テラーノベル
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――開け、開け、ヤヌスの扉。
――今まさに国難のとき。
――来たれ、来たれ、異邦の旅人。
――ヤヌスの扉をくぐり、この地に降り立つべし。
ユーリは落下している。光に呑まれて以来、時間の感覚を無くして落ち続けている。
どこか遠くで歌声が聞こえる。高く低く、さざなみのように響いている。
と。
ある地点で位相がくるりと反転した。落下は上昇に変わり、ふわりと引き上げられる感覚がある。
奇妙な浮遊感の後、急に足元がしっかりした。
気がつけばユーリは、石造りの建物の床に立っていた。
「成功だ! 異世界からの英雄召喚に成功したぞ!」
ユーリは十人ほどの人に取り囲まれていた。みな、フードを被って顔はよく見えない。
がらんとした空間は広くて、声が反響している。空間を囲むように柱が並んでおり、どこか神殿を思わせた。
やや薄暗く、明かりは高い天窓といくつかのかがり火があるだけだ。
ユーリは足元の床を見た。そこに描かれている模様に見覚えがあった。
――これは、あの光の模様。
「英雄殿! ようこそ我らがユピテル帝国へ」
ユーリが無言のまま立ち尽くしていると、一人の男性が近づいてきた。まだ若い、二十歳になってない年頃に見える。
布を巻き付けたような見慣れない服装をしている。ユーリは何となく、古代ローマや古代ギリシアを連想した。
「なんと、英雄殿がこのような女性だったとは。もっと勇猛な男性を想像していましたが……」
彼は頬を上気させて、少年のように純粋な瞳でユーリを見つめている。
「しかし、ヤヌス神の選定に間違いはない。英雄殿よ、あなたはどのような武器が得意ですか?」
問われて、ユーリは返答に困った。彼女は武器など持ったことがない。中学のとき、剣道部の体験入部で竹刀を握ったくらいだ。しかも結局剣道部には入部しなかった。
「武器の経験はありません」
仕方なく正直に言うと、若者は面食らった顔をした。しかしすぐに立て直して続ける。
「なるほど、魔法使いでしたか。どの属性の魔法を使うのです? 炎? 風? 癒やし? それとも全てを!?」
こいつはふざけているのだろうか、とユーリは思った。
「……魔法は使えません」
当たり前でしょうがと心の中で付け加える。
「なんだと。――おい、アウレリウス」
「はい、セウェルス様」
若者が呼ぶと、控えていた人々の中から一人が進み出る。二十代後半と思しき背の高い青年だった。金の髪と紫の目が、かがり火の照り返しを受けている。
服装は他の者と変わらなかったが、フードの奥の目つきは鋭い。冷徹な眼差しに一瞬、ユーリは気圧された。
「『鑑定』してみろ」
「既に済んでおります。――スキルは『雑学』。それだけです」
「……はぁ!?」
冷静に告げた声に、セウェルスは大げさに頭を抱えた。
控えている神官たちもざわめいている。
「そんな馬鹿な。ヤヌスの選定で選ばれた異邦の英雄だぞ! 雑学だと? あり得んだろうが!」
「と、言われましても。私の『鑑定』スキルは確かにそれのみと告げています。……そうだな、そこの異邦人よ」
「は、はい」
アウレリウスの紫の目で見つめられて、ユーリは内心でぎくりとした。
「武芸の腕はなく、魔法も使えない。戦うすべを知らないと解釈してよいか?」
「はい。何と戦うのか知りませんけど、私はただの無力な一般市民です」
「では『雑学』に心当たりは?」
「ええと……」
ユーリは首をかしげた。
彼女は幅広いジャンルの本を読むのが好きだ。また、知らない話を聞くのも好む。知らないことを知るのは楽しい。
そういえば、そのおかげで小学生のときは『雑学王』なんて呼ばれていたっけ。
「人より色んなことに広く浅く詳しいとは思います」
「ふむ。例えば?」
しつこく突っ込まれてユーリはうんざりした。先ほどから意味不明な状況で疲れているのに、まだ続くのか。
「例えば、冬のブーツのニオイ対策に、十円玉をいくつか入れておくとよいですよ」
「十円玉とは?」
あ、外人さんだから十円が分からないのか、とユーリは思った。
「銅貨の小銭です。銅は消臭効果があるので、ブーツの臭いニオイをやわらげてくれます」
「…………」
「………………」
広い空間に妙な沈黙が落ちた。みな、戸惑った顔で黙っている。
「……もはや間違いないだろう」
しばらく後、重々しい口調でアウレリウスが言った。片手で額を押さえて、金の髪がこぼれている。
「此度のヤヌスの選定は失敗した。この女性は雑学に長けているだけの、ただの一般人。……よろしいですね、セウェルス様?」
「そ、そんな……。異邦の英雄を喚ぶために、どれほどの時間と資材を掛けたと……」
セウェルスはがっくりと膝をつく。いっそ気の毒な様子だったが、ユーリは同情しない。彼女こそ巻き込まれていい迷惑なのだ。
アウレリウスが説教じみた口調で言う。
「このような奇手に頼らず、正攻法で武功を挙げた方が早いでしょう」
「う……うるさい! あらゆる可能性を検討するのが指導者たる者の素質だ!」
「それは一理ありますが、失敗を認めて次に繋げるのも必要です」
わいわいと言い合う二人の男性を、ユーリと他の人々は呆れて眺めた。
(この人たちはどういう関係なのかしら。年下のセウェルスくんのほうが偉そうだけど、アウレリウスさんも遠慮はないし)
ユーリはそんなことを思う。
しばらく様子を見ていても、言い合いは終わらない。そこでユーリは言ってみた。
「あのー、すみません。私、もう帰っていいですか?」
するとピタリと言い合いは止まった。セウェルスとアウレリウスに見つめられて、ユーリはちょっとたじろぐ。
セウェルスは苦い顔をしてアウレリウスの脇腹をつつく。お前が言え、と言っている。
アウレリウスはため息をついて一歩、進み出た。
「異邦の旅人よ、大変申し訳ないが……。あなたを元の場所に返してやるのは不可能だ。ヤヌスの門は入ることはできても、出ることはできないのが定め」
「……は?」
「こちらの都合で呼び立てた以上、生活の保証はしよう。その他の要望もできる限り聞き入れる」
「…………はぁ?」
後ろの方では神官たちが「ほら、だからヤヌスの選定なんてやるべきじゃなかったんだ」「セウェルス様がどうしてもと言うから」「でもお前だってヤヌス神の奇跡を見てみたいとか言ってたじゃん」「ちょ、おま、今そんなこと言うなよ!」などとヒソヒソしている。全部聞こえている。
「私、仕事があるんです。もう月末だから忙しいの。私が黙っていなくなったら、会社の人が困るんです!」
ユーリは言った。叫ぶような口調だった。
「家族だって、友だちだっている! 急にいなくなったら、どれだけ心配させると思う!?」
セウェルスにつかみかかる。
「うわ、旅人殿、落ち着いて」
「これが落ち着いていられますか――!!」
石造りの神殿に、ユーリの絶叫が響き渡った。
ユーリとて『雑学』なるスキルが発現する身である。
ここが外国などではなく、いわゆる異世界であることは薄々気づいていた。
だいたい、言葉が通じるのが不思議だった。
セウェルスらの言葉は日本語と同じ精度で聞き取れて、ユーリから発話することもできた。明らかにおかしい。
(まさか、ライトノベルで有名な異世界転移?)
ユーリはあまりその系統の本や漫画は読まないが、何となく程度は知っている。
「アウレリウスさん」
必死で心を落ち着けて、ユーリは聞いてみた。聞く相手がセウェルスではないのは、それまでの態度の問題である。
「ここは、私が元いた世界とは違う場所なんですか?」
「ああ、そうだ。ここはユピテル帝国。内海を取り巻く史上最大の国にして、皇帝陛下と元老院が治める大帝国」
「ユピテル帝国……。初めて聞く国です。言葉もこの国独自のものですよね」
「その通り。――なるほど。異邦の旅人はヤヌス神の祝福により、この国の言葉を理解できるようになっている」
アウレリウスはそう言って、懐からひと巻きの巻物を取り出した。
「文字はどうだ? 読めるか?」
「……読めません」
ユーリは巻物を開いたが、見たこともない記号が並んでいるばかりだった。
控えていた神官の一人が言った。
「ヤヌスの選定を経た英雄であれば、読めるはずなのですが。選定と異世界への転送において、何らかの不具合が起きたようですね」
ユーリは聞いてみる。
「その選定というのは、どういうものですか」
「ヤヌス神の御力により、異なる場所より高い素質を持つ者を呼び寄せる秘儀です」
ということは、とユーリは思った。
最初に地面の光に呑み込まれそうになっていた、あの女子高生。あの少女が本来の『選定』を受けた者だったのだろう。
それをユーリが割り込んでしまった。そのせいで、こんなことに。
ユーリはさらに尋ねる。
「もし私が何か能力を持っていれば、どうなりましたか?」
「俺が望んだのは魔物と戦う力だ。魔物どもに打ち勝つだけの武力が欲しかった。そのような英雄であれば、俺とともに最前線へ出て戦い続けただろう」
セウェルスが答えると、アウレリウスも続けた。
「過去の英雄の中には、ユピテルにはない叡智をもたらした者もいるという。高度な知識や技術は、単純な武力以上に国の力となる。帝国お抱えの技士なり研究者なりとして、一生を仕えることになる」
(それ、どっちも奴隷みたいなものじゃない!)
ユーリは思わず心の中で叫んだ。
あの女子高生を助けられたのは、良かった。
でも代わりにユーリがここに来て、もう帰ることはできないのだという。
……理不尽だった。あまりにも。
明日も出勤日だったのに。
週末は実家に帰る予定もあったのに。
それらの全てを突然、取り上げられて。
日本の両親や友人たちは、唐突に行方不明になったユーリを探して、どれだけ心を痛めるだろうか。
「帰る方法は、本当にないんですか」
石造りの建物にユーリの声が響く。反響は声の震えを隠してくれた。
「ない」
アウレリウスが言う。きっぱりと。
「過去の英雄の中にも、帰還を希望する者がいた。ヤヌス神殿は総力を上げて方法を調べたが、ついぞ見つけられなかった」
ユーリはショックを受けながらも、言い返した。
「勝手に呼び出して、帰る道はないと言う。あまりに身勝手です」
「返す言葉もない。だが、今はそのような方法にすがるほど状況が悪いのだ」
彼が言うには、この世界には魔物と呼ばれる害獣が多く住んでいる。
魔物はほとんどが人間に敵対的で、しかも好戦的。高い身体能力と魔力を持ち、正面からやり合っては勝てない種族も多い。
そしてその魔物らが、近年非常な勢いで増えているという。
「…………」
彼らも必死なのだと、ユーリは理解した。
だけどそれでも、彼女は巻き込まれただけ。理解はしても飲み込めるものではない。
「とにかく、旅人殿には悪いことをした。今日はもう休んでくれ」
セウェルスが手を差し出す。
その手は取らず、彼の後についてユーリは歩き始めた。
コメント
1件
第2話読みました……! 「雑学」だけ持って異世界に呼ばれたユーリ、不憫だけど面白すぎます😂 戦えない・魔法使えないが確定した瞬間の空気感、めっちゃ伝わってきました。セウェルスとアウレリウスの言い合いも好きです。でも帰れないって現実突きつけられた時のユーリの叫び、すごく胸に刺さりました……続きが気になります!
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