「…………っつ、ぅ、」
これがゲームだったら、なっしーだって叫んだと思うけど、実際にあってみると声なんて出なかった。
ぞわぞわぞわ、全身に鳥肌が立って、身体が強張る。これ、えーっと、もしかして、もしかしなくても、痴漢ってやつ……?
初めて遭遇した感想は、恐怖よりも喫驚だった。なんでわざわざなっしーに? 女の子いっぱいいるよ?
というか痴漢って、今時の痴漢って、こんなに大胆なんだ、えっとえっと、どうしよう、なんでなんでなんで? 自意識過剰だって思う? なっしーだってはじめは気のせいだと思ったよ。だけど、節ばった男の人の手が、腰をするりと撫でてから、ベルトのバックルを弄られたら、そういうことだって気がついてしまった。鮨詰めというほど乗客が多いわけでもない車内だから、偶然手が当たったとか、そう言うことでもないと思う。待って待って待って、どうしよう。
「…………っぁ、の、降ります」
一本でも電車を遅らせたら、もう講義には間に合わないと知っていたのに、気がついたらそう声を上げていた。これでも、なっしーなりにちゃんと大学通ってたのにな。遊びの予定でさぼるときは、こんな罪悪感抱いたりしないのに、なぜだか後ろめたかった。転がるようにホームに降りて、見慣れない駅の改札をくぐり抜ける。
そっか、別に駅から出る必要はなかったんだっけ。降りちゃったけど、この後どうすればいいんだろう。このまま大学に行く気にもなれなくて、だとしたら家に帰ればいいのに、どうやって帰ればいいのか一瞬分からなくなってしまって、改札の前で立ち尽くす。そこではじめて、妙に息が苦しいことに気がついた。ばく、ばく、煩く脈打つ胸が痛い。膝が震えて立っているのがしんどい。嫌な汗で張り付いた前髪を払おうと持ち上げた指先も、細かく震えている。
「……は、はぁ、ふ……っ、はっ、」
なんでなっしー、こんなに動揺してるんだろ? 直接何かされたわけでもないし、もしかしたら他の人と間違えただけかもしれないし。ちゃんと逃げられたし、追いかけられてないし、大丈夫、のはずなのに。
急ぐ必要なんてないのに、意味もなくホームを走った。どうやって家まで帰ったのか、記憶はほとんどない。
「…………ぅおぇ、げぇ……っ」
なぜだか込み上げてくるものが抑えきれずに、洗面化粧台に縋りついて朝食べたものを吐き出した。ひとしきり吐いて、吐くものはなんにもなくなったはずなのに、気分の悪さが抜けなくて、親が帰ってくるまでずっと、そこに居座ってしまった。虚しくて苦しくて、涙が出そうになったけれど、結局泣けなかった。
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