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こんな完璧な人、私がどうこう出来るとは思えなかった。
唖然としていると、妻にするというのは本当だと言わんばかりに、いきなり横抱きにされた。
──もう声も出ない。
ダメだ。この人に触れられると本能が『逆らうな。逆らうと毛皮を毮りとられるぞ』と注意喚起を出してくる。
むろん、私の肌には毛皮なんか無い。
でも抵抗なんか出来ずに、私は杜若様に抱きかかえられて、言われるがまま母屋の広間へと向かうのだった。
母屋に戻り、広間に近づくほど人とすれ違い、大変驚かれた。私は既に驚きを通り越して、死を覚悟すると言うか、なんと言うか。
狐と言う私が、杜若様の仕掛けた結婚と言うトラバサミの罠に引っ掛かり。あとは煮るなり焼くなり、好きにしてくれと心境になっていた。
この後のことなんか、少しも予想出来ない。
それでも言われるがまま、この廊下を曲がれば大広への襖だと指をさす。
「環、持っていく荷物はあるか」
「あ、ありません」
蔵にあるのは使い古した道具に古着ばっかりだ。未練などない。
少しの貯金はいつも肌身離さず、襦袢の中に隠している。
「別れの挨拶をしたい人物は?」
「……ばあやだけです」
「分かった」
杜若様はそう言うと躊躇いなく、ぱしんと片手で襖を開けた。
広間の左右。
左側に杜若様の縁の方達と思われる、黒い隊服に身を包んだ人達が参列し、反対側の右側。
そこには見知った、白い着物を着た雪華家の親族がお膳を前に座っていた。
そしてこの部屋の上座。
一番奥には金屏風が飾られ、新婦側に姉が座っていた。
まるで結婚式に乗り込んだような気持ちなった。
私達の乱入したことにより、この広間は和やかな料理の良い香りで満ちていたが、それらは驚きの空気にあっという間に塗り替えられた。
主に雪華側の人達は「いったいどうした」「あの娘はなんだ」「環が何故ここにっ」「杜若様はどうなされたんだ」と、戸惑いの声が上がった。
黒い隊服を着た方たちは、じっと身構えているだけ。なんとも異様な空気が広間に漂う。
しかし杜若様は誰にも何も答えず。
ずんずんと広間の真ん中を私を抱き抱えたまま、歩き。
とうとう姉の前と両親が座る上座まで辿り着いた。
そこでようやく、私を静かに下ろしてくれた。
すると一番真っ先に反応したのは、険しい顔の姉だった。
「か、杜若様っ。お姿が見えないと思っておりましたら、これは一体どう言うことなのでしょうか。なぜ、そのような人物をここに連れて、ここに来たのでしょうか!?」
それに続くように両親が私へと睨み付け「何故、お前がここにいる」「早く元の場所に戻れ」と言い放った。
私は何も言えなかった。
代わりに不安気に杜若様を見上げてしまうと、ふっと優しく微笑されたので、それにも反応に困ってしまうばかり。
広間はいつの間にか水を打った静けさに包まれていた。
後ろの開け離れた襖からも、左右に列席している人たちも。
誰も彼も固唾を飲んで私達に注目していた。
そんな中、杜若様は何事もなかったように静かに口を開いた。