テラーノベル
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私は、客室にやって来ていた。
正面には、イルドラ殿下がいる。オルテッド殿下から始まった王子との対話も、いよいよこれで最後だ。
心配なのは、イルドラ殿下の表情がそこまで明るくないことだろうか。もしかして、彼も次期国王を望んでいないかもしれない。私の頭の中に、嫌な考えが過ってきた。
「あの、イルドラ殿下、先にお伝えしておきたいことがあるのですけれど」
「うん? なんだ?」
「オルテッド殿下、エルヴァン殿下、ウォーラン殿下は王位を望んでいません」
「……なるほど」
私の言葉に、イルドラ殿下は苦笑いを浮かべていた。
これは少々、意地が悪かっただろうか。こんなことを言ったら、イルドラ殿下が言えることは限られてしまう。多分、断りづらいことこの上ないはずだ。
ただイルドラ殿下に断られた場合でも、私は恐らく彼を王位に推薦するだろう。
はっきりと口にされた訳ではないが、多分彼の弟達もそれを望んでいる。
基本的に、こういったことは先に生まれた者の役目だ。その認識は、きっと誰にでもある。
だから、オルテッド殿下やエルヴァン殿下は、いざという時の覚悟ができていない。兄達が健在である限り、彼らに王位は無理があるだろう。
ウォーラン殿下に関しては、失礼ながら王に向いているとは思えない。
責任感が強く、正義感も強い彼は、清濁併せ持つ国王という役職は酷というものだ。多分彼は、慈善活動などで活躍してもらい、王家の御旗にでもした方がいい。
そうやって色々なことを考慮していくと、イルドラ殿下を王位に据えたいと思ってしまう。
それは消去法ではある訳だが、別にイルドラ殿下自身に王としての資質がないという訳でもない。
彼は優しく正義感がありながら、いざという時に色々と割り切ることができる人だ。
国王というものは、時には非情な判断も求められる。その時にイルドラ殿下は、躊躇せずに判断を下せるだろう。
それにそもそも、私は知っている。イルドラ殿下が、既に覚悟をしていたということを。
アヴェルド殿下のことを伝えた時に、彼は自らも利益が得られるという旨のことを口にしていた。それは恐らく、王位のことだ。
もちろん、彼は心からそれを利益だとは思っていないだろう。その辺りは、私を納得させるための方便であるはずだ
しかしそれでも、イルドラ殿下は王位を継ぐ覚悟をあの時に既に決めていた。それは他の兄弟達とは大きく違う点だ。
だから私は、イルドラ殿下の言葉を待つことにした。彼ならきっと、良い答えを返してくれると思っているのだが。
「……まあ、何があったかは大体わかる」
私の言葉を受けたイルドラ殿下は、ゆっくりと天を仰いだ。
その動作に、私は息を呑む。彼の表情が、なんというか少し寂しそうだったからだ。
「ウォーランのことだ。今回の件を気に病んで、王位を辞退したんだろう?」
「え? ええ、それはそうですね」
「エルヴァンは、本が読めなくなるとか言ったか」
「あ、はい。言いました」
「オルテッドは王位なんて、そもそも興味がないだろうな」
「そうですね。そんな感じでした」
イルドラ殿下は、弟達のことをよくわかっているようだった。
流石は兄といった所だろうか。弟達のことをよく見ている。
「すまなかったな、リルティア嬢。こうなることは、薄々わかっていたんだ」
「……そうなのですか?」
「ああ、まあ、やっぱりこういったことは兄が優先されるものだからな。ウォーランはともかくとして、俺以外に選択肢がなくなるのではないかと思っていた」
イルドラ殿下は、ゆっくりとため息をついた。
その呆れたような表情は、多分父親である国王様に向けられたものだろう。彼もあの判断には思う所があったようだ。いやそもそも、玉座の間で既にそれは口にしていた。
「ただ、せっかくこのようなことになったのだから、皆王位を志してもらいたかった所だな。正直な所、兄弟の中で俺が一番王の資質があるかはわからない。エルヴァンやオルテッドはこれから成長もするだろうし、微妙な所だ」
「まあ、国王様はまだしばらくの間は健在でしょうから、その間にお二人は大いに成長しますよね……」
「とはいえ、その辺りのことはリルティア嬢にはわからないことだ。当然俺にも、だ。ということは、選択肢が限られてくる。いや、俺しかいないか」
イルドラ殿下の表情は、明るいものだとは言えなかった。
王位を心から欲しているとか、そういうことではやはりないのだろう。渋々といった感じが、伝わってくる。
この王子達は、野心というものがないのだろう。アヴェルド殿下の悪行が露わにならなかったのも、そういう所が関係しているのかもしれない。
敵対者がいれば、あの悪行はすぐに判明したことだろう。あれ程までに、付きやすい弱点はないからだ。
「ただ、リルティア嬢には確認しておきたいことがある」
「え? なんですか?」
「……本当に俺でいいのか?」
「それは……」
私は、思わず言葉を詰まらせていた。
こちらを真っ直ぐに見つめてくるイルドラ殿下の視線は、少し弱々しい。その視線は、何を意味しているのだろうか。
「いや、単純に心情的な問題として問いかけておきたいんだ。リルティア嬢からしてみれば、俺のようなひねくれ者は快く思えないのではないかと思ってな」
「ひねくれ者、ですか?」
イルドラ殿下は、私の様子をちらちらと見ながら言葉を発していた。
自分という存在に、あまり自信が持てていないのだろうか。なんというか、自己評価が低い気がする。
それに私は、少し驚いていた。イルドラ殿下は、失礼ながらもっと軽薄な感じとばかり思っていたからだ。
「イルドラ殿下は、ひねくれ者ではないと思いますが……むしろ、真っ直ぐな方だと思います」
「……そうだろうか?」
「アヴェルド殿下のことが露呈した時――ベランダで話した時のことを覚えていませんか?」
「あの時のこと?」
とりあえず私は、以前のことを問いかけてみることにした。
彼は困っている私を助けてくれると言った。それに私は、対価は何かと聞いたのである。
それに対して、彼は口ごもっていた。それは対価などは求めていなかったからだ。彼は困っている人を見過ごせない真っ直ぐな人であると思う。
「……あの時俺は、対価は君の笑顔で充分だ、みたいなことを言っていたか」
「え? ああ、そんなことも言いましたね」
「我ながらキザというか、なんとも浮ついたことを言っていたものだ……」
イルドラ殿下は、頭を抱えていた。
私が言いたかった訳ではない部分で、ショックを受けているようだ。
確かに、そのようなことは言っていたような気がする。ただそれは、誤魔化すための言葉だろう。別に心からの言葉という訳でもないはずだ。
「私が言いたかったのは、そういったことではありません。イルドラ殿下が、お優しい方だということです」
「……何?」
「イルドラ殿下は、私のことを助けてくださいました。それは善意からの行動です」
「……そういう訳でもないさ。あれは単純に、王位を手に入れられるからだ」
「そんな風に誤魔化す所も含めて、お優しい人であると思います。ただイルドラ殿下は、お優しいだけではありません。時には非情な判断も下せる、立派な王族です」
私の口からは、すらすらと言葉が出てきていた。
私は自分で思っていた以上に、イルドラ殿下のことを評価していたらしい。
ただ、それは自分の中では納得できることではあった。そもそもこの話を持ち掛けられて最初に誰の顔が思い付いたか、それに思い至ったのだ。
私は最初から、イルドラ殿下を選びたかった。それは王位に相応しいかどうかなどではなく、単に私の個人的な感情として。
「イルドラ殿下、あなたは心情的なことを気にしていましたが、その点に関してはまったく問題がありませんよ」
「……そうなのか?」
「ええ、だって……」
結論が出たため、私は自然と笑みを浮かべていた。
イルドラ殿下でいいのではない。私は、イルドラ殿下がいいと思っている。それはきちんと、伝えておくべきことだろう。
そう思って言葉を発した訳だが、直後に私は気付いた。これはなんというか、愛の告白みたいであると。
「えっと……」
「リルティア嬢?」
言い方を考えなければならないと思った私は、言葉を詰まらせることになった。
別に私は、彼に好意を抱いている訳ではないはずだ。いや、どうなのだろうか。それがなんというか、わからなくなってきた。
ただとにかく私は、イルドラ殿下を選びたいと思っている。それはきちんと、伝えておくことにしよう。
「私は、イルドラ殿下を選びます。私はあなたに、次の国王になってもらいたいと思っています。イルドラ殿下なら、きっとこの国を良き方向に導ける」
「……それは過大評価であるような気もしてしまうがな」
「過大評価というなら、私の方ですよ。次期国王を選ぶなんて大役を任されているのですから。それでも私は、自分の選択に自信を持っています」
イルドラ殿下が王に相応しいというのは、私の紛れもない本心だ。
彼は、アヴェルド殿下とは違う。正しく国を導ける人だ。それを私は、確信している。
「もちろん、私はこの選択の責任を取るつもりです。王妃としてイルドラ殿下の隣に立ち、あなたを支えてみせます」
「リルティア嬢……」
「イルドラ殿下は、それを受け入れてくれますよね?」
私の言葉に、イルドラ殿下はゆっくりと息を呑んだ。
だが彼の表情は、すぐに真剣なものになる。決意を孕んだその表情に、私の肩の荷は軽くなった。彼がどのような結論を出したのか、わかったからだ。
「……まあ、元々俺がやるしかないことだということはわかっていた」
「イルドラ殿下……」
「心強い味方を得られたことは、嬉しいことだ。リルティア嬢、これからどうかよろしく頼む」
「ええ、任せてください」
私は、イルドラ殿下と固く握手を交わした。
その力強い握手からは、彼の決意が伝わってくる。
私もそれに、応えなければならない。王妃としてしっかりと務めていくとしよう。
「といっても、父上もまだまだ健在だからな。俺が王位を継ぐのは随分と先の話となるだろう」
「それはそうですね。その時までに、成長していないと」
「確かにそうだな」
私達は、そのような言葉を交わして笑い合った。
イルドラ殿下となら、きっと大丈夫だろう。根拠はないが、その笑顔に私はそんなことを思っていた。
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