テラーノベル
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大輝はジョッキを傾け、冷えたビールを喉へ流し込んだ。
口を離すと、泡が内側を伝ってゆっくり落ちていく。ジョッキをテーブルへ戻し、中央に立てかけてあった注文用のタブレットを手に取った。
画面を指で送り、鶏の唐揚げと枝豆を二つずつ選ぶ。
注文を確定すると、そのまま向かいへ差し出した。
「ハンドルキーパーだから、なんか好きなの食えよ」
「悪いね。別に気を使わんくてもいいのに」
陽斗はタブレットを受け取り、片手でコーラのグラスを少し脇へ寄せた。画面を覗き込みながら、料理の一覧を指で送っていく。
戸の向こうから笑い声が上がった。
店員が通路を通るたび、足音と食器の触れ合う音が近づいては遠ざかる。テーブルの中央では、さっき置かれた四つの小鉢がまだほとんど手をつけられないまま並んでいた。
美帆がジョッキを持ち上げた。
「真希と大輝がお互い初対面じゃないのにはびっくりしたよ」
ビールを一口飲み、ジョッキを口元から離す。
「そうだね。私が個人休取った日に、ちょうど大輝くんと話をしたって感じ」
真希も笑いながら答えた。
「2週間も前の話だから、てっきり忘れられたと思いましたよ」
言いながら、大輝の口から笑い声がこぼれた。
「忘れない忘れない」
真希がすぐに手を左右へ振る。
「鼻にピアス開けて青いエボXに乗ってる子だよ?」
その言葉に、大輝は右の鼻へ一度だけ指を触れた。
「あー。でも真希って舌にピアス開けてなかったっけ?」
美帆が舌を出し、人差し指を自分の口元へ当てた。
料理を選んでいた陽斗が、タブレットから視線を上げる。
「え、真希さん舌ピあけてるの?」
「マジっすか。え、普通に痛くないんすか?」
大輝も身体を真希の方へ向けた。
「仕事中は外してるけどね。接客もあるし」
真希がそう言って舌を出した。
舌の中央に、小さな銀色のバーベルが通っている。
「結構ケアとか大変じゃないっすか?」
真希が舌を戻す。
「そうなの。病院で入れたんだけど、ダウンタイムっていうのかな。相当痛かったし、外してる時間長いとすぐホール塞がるから」
そう言ってジョッキを持ち上げ、ビールを口にする。
「ああ」
大輝は頷いた。
「だからみんなスプリットタンにしたりするんですか?」
「そうそう。その方がピアスホールの維持とか悩まなくていいから楽なんだけど、流石にまた痛い思いしたくないなって思っちゃって……」
真希がジョッキを置きながら歯を見せた。
「そのキッカケなんて美帆だよ? 『ピアス開けてみたら?』なんて軽々しく言ってきたのに、自分は金属アレルギーだからって自分には開けてないの」
真希が美帆を指差す。
「あたしだってホントは開けたかったんだけど、病院で金属アレルギーってお医者さんに言われたんだもん」
美帆は笑いながら答えた。
陽斗はタブレットへ向けていた視線を外した。
「なんか美帆さんてそういう所あるんだよね」
歯を見せながら、手にしていたタブレットを美帆の前へ置く。
「あ、酢モツとししゃも頼んでくれた?」
美帆はタブレットへ手を伸ばすより先に陽斗へ訊いた。
「頼んどいたよ」
陽斗が答える。
真希はジョッキの取っ手に指を掛けたまま、二人のやり取りを見て笑った。
「タブレットあるんだから自分で頼めば良くない?」
「頼もうと思ったら、もう頼んでくれてたのはセーフっしょ」
美帆が真希へ返す。
テーブルの中央では、三つのビールジョッキについた水滴が少しずつ下へ伝っていた。陽斗のコーラでは、氷がグラスの中で小さく動く。
大輝は二人を見比べ、首を傾げた。
「頼もうとしてる感がないんだよなあ……」
「頼もうとしてる感ってなに?」
真希は大輝へ顔を向け、笑いながら訊いた。
「頼んでくれたって聞いてくる辺りで、どこに頼もうとしてる感じがあるんですか」
大輝は真希へ答える。
「あ、だよね。確かにしれっと頼んだか確認してる」
そこまで言ったところで、真希の口の端が引きつった。
ごまかすようにジョッキを持ち上げ、ビールを口へ運ぶ。ところが一口目で喉が詰まり、鼻から小さく音が抜けた。慌ててジョッキを置き、手の甲で口元を押さえる。
むせかけた自分がおかしかったらしい。
押さえた指の隙間から、ぶはっと息が漏れた。
「あっはっはっはっ!」
真希は口を大きく開け、背もたれへ身体を投げ出して笑った。店のざわめきをまとめて上から塗り潰すような声が戸を越え、隣の個室の話し声がぴたりと止まる。
大輝もつられて吹き出した。向かいの陽斗は、コーラのグラスを持ったまま肩を揺らしている。
「真希って結構ゲラなの。浦安鉄筋家族なんて読ませたらずっと笑ってるから」
美帆が大輝へ言った。
真希はまだ笑いの残った顔で、目元を指で押さえながら美帆を見た。
「マジでそれ言うの辞めて。ホント恥ずかしいから」
「え、マジで浦安鉄筋家族の何巻が好きなんですか?」
大輝は身体を少し真希の方へ向けた。
向かいでは、陽斗もコーラのグラスから手を離す。
「俺もどんな話で笑うのかちょっと気になる」
陽斗が真希へ視線を向ける。
「えっとさ、14巻かな。太った男の子がね」
「あ、フグオくんの回か」
大輝はすぐに反応した。
「そうそう。お医者さんから禁アイス中で口寂しいからってコーヒーを貰って、一口飲んだらコーヒーにどハマりして……」
真希は途中で言葉を止めた。
唇を内側へ巻き込み、目をぎゅっとつぶる。続きを言う前から、喉の奥で笑い声が鳴り始めていた。
陽斗が笑いながら真希を見ている。
「一回深呼吸しよっか」
美帆が真希へ声を掛けた。
真希は目を開けた。
「大丈夫大丈夫」
一度息を吸い、続きを話し始める。
「でさ、日曜日にひとりでモーニングコーヒー飲みに行って、小鉄くん達に店員さんが『君、あそこのおデブちゃんの友達かい?』って聞いてくるの……」
途中から、また口元が緩み始める。
「もう少し。頑張って」
美帆が相槌を打つ。
真希は鼻から一度息を吐き、もう一度深く吸った。
大輝はジョッキを持ったまま、続きを待った。
「そしたら店員さん、『あのおデブちゃん、92杯目だよって……』小鉄くん達の驚いた表情思い出すと、もうね」
言い切った直後、真希は拳を口元へ当てて咳払いをした。
「んんっ、ん」
真顔を作ろうとしたらしい。だが、自分で出したわざとらしい咳払いが耳へ入った途端、眉が一気に下がった。
「いや、今の咳払い何!」
自分で言って、そのまま崩れた。
「あっはははははっ!」
真希は天井を仰いで笑い、手のひらでテーブルを2度叩いた。ジョッキの中のビールが揺れる。遠慮のない笑い声が通路まで抜け、そこを歩いていた客が戸の隙間からちらりとこちらを覗いて通り過ぎていった。
大輝も歯を見せて笑いながら、自分のジョッキをテーブルへ置いた。
「まだ一杯目ですよね?」
真希の前にあるジョッキにも、まだ半分近くビールが残っている。
大輝は斜め向かいの美帆を見た。
「すごいでしょ。高校の頃、休み時間に読ませてたら、グラウンドまで聞こえるくらい大きな声で笑っててさ」
美帆はジョッキを持ったまま、顎で真希を示した。
真希は指で目尻を拭いながら、まだ笑い声を漏らしている。
大輝はその様子を見た。
「なんかずっと『世界中が憎い』ってノリでクスリとも笑わないよりは全然……」
「ダメ、笑わせないで」
真希が大輝の方へ手のひらを向けて制した。
口を真一文字に結び、テーブルの一点をじっと見つめる。眉間にまで力が入っていた。
その顔が3秒ともたなかった。
力んだ自分の顔に耐えられなくなったのか、鼻から勢いよく息が抜け、真希は両手で顔を覆った。
「無理無理無理っ、あっはっはっ!」
覆った手の内側から、さっきより大きな声が溢れ出す。陽斗がとうとうコーラを置いて笑い出し、美帆も額に手を当てて肩を震わせた。
「俺、なんか笑いのツボ揺らした?」
大輝は笑いながら、向かいの陽斗へ視線を向けた。
「たぶん、『世界中が憎い』ってとこじゃないかな」
陽斗が息を整えながら答える。
その言葉に、真希は顔を覆ったまま何度も首を縦に振った。
通路の方から足音が近づいてくる。
戸が開いた。
店員が注文の品を持って入ってきたところで、まだ笑っている真希へ目を向けた。
「どうかされました?」
「あ、平常運転なんでご心配なく」
美帆がすぐに答えた。
店員はテーブルの空いている場所を見ながら、料理を一皿ずつ置いていく。
唐揚げと枝豆が二皿ずつ、その横へ酢モツとししゃも、陽斗の頼んだ焼き鳥の盛り合わせが並び、ジョッキとお通しだけだったテーブルの中央がほとんど埋まった。
揚げたての唐揚げから上がる湯気が、照明の下でわずかに揺れる。
四人が店員へ会釈すると、戸が再び閉じた。
「笑い声もだけど、くしゃみもこのくらいデカいからね」
美帆が大輝へ言った。
「それ今言う必要ある?」
真希がすかさず返す。
大輝はテーブル脇にまとめて置かれていた箸を四膳手に取った。
「あ、俺、箸忘れてたっすね」
自分の分を手元に残し、真希、美帆、陽斗へ順に手渡していく。
「いただきます」
陽斗が小さく呟き、唐揚げへ箸を伸ばした。
「いただきます」
美帆もほとんど同じ調子で口にし、酢モツを取り皿へ移す。
「ほら、とりあえずなんか食べて落ち着いてよ」
美帆は受け取った箸を置き、手前にあった枝豆の皿を真希の方へ滑らせた。
真希が目元へ手をやった。
「化粧落ちてない?」
そう言いながら、美帆を見る。
「まだ落ちてないから」
「あー、よかった」
真希は胸へ手を当て、一度大きく息を吸った。
大輝はその様子を見ながら訊いた。
「仕事の日とか、大丈夫なんすか?」
「それ、俺も気になります」
向かいの陽斗も真希を見た。
真希は枝豆にはまだ手をつけず、ジョッキの取っ手を握った。
「仕事の日はなるべくね、笑いそうになったら別のこと考えるようにしてるから」
真希はそう答えると、残っていたビールを飲み干した。
ジョッキの底がテーブルへ触れ、小さく音を立てる。
大輝はテーブル中央のタブレットへ手を伸ばした。
「何にします?」
真希へ差し出す。
「ありがと」
真希はタブレットを受け取り、膝の上へ置いた。
「ハイボールにしよっかな」
画面を指で送る。
その横では、美帆が枝豆の鞘を皿へ置いている。陽斗も唐揚げへ箸を伸ばしていた。料理も少しずつ減り始めている。
「プリン体? 気にすんの」
美帆が真希へ訊いた。
「やっぱり歳だから気にしちゃう」
真希は小さく呟き、ハイボールの項目をタップする。
注文を確定すると、タブレットをテーブルの中央へ戻した。
空になった生ビールのジョッキが、真希の前に一本残っていた。
コメント
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第4話、読み終わりました!もうほんとにこのシーンの空気感がたまらなかったです。真希さんの笑いの伝染する感じ、「世界中が憎い」って一言でまたツボに入っちゃうところとか、臨場感がありすぎて私も隣で見てる気持ちになりました。舌ピアスの話もそうだけど、キャラ同士の距離感や返しのテンポが自然で、居酒屋のざわめきまで聞こえてきそうでした。続きが気になりますね…!
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ねこむすび
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