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・桂を折る
「きっとこの世の中の事象は、大概が一言で説明出来るべきなんだろうね」
彼女は私にもたれ掛かる。数えることはやめた。
「つまり、今僕がキミにもたれ掛かっている理由も、一言で説明出来るべきなんだろう」
彼女は私の肩に頭を乗せて、それからそっと、緩慢な動作でいつも付けている紺鳶色のヘアピンを外した。
「僕は、説明できない。残念なことに」
そのヘアピンを指先で摘むようにして持ちながら、彼女は気怠げにそう話す。私には彼女の顔は何ひとつとして見えなかった。柔らかい髪の感触と、頭の重たさと、それから、ふわりと金木犀の香りが鼻を掠めるだけで、何も分からなかった。
「でも、キミだってそんなつまらないこと、説明して欲しくもないだろう?」
「──あぁ、そうだね」
彼女は頭を擦り付けるように動かして、そのまま目を閉じた。ヘアピンはいつの間にか、その手には無い。
「キミが死ぬ時は、僕が連れて行ってあげようね。キミはきっと、独りじゃ地獄への行き道にさえ迷ってしまうから」
「そうしてくれると、助かるよ」
彼女は笑う。
水で薄めた絵の具みたいに、薄く、濃く、淡く、はっきりと。乾いてしまって、元の色は思い出せない。 一番先に無くなったのは、赤い絵の具だった。
・あけぼの
「キミの方が私よりも手大きいんだねぇ」
彼女はどこか遠い目をしながら、私の手と自分の手を合わせてそう言った。距離が近いことには何の疑問も抱かないらしい。彼女の鈍く赤い瞳がよく見える。サラサラとした黒髪が顔に流れて、カーテンのようだった。彼女がつけている紺鳶色のヘアピンがチラリと光る。
「まぁ、それはそうだろうね。君より私の方が背が高いし」
「ふぅん、そういうものか」
彼女はそう言って、きゅっと私の手を握りこんだ。 恥ずかしげもなく、何の気なしに。彼女は私の顔は一切見ず、ただその手をじっと見つめていた。
開いたままのこの手の指を曲げて、私も彼女の手を握ってしまえたら、重ねてしまえたら、どれだけ楽だったのだろうか。私は何もしなかった。ただ手を開かせて、彼女がその手を離すまで、待っているばかりだった。
「キミはつまらない人だなぁ」
彼女はぼやいて、手を離す。
手のひらに伝う温かさはたちまち消えてしまって、忽然と、音もなく去っていった。
春はまだ遠い。