐く。
自己防衛。トラウマ。全く馬鹿げている。僕の精神は完全にフラットで健全だ。記憶が欠落しているのは、単にこの世界へ転送された際のエラーに過ぎない。
そう分析しているのに、何故か身体の震えが止まらない。
震える手で、顔の丸眼鏡に触れる。
(僕には何もない。だから、このままでいいはずだ)
エリオットの温かいピザ。ゲストの頼もしい背中。シェドレツキーたちの笑い声。チャンスの静かな視線。
この『サバイバーハウス』という共同体は、僕にとって、すでに失いたくない大切な場所になっていた。
ここにある関係は本物だ。僕という人間がクールで論理的な支援者であるからこそ、彼らは僕を受け入れてくれているのだ。
「……大丈夫だ。僕は、完璧に機能している」
暗胸の鼓動が早い。
自分が誰なのか分からない恐怖よりも、その『ノイズ』の中身を知ることの恐怖の方が、はるかに勝っていた。
いつ終わるかも分からないこの狂ったゲーム。
僕は自分の足元に沈んでいる『過去』という重りから目を逸らしたまま、ただ伊達眼鏡の奥の景色をじっと見つめていた。