午後四時……。
「……はぁ……もう、戻ってきちまったのか……」
彼が額《ひたい》に手を置きながら、そう呟《つぶや》くと襖《ふすま》が開かれた。
「あら? もう起きたの? 意外と早かったわね」
「……おう、ミノリか……」
「おう、じゃないわよ。ニイナに血を吸われすぎたせいで意識を失ったって聞いた時は驚いたけど、あたしの時よりかはマシだったみたいだから、安心したわ」
ミノリ(吸血鬼)はそう言いながら襖《ふすま》を閉めると、ナオトの額《ひたい》に手を置いた。
「……熱は……ないみたいね……」
ミノリは彼から離れると自分の人差し指の先端を噛《か》んだ。
ミノリはそこから出てきた血液を六分の一サイズのフィギュアにすると、彼の枕元に置いた。
「……おい、ミノリ。これはいったい何なんだ?」
「えっ? 六分の一サイズのあたしのフィギュアだけど、それがどうかしたの?」
「いや、それは見れば分かる。俺が言いたいのは、今このタイミングで作る必要があったのかってことだ」
「……お守りよ」
「え?」
「だから、ただのお守りよ。早く元気になってほしいから」
「いや、俺はもう元気だぞ?」
「嘘《うそ》よ。だって、まだ顔色悪いもの」
「いや、そんなことはないぞ」
彼が上体を起こそうとすると、ミノリは歯を食いしばった後《のち》、怒鳴った。
「いいから寝てなさい! あと、今日はもう『個別面談』はしないで!」
「え? どうしてだ?」
「どうしてもよ! とにかくあんたは、しばらく安静にしてなさい! 分かった?」
「あ、ああ、分かった。そうするよ」
彼がそう言うと、彼女はドンドンと足音を立てながら寝室から出ていった。
「……な、何だったんだ? 今の……」
「今のは、きっとミノリさんなりの愛情表現だと思いますよ」
「うーん、そうかな……って、お前……いつから聞いてたんだ?」
彼がチエミ(体長十五センチの妖精)にそう言うと、彼女はニコニコ笑いながら、こう言った。
「それは、もちろん……ナオトさんが小言を言っていたあたりからですよ」
「……そうか」
「ところでナオトさんは、いつからミノリさんの尻《しり》に敷《し》かれてるんですか?」
「……いや、別にそんなことはないぞ。それに、あれはツンデレの『ツン』の部分の主張が激しいだけだ」
「じゃあ、いつになったらデレるんですか?」
「それは……まだ分からない……。けど、いつかきっと、その日は来る……多分」
「多分ですか。まあ、ミノリさんはツンが七割でデレが三割くらいですから、その割合を逆転させることができれば、ミノリさんはナオトさんの虜《とりこ》になりますね」
「……いや、そういうのは、いいよ……」
「え? どうしてですか?」
「それは……その……俺があいつの気持ちを無理やり制御してまでデレさせたくはないからだ」
「……相変わらず、ヘタレですねー。ナオトさんは」
「わ、悪かったな……。ヘタレで」
「でも、私は好きですよ。ナオトさんのそういうところ」
「……褒《ほ》めても何も出ないぞ……」
「はい、知ってます」
チエミはニコニコ笑いながら、彼の髪を優しく撫でた。
その時、彼は寝返りを打った。
彼女は彼の髪にしがみついて、落ちないようにしたが空中に放り出されてしまった。
彼は彼女を右手でキャッチすると、枕元まで移動させた。
「大丈夫か? チエミ」
「は、はい、大丈夫です。ありがとうございます」
「そうか……。じゃあ、おやすみ……」
彼はそう言うと、スウスウと寝息を立て始めた。
彼の右手から脱出したチエミは彼の髪の中に入った。
彼女はナオトの髪を風魔法で整《ととの》えると髪でできた布団に横になった。
「……ナオトさん。あなたはとても優しい人です。ですが、女の子というのは少し強引にされたい時もあるんですよ」
彼女はそう呟《つぶや》くと、静かに寝息を立て始めた。
……午後七時……。
「ナオトー、ごはんよー。起きなさーい」
ミノリ(吸血鬼)はそう言いながら、寝室にやってきた。
「……うーん……あと五年……」
彼が寝言を言うと、彼女は彼のとなりで横になった。
その後、額《ひたい》に何度もデコピンをした。
「起ーきーなーさーいー」
「……やめろよ……〇〇……。地味に痛《いた》いからー」
彼が発した名前を聞いたミノリは、彼の体を揺《ゆ》すった。
「……起きなさい! ナオト! 今すぐに!!」
「……う……うーん……あー、なんだ、ミノリか。なんだよ、いきなりー」
彼が目を擦《こす》りながら、そう言うと……ミノリは彼の襟首を掴《つか》んだ。
「答えなさい! ナオト! あんた、さっき〇〇って言ってたわよね?」
「え? あー、なんかそんなこと言った気がするような、しないような……」
「……そう。なら、いいわ。そのうち忘れると思うから」
「……お、おう……」
「……ごはん、できてるわよ。食べられそう?」
「……多分、食べられる」
「そう。じゃあ、起きて……」
「……おう」
彼はそう言うと、ゆっくりと上体を起こした。
彼は大きなあくびをすると、背伸びをした。
その時、彼の首筋に蚊《か》が止まった。
その直後、彼は音速並みの速さでそれを手の平で押しつぶした。
「……これ以上、血を吸われてたまるか……」
彼はそう言うと、布団から出ようとした。
しかし、彼はいきなりミノリに押し倒されてしまったため、布団から出られなかった。
「……ミノリ、どうしたんだ?」
彼がそう訊《たず》ねると、彼女は荒い息を吐《は》きながら、こう言った。
「ナオト……逃げて……。あたしの……意識があるうちに!」
ミノリ(吸血鬼)の身に何が起こっているのか、よく分からなかったが、彼はとりあえず彼女を抱きしめた。
「ミノリ。俺は大丈夫だから、好きにしていいぞ」
ミノリ(吸血鬼)はその言葉を聞いた瞬間、彼の首筋に付いている彼の血液を舌で舐《な》め取った。
先ほど、蚊《か》に少し血を吸われており、彼が手の平で潰《つぶ》した際、それが蚊《か》の体内から吹き出してしまった。
吸血鬼型モンスターチルドレンである彼女は、その血を見てしまったせいで吸血鬼衝動に支配されてしまったため、彼の血を吸い始めたのである。
「バカ……。今のあたしは……ただの化け物よ。だから、早く逃げて」
彼女は彼から離れようとしたが、彼の首筋から目を離すことができないため、少しずつしか動けない。
そのため、自分の顔が彼に見える位置になるまで、かなりの時間を要《よう》した。
彼女の黒い瞳は、いつのまにか真紅《しんく》に染まっていた。
どうやら、吸血鬼としての本能が彼女を蝕《むしば》んでいるらしい。
彼はそれを理解すると、彼女の頬に手を添《そ》えた。
「ミノリ。俺の血を吸いたいんだろ? だったら、思う存分、吸え。お前が満足するまで俺はこの場から動かないし、助けも呼ばない。だから、自分の欲望を解放しろ」
彼がそう言うと、彼女は涙を流しながら彼の首筋に噛みついた。
彼はミノリをギュッと抱きしめると、ポンポンと彼女の背中を軽く叩いた。
「……遠慮なんかしなくていい。お前の気が済むまで俺の血を吸ってくれ」
彼女は返事をしなかったが、体を小刻みに震《ふる》わせていた。
「……大丈夫だ。お前は化け物なんかじゃない。誰が何と言おうと、俺はお前を見捨てない」
彼女はしばらく彼の血を吸い続けていた。
小さな口で彼の血をかなり吸った。
彼女が血を吸っている間、彼は何度も気を失いかけたが、なんとか持ちこたえた。
「……どうして……どうして逃げようとしなかったの?」
彼女は正気に戻ると、彼のおなかに体を預けた状態で泣き始めた。
「逃げたら、他のやつの血を吸いに行くかもしれないと思ったからだ」
「バカ……。あたしはもう、あんたの血しか受け付けなくなってるんだから、そんな心配する必要なんて、これっぽっちもな……」
彼は彼女の手を握《にぎ》ると、微笑《ほほえ》みを浮かべた。
「ミノリ、お前は悪くない。悪いのは、お前をこんな体にしたやつだ」
「……けど、あたしは望んでこの体になった。だから、あたしも悪い……」
「お前は元の人間の体に戻りたいから、俺をこの世界に連れてきたんだろ?」
「……それは、そうだけど……」
「だったら、その目的を達成するまで自分を責《せ》めたり、弱気になったりしちゃダメだ。もし、そうなりそうになったら、迷わず俺のところに来い。俺が全部、受け止めてやる」
「……そんなの無理よ。だって、あたしが本気を出したら、あんたは一瞬でミイラになっちゃう……」
「その時は水をぶっかけてくれ。多分、今の俺なら、すぐに元に元通りになるから」
「……あんた、それ本気で言ってるの?」
「冗談でこんなこと言うわけないだろ?」
「それもそうね……。じゃあ、あたし……もう行くわね」
「……ミノリ」
「な、何?」
「おなかが空《す》いて動けないから、食べさせてくれないか?」
「ええ、いいわよ。じゃあ、ちょっと待っててね」
「おう、分かった」
彼がそう言うと、彼女は隣《となり》の部屋までトタトタと駆《か》けていった。
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