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「おめでとうございます。今回の依頼達成でアゲハさんも昇級です。すごいですよ、すごいですよ!」
女性の声はハツラツだ。
喜ぶと同時に眼鏡がずれるも、整えもせずに笑みを浮かべている。
彼女は傭兵組合の職員だ。茶色をベースとした清潔感溢れる制服を着ており、椅子に腰かけながらも緑色の長髪を揺らしてはしゃいでいる。
ここはギルド会館の最奥。正しくはさらに奥があるのだが、傭兵にとってはここが行き止まりなため、ここより先は未知の領域だ。
嬉しそうな声はカウンターの向こうから発せられた。
訪問客でもある二人とこの女性職員は他人だが、毎日のように通っていれば顔見知りにもなってしまう。
窓口の向こう側で喜び勇む職員を眺めながら、少年は胸を撫で下ろすように息を吐く。
「これで旅の計画が立てられますね」
緑髪や頬がわずかに汚れているものの、付着しているのは血液の類ではなく泥だ。
アダラマ森林の川沿いで魔物を狩った結果、子供のようにあちこちが茶色くなってしまった。
そうであろうとエウィンは気にしない。
正しくは、依頼の報告を急ぎたかった。昨日の時点で七十九個を達成出来ており、今日が一先ずのゴールだからだ。
二つの笑顔に頬を赤らめながら、アゲハが静かに感想を述べる。
「よ、良かった。ありがとう……」
二人揃って等級二の傭兵だ。エウィンは先んじて昇級を果たすも、目的地には二人で目指すことから、アゲハの等級を上げない理由がなかった。
このやり取りを受けて、女性職員が笑顔のまま問いかける。
「記念にデートとかに行っちゃう感じですか? 羨ましーです!」
「デートじゃないですけど、ミファレト荒野に出かけるつもりです。いやはや、これで蛇の大穴を抜けられるってもんです」
ミファレト荒野は、単なる寂れた大地ではない。
クレバスのような裂け目があちこちに存在しており、観光名所にはなりえないものの、アゲハの要望もあり、二人はその地に足を運ぶつもりで等級を上げた。
そこへは蛇の大穴と呼ばれる洞窟を通過する必要があるのだが、その入口が特別な結界によって封鎖されている。
殴ろうが、斬りかかろうが、それは決して破れない。
しかし、等級二以上の傭兵ならば通り抜けることが可能だ。
そういう仕組みと制度が設けられている以上、エウィン達は地道に依頼をこなすしかなく、今日、ついにその数字を一から二へ上げることに成功した。
長い道のりだった。
ジレット監視哨で魔女や巨人族を退けてから、既に四か月が過ぎ去っている。
想定通りながらも、安堵せずにはいられない。
二人合わせて百五十前後の依頼をこなしたのだから、今回ばかりは心身ともに疲弊気味だ。
エウィンの返答を受けて、職員は慣れた手つきで手続きを進めつつも口を開く。
「ミファレト荒野となると、おっきな亀裂くらいしかないような……」
「それです、それ。ミファレト亀裂ってやつを見に行こうかな、と」
「なるほどー。いいですね! あ、でもー、今はタイミングが悪いかも……?」
言い淀む女性に対し、エウィンは目を丸くしてしまう。
なぜなら、理由が思いつかない。
ミファレト荒野は遠方の土地だ。マリアーヌ段丘を南下し、次いでルルーブ森林を横断、シイダン耕地、ケイロー渓谷、蛇の大穴の順に越えればたどり着けない。
行く先々で魔物と遭遇するだろうが、今の実力なら心配は不要だ。アゲハも順当に成長しており、本日の長距離移動も問題なくこなしてみせた。
ゆえに、確認せねばならない。
「タイミング? もしや、いつぞやのジレット大森林みたいに、どこかが通行止めになってるとか? いやはや、そんなワンパターンなこと……」
「はい、その通りです」
「なん……ですと……」
この返答が、エウィンをゆらりとよろめかせる。
もっとも、謎は謎のままだ。
ジレット監視哨の封鎖は、珍しいながらもありえないことではない。その先の大森林は巨人族の侵攻ルートそのものなため、それらが押し寄せた際はジレット監視哨が最前線基地としての機能を果たすことになる。
しかし、今回の封鎖は明らかに別件だ。巨人族は大陸の北側から攻めてくるため、エウィン達の旅路にはかすりもしない。
実は空腹ながらもそれを我慢しながら、アゲハが冷静に質問を投げかける。帰国後、夕食の前に窓口へ足を運んだことから、腹が減っていて当然だ。
「あの、封鎖は、どこですか?」
「ケイロー渓谷です。さて、先ずはこちらをお受け取りください。今日の分の報酬です。九千イールとなります」
「あ、ありがとう、ございます……」
アゲハが硬貨を受け取る一方、その背後ではエウィンがしおれてしまっている。やっとの思いで条件を満たしたにも関わらず、遠足という楽しみを奪われてしまったことから、空腹も相まって暴飲暴食が頭をかすめる。
「おにぎりを……、具なしでいいから五個くらいは食べたい……」
(五個だと確か、三百イール。エウィンさんって、どんな時も質素)
塩の味を楽しめる素おにぎりは、一個六十イール。アゲハの暗算は正しいのだが、その金額は外食らしからぬ安さだ。
ゆえに彼女は促す。
「あのうどんも、注文したら? お肉たっぷりの、えっと、なんとか汁なしうどん……」
「粗挽き羊肉の汁なしうどん?」
「うん、それ」
「期間限定だったみたいで! 終わってしまったんです! 粗挽き羊肉の汁なしうどーん!」
「そ、そうなんだ……。な、泣かないで……」
崩れ落ちたエウィンを前にして、アゲハは戸惑うことしか出来ない。
そんなやり取りには目もくれず、女性職員は手続きと説明を続ける。
「ケイロー渓谷にゴブリンが大集結しているようです。何年か前にも似たようなことがありまして、ただ、今回は前回以上の規模らしいです。既にジイダン村にも被害が出ていて、このままだと作物の収穫が困難になるかもしれません。そういった事態を受けて、上はケイロー渓谷の封鎖を決定しました。併せて、軍の派遣も決定済みです」
「あ、そうなんですね。エウィンさん、どうしよう?」
「うーむ、封鎖されてなければなぁ。殴りこんでゴブリンを蹴散らせば済む話だったけど……」
いささか乱暴な論法だ。
それでもそう言ってのけた理由は、自信の表れか。
あるいは死地に赴きたいだけなのか?
どちらにせよ、今は王国軍に任せるしかない。
涙を拭いて立ち上がったエウィンを前にして、職員は緑色の髪を揺らしつつも肯定する。
「本件は大規模な作戦になることが見込まれます。よって、我々にも声がかかる可能性は高そうです。その場合、エウィンさんとアゲハさんは真っ先に指名されるかもしれませんね」
「え?」
この発言に対して、二人は首を傾げてしまう。
なぜなら、名指しという部分が理解出来なかった。
ジレット監視哨での死闘をえて、第四先制部隊の隊長でもあったマークとは知り合いになれた。
しかし、部隊そのものが全滅したことと精神的に疲弊したことから、現在は休養中だ。
ゆえに、軍の中でエウィン達の名が挙がるとは思えないのだが、この女性はそれを否定する。
「有名ですよ、お二人は。私達は当然ながら、軍の上層部にも知られているはずです。それほどの活躍を、なさったんですよね?」
「ど、どうなんですかね~。被害を考えると、たいしたことは出来てないような……」
謙遜と自虐が入り混じった結果がこの反応だ。
自分達を五十三番と名乗った魔女達を蹴散らした。
オーディエンが率いた巨人達を三体だけながらも負かしてみせた。
上出来だ。
そのはずなのだが、素直には喜べない。
なぜなら、王国側の被害があまりにも大きい。
ジレット監視哨に派遣された軍人達が隊長を除いて全滅。
エルディアの同胞でもある魔女も一人だけだが命を落とした。
人数だけで比較した場合、完敗だ。白い歯を見せられるはずもない。
そうであろうと、脅威を退けられたことは事実だ。
そして、それを成したのがこの傭兵であることも揺るがない。
「またまたご謙遜をー。ところで、今日はエルディアさんとご一緒じゃないんですね」
「あ、一昨日くらいから忙しいみたいです。魔女の仕事がうんぬんって言ってました」
「なるほど。ありえる話です」
受付の職員が納得するのも当然だ。
エルディアはただの傭兵ではない。イダンリネア王国に移住した六百人を束ねる里長だ。母親からその地位を継いだ以上、様々な仕事が彼女に舞い込む。
その一つが、関係各所へ提出する書類への対応だ。
移住に際し、貸与してもらった土地の更新手続き。
仕事の斡旋に伴う、申し込みと選考結果の精査。
移住者の意向を確認するためのアンケートをチェック。
また、貴族やその上への謝礼に関してもぬかりなく行う必要があるため、さぼったらさぼった分だけ書類が積まれてしまう。
つまりは多忙のはずだ。傭兵稼業にうつつを抜かしている場合ではない。
「チームを組んで三か月ちょっとか。そう考えると長いな」
エウィンとしても、そうつぶやくしかない。
二人から三人へ。エルディアが加わったことで、日々は賑やかなものとなる。
アゲハも彼女に対して心を開き、三人は自然体のまま、依頼達成のために走り回った。
その結果が、今日の昇級だ。
後はミファレト荒野を目指して旅立つのみ。
そのはずだった。目的地への道のりが途中で遮断されているため、出来ることは頭を抱えることだけか。
そうではないと、職員が提示する。
「こういう時こそ、エルディアさんに相談してみると良いかもしれませんね。あの人は私達が思っている以上に顔が広いので」
「なるほど。アゲハさん、明日にでも行ってみませんか?」
「あ、うん……」
エウィンの提案を受けてアゲハが静かに頷くも、このタイミングで少年は気づく。
「あ、ついでに武器見てみようかなー。お金、貯まったし……」
現在の所持金は二十万イール。金持ちとは程遠いが、武器の新調なら十分可能だ。
もちろん、この案は独断ではない。
素手のエウィンを見かねたアゲハとエルディアが、常日頃から購入を促した結果だ。
拳で戦う傭兵は少なからず存在する。打撃や蹴りで魔物を屠れるのなら、確かに問題ない。
しかし、この少年は短剣の使い手だ。子供の頃から、ブロンズダガーを愛用し続けた。
その短剣が折れてしまった以上、素手で戦うしかない。
エルディアからスチールソードを譲り受けるも、その日の内に根本から折られてしまったことから、魔物を殴ることが日常と化した。
それでも、このタイミングでムクムクと欲求が湧き上がる。
エルディアは武器屋の娘だ。彼女の家を訪問するということは、その店に足を運ぶことに等しい。
ならば、天のお告げだと解釈し、購入を検討したくもなる。
ミファレト荒野への遠征は、残念ながら一時延期だ。
一方で、新たな予定が決まった。
翌日、二人はその店を訪れる。
総合武器屋リンゼー。イダンリネア王国における、唯一の武器販売店。
◆
木製の扉が開かれようと、店内は別世界のように静寂だ。大通りの足音が波のように押し寄せるも、それを拒むように静まり返っている。
ここが武器屋であることは間違いない。
なぜなら、四方の棚には武骨な武器達が綺麗に陳列されている。
この光景はどこか威圧的ながらも、傭兵ならば怯んではならない。
武器を使って魔物を殺す。こういった行為を生業としている以上、商売道具が並ぶここはある意味で第二の職場と言えるのだろう。
「いらっしゃい」
不愛想な声だ。
太く、力強いそれは店の奥から生まれた。
黄色いエプロンはここの正装だ。この男だけでなく、家族が店番を任される際もこれを着用する。
白いシャツから伸びる腕は傭兵のように太い。斧や両手剣は重たいため、この仕事に従事した場合、必然的に鍛えられるのだろう。
訪問者を睨んではいないのだが、強面な顔が誤解を生じさせる。
髪の毛が一本も見当たらないスキンヘッドも圧迫感の原因か。エプロン姿が雰囲気をいくらか和ませるも、相殺出来ているとは言い難い。
しかし、その二人は冷静だ。過去に何度か訪れていることと、この男とも顔見知りなことから、今更怯むはずがない。
「おはようございます。エルディアさんっていますか?」
口をテキパキと動かしながら、エウィンが挨拶を済ませる。
一方で、アゲハはその後ろで早々に商品を鑑賞中だ。残念ながら人見知りは解消されていないため、エウィンがいてくれる場合、彼女は異性に対して一言も言葉を発しない。
「おう。呼んでこようか?」
男の名前はゴッテム・リンゼー。武器屋リンゼーの店主であり、エルディアの父親だ。
目当ての人物が外出していないことがわかったことから、エウィンは胸を撫で下ろしつつも頭を下げる。
「お願いします」
「少し待ってな」
この店は自宅と連結しており、カウンターの奥から直接帰宅出来てしまう。
ゆえにゴッテムはさも当然のように姿を消すも、本来ならば不用心な行為だ。
それでもそうした理由は、信頼に他ならない。娘からエウィン達の話を山の様に聞かされている手前、疑う方が困難だ。
店内には朝陽が眩しいほどに差し込んでおり、窓の外を眺めれば通行人が右へ左へ歩いている。
壁一枚隔てただけのここは、どこか異質だ。多数の刃物に囲まれていることからそう思えるのか、答えを見いだせないまま、エウィンが一歩を踏み出す。
「何見てるんですか?」
「えっと、これ」
その問いかけに対し、アゲハが人差し指を突き出す。
眼前の商品棚並ぶ、包丁のような刃物達。値札には商品名と価格が書かれており、左が最も安く、視線を右へ移す度にゼロの数が増していく。
彼女が指差した商品は、最も右の短剣だ。
白い鞘に収まっているため、美しい刃は見えない。
それでも、その品格は隠しきれておらず、高級品であることは誰の目からも明らかだ。
「あぁ、ミスリルダガー。綺麗ですよね。目ん玉飛び出るほどのお値段ですけど……」
販売価格は五百万イール。その金額は一般世帯の年収を上回るほどだ。
買おうと思えば、時間はかかれど不可能ではないのだろう。
しかし、購入する傭兵は極少数だ。
なぜなら、五百万イールは高過ぎる。金の稼ぎ方を熟知していない限り、早々には手が出せない。
また、いかにこの武器が優れていようと、いつの日か必ず壊れてしまう。
その際は買い替えなければならないのだから、これほどの消耗品を買うためにはそれ相応の勇気が必要だ。
ゆえに、大多数は買おうとすら思わない。ここを訪れた際に、冷やかすように眺めるだけだ。
「ミスリル、ダガー。スチールダガーの、十倍くらい。そんなに、違うの?」
アゲハの視線が左へわずかにずれる。
そこには灰色の短剣が陳列されており、その値段は六十万イールだ。
「ど、どうなんでしょう? めちゃくちゃ切れて、めちゃくちゃ頑丈で、めっちゃ軽いからとか? ほら、全然違う」
「あ、ほんとだ……」
二人は寄り添うように肩を並べながら、二つの短剣を交互に持ち上げて比較する。
スチールダガーの主材料は鋼鉄だ。不純物を限界まで取り除いた鉄であり、だからこそ、どうしても重たくなってしまう。
しかし、その強度はお墨付きだ。この刃物で斬れない魔物はいないとさえ言われている。
巨人族と戦う際の必需品とさえ言われていることから、スチール製の武器を買うことが一種のステータスと化している。
対するミスリルダガーだが、こちらは非常に軽い。
なぜなら、材料となる鉱石がそのような性質だからだ。
ミスリル。鋼鉄よりも硬く、決して錆びないとさえ言われている神秘的な金属。産出量が非常に少ないことから、加工品はどうしても高級品と化してしまう。
「今の僕なら、スチールダガーだって余裕で振り回せますけど、まぁ、うん、絶対に買えない……」
現在の所持金は二十万イール。三か月近くも働き続けた結果がこの金額だ。
エウィンは残念そうに短剣を降ろす。
このペースでさらに半年ほど稼ぎ続ければ、六十万イールは貯まるのだろう。
もっとも、それは絵に描いた餅だ。
なぜなら、全財産をスチールダガーにつぎ込んだ場合、その瞬間から宿代や食費が払えなくなる。この武器を買う場合、さらに一、二か月は依頼をこなし続け、所持金に余裕をもたせたい。
つまりは、おおよそ一年間の金策が必要だ。
スチール製の武器にはそれほどの価値があることから、傭兵はこれを目標にして魔物を狩り続ける。
「エウィンさんも、いつか、買いたい?」
「いえ、実はあんまり……。と言うのも、軽くトラウマで……」
アゲハが問うと、エウィンの顔が青ざめる。
その変化に、彼女としては首を傾げずにはいられない。
「トラウマって?」
「ほら、この前、エルディアさんからもらえたじゃないですか、スチールソード。その件です、剣だけに」
「あぁ、なるほど……」
(スルーされた。まぁ、いいか。つまらなかったし……)
魔女四人を追いかけるために、ジレット監視哨へ赴いた際の出来事だ。
エウィンは報酬の前払いとしてスチール製の片手剣を譲り受けるも、これは七十万イールもの商品だ。
しかし、その後の戦闘で灰色の刃は無残にも折れてしまう。
それでもなお、敵対中の魔女を退けることには成功するも、残った刃は赤黒い巨人によって完膚なきまでに砕かれた。
たった一日で七十万イールを失ったとも表現出来るため、エウィンは心を痛めてしまう。
もらった武器を破壊されただけでも落ち込んだことから、自分で稼いで購入した場合のダメージはそれ以上だと想像に難くない。
トラウマと呼ぶには大げさながらも、物欲が縮こまったことは紛れもない事実だ。
「エウィンさんは、強いから、パンチキックで、戦えるけど、やっぱり、あった方が……」
「そうなんですよねー。アゲハさんみたいに炎でボンとかは出来ないので、戦い方の幅を狭めないためにもブロンズダガーを買い直すか、いっそのこと……」
一旦発言を止めて、エウィンは左側の商品に手を伸ばす。
それはスチールソードに似た色合いの短剣だ。凝視するとくすんでいることがわかるのだが、頑丈そうであることは間違いない。
値札にはゼロが四個しか並んでいないため、安くはないが購入可能な金額だ。
「それって……」
「はい。アゲハさんとお揃いのアイアンダガーです。八万イールだから、僕達でも買えます」
鉄で作られた短剣だ。傭兵試験に合格した新人が、購入を検討すべき武器と言えよう。
鉄製ゆえにいくらか重いものの、その剛性ならば戦闘に耐えうる。
最低品質がブロンズなのだが、アイアンはその次。
しかし、その差は歴然ゆえ、アイアンダガーやアイアンソードはある意味でスタートラインだ。
草原ウサギだけを狩り続けるのなら、ブロンズダガーで問題なかった。
残念ながら、それだけでは生計など立てられない。エウィンが十二年も継続出来た理由は、浮浪者の自分自身を受け入れられたからだ。
住居は、朽ちかけた倉庫。
服は破けてもなお、その一着を着続ける。
空腹が当たり前の生活。
これらを当然のものとしたからこそ、少ない収入でみすぼらしく生きられた。
もっとも、そのような日々とは決別した。
半年前に、貧困街の片隅でこの女性と出会ったからだ。
「アイアンダガー、私と、お揃い……」
アゲハの言う通り、二人は既にこの短剣を購入済みだ。
それは彼女の腰からぶら下がっており、出番は滅多にないものの、護身用としては申し分ない。
ゆえに二本目を買うという行為は一見すると悪手だが、そうではないとエウィンは言ってのける。
「僕の分も買えば、仮にアゲハさんのが壊れたとしても、そのまま手渡せるっていう寸法です。慣れない武器だと四苦八苦するかもですけど、同じのなら手に馴染むと思いますし」
「あ、なるほど。そういうメリットも、あるんだ。でも、そうなると、エウィンさんが、また手ぶらに……」
「それはそれと言いますか、その時に考えるって感じで。ん~、その頃には短剣も飽きてそうですし、次はアイアンソードあたりにしちゃおうかなぁ」
そう言いながら、少年は別の棚を目指す。
そこの武器は刃が長く、この店の売れ筋商品達が陳列されている。
「スチールソードじゃなくて、アイアンソード、なんだ」
「そりゃまぁ、逆立ちしても買えませんから。だけどアイアンなら! なんと! 九万イール! 買えちゃう!」
アイアンソード。おそらくはこの店で最も買われている武器だ。斧や槍よりも扱いやすく、選ぶ傭兵は少なくない。鉄の塊ゆえにかなりの重量だが、その頑丈さは折り紙付きだ。
そういった背景から、エウィンの言い分は間違っていない。次回ではなく今日買ってしまっても良いくらいだ。
それをわかっているからこそ、戻ってきた店主が問いかける。
「アイアンソード、買うのかい?」
「いえ、アイアンダガーにします。あ、エルディアさ……」
店の奥から現れた二人。
一人目は当然ながらゴッテムだ。客の発言を受け、商売人らしく問いかけた。
二人はこの男の娘。茶髪は寝ぐせで乱れており、眠たそうな表情は二度寝から起こされた直後ゆえか。
「ふわぁ、お客さんって君達かー。どしたのー?」
あくびと共に、エルディアが登場だ。
客の訪問に対して身だしなみを整えなかった理由は、父親に急かされたためだ。
もっとも、寝ぐせだけなら問題なかった。
エウィンが目を見開いたまま動かない理由は、彼女の服装に起因する。
「もしかして、エルディアさん……」
若者には刺激的な光景だ。
彼女は部屋着代わりのハーフパンツを履いており、それは寝間着も兼ねているのだろう。
問題は上半身だ。麦色のダボっとしたシャツを着ているのだが、彼女の胸はあまりにも大きいため、胸部がありえないほどに盛り上がっている。
そのラインは、シャツが水で濡れているように丸わかりだ。二つの果実がその形を披露しており、つまりはブラジャーを付けていない。
この光景がエウィンの記憶に新たな思い出を刻むも、ここにはアゲハは同行している。彼女がその下心を見過ごすはずがない。
「えい」
「ぐわー! 目がー! 僕は悪くないのにー!」
目つぶしが両眼を潰した瞬間だ。
当然ながら、この苦痛に耐えられる者などいない。エウィンは崩れ落ちると同時に、悲鳴を上げながら悶え苦しむ。
一方で、恩人の目を潰しておきながら、アゲハは今なお立腹中だ。
そんな二人を眺めながら、エルディアは眠そうにつぶやく。
「今日も楽しそうだねー。んじゃ、私は三度寝しに戻ってもいいかな?」
よいはずもなく、視力を失ったエウィンに代わり、アゲハが問いかける。
「あの、ケイロー渓谷が、封鎖されちゃったみたいで。エルディアさん、何か、知ってる?」
「んあー、何日か前の会議でそんなこと聞いたなー」
あくびを堪えるように返答するも、アゲハを食いつかせるには十分だ。
なぜなら、知っている。自分達よりも早く情報を得ていることから、魔女の長という地位は伊達ではないらしい。
「私も、等級上がったから、ミファレト荒野に、行こうって話してて……」
「おー、おめでとう。魔女の仕事がなければ、最後まで付き合ったのになぁ、うぅ。あ、だから通り抜けたいのに、封鎖されちゃってて困ってる、と……」
「うん、何か、知ってる?」
ここ数日は別行動だったが、それまではほぼ三人で過ごしてきた。
ゆえに、状況把握は一瞬だ。エルディアは訪問客の心情を見抜くと、乱れた髪ごと頭皮をかきながら考え込む。
「むむむ、ゴブリンが大挙して集まってるんだっけ?」
「そう、みたい」
「聞かされてる情報は二つくらいかなー。派遣された部隊は第一遠征部隊と第二遠征部隊。んで、すぐにでも打って出るみたいよ? 既に被害が出てるからね」
その被害とは、畑の作物や農家のことだ。
ケイロー渓谷はシイダン耕地の西に位置する。その谷自体がゴブリンの集落と化しており、だからこそ、傭兵ですら滅多に近寄らない。
シイダン耕地は大規模な耕作地帯ゆえ、ここを魔物に攻め込まれた場合、その被害は甚大だ。食卓に並ぶ野菜や果物が目に見えて減ってしまうため、イダンリネア王国は早急に軍隊を派遣した。
その決定は正しいのだろう。
しかし、アゲハは眉をひそめてしまう。
「ゴブリンって、手ごわいと、思うけど……。それに、数の把握も、まだなんじゃ……」
「お、さすがアゲハちゃん、頭良いねー。いやまぁ、その通りなんだけど、遠征部隊ってけっこうはすごくてね。しかも今回は二部隊。多少の無茶はきくって判断したんだろうねー」
イダンリネア王国が保有する戦力は、大きく五つに分類可能だ。
王族の警護に特化した、光剣守備隊。
防衛の要、王国防衛軍。
ジレット監視哨等へ派遣される、先制防衛軍。
そして、敵陣に攻め込む獰猛な連中が、遠征部隊だ。
この四つが王国軍であり、部隊の総数は十や二十どころでは済まない。
傭兵は軍人ではないものの、五つ目の戦力として数えられている。彼らは王国の手駒となることを嫌うも、その実力は決して侮れないことから、金という対価は必要ながらも、時に巨人族の討伐に組み込まれる。
「そう、なんだ。だったら、大人しく待った方が、いいのかな?」
アゲハは日本人だ。この世界へ転移し、まだ半年そこらしか経っていない。
ゆえに、エルディアが問題ないと説明した以上、出来ることは受け入れることだけだ。
ましてや、この魔女は元軍人という奇特な経歴の持ち主であり、知見の深さは寝起きであろうと色褪せない。
「良い機会だし、見に行くのもありだと思うよー?」
「え、でも、封鎖……」
「封鎖って言っても、通せんぼされてるわけじゃないだろうし。ぶっちゃけ誰かに見られなければ、そのまま通れちゃうはずよ。まぁ、ゴブリンがうじゃうじゃいるだろうから、無理しない方がいいと思うけど」
能天気な返答だ。
しかし、実は真実を言い当てている。
エルディアの言う通り、ケイロー渓谷は封鎖中ながらも、柵のような何かで往来を防がれているわけではない。
もしも自信があるのなら、ゴブリンをかきわけながら進むことも可能なのだろう。
そうであろうと、今回は自粛すべきだ。
アゲハですら、その危険性を言い当てられる。
「エウィンさん、一人なら、まだしも……。私が、いたら……」
つまりはそういうことだ。
ゴブリンは決して雑魚ではない。体の大きさや腕力は巨人族に劣るも、比較対象がおかしいだけだ。
フルプレートの鎧を加工するだけの技術力。
機械仕掛けの弓を扱える、手先の器用さ。
そして、魔物でありながら高い知能を持っていること。
決して侮れない相手だ。
草原ウサギしか狩れなかったとは言え、エウィンは一度、この魔物に殺されかけた。反撃の糸口さえ見いだせなかったことから、アゲハがそれらの巣窟に足を踏み入れることは自殺行為に等しい。
そのはずだが、エルディアはあっけらかんと言ってのける。
「大丈夫っしょー。遠征部隊と足並みを揃えれば。私だったら、そうしちゃうなー。アゲハちゃんとエウィン君が羨ましいゼ」
「え、でも、そんなこと、許されるの?」
「状況次第じゃない? ゴブリンが想定よりも多かったら感謝されるだろうし。そうじゃなかったら、怒られるかも?」
どう転ぶかは、行ってみないとわからない。
エルディアはそう言いたいのだが、アゲハの望む回答ではなかった。
それゆえに、問答の継続は必然だ。
「やっぱり、敵の規模を、調べることが、最優先なんじゃ……」
「時間をかけられるならそうなんだけど。上はそう判断しなかったっぽい?」
「な、なんで?」
「各地から集結してるってことは、調査に時間を費やした分だけ、あちらさんの戦力は増加しちゃう。ってことなんじゃ?」
「あ、そっか……」
根拠はないが、否定も難しい。
現状が既にピークの可能性はあるのだが、王国軍は一秒でも早くゴブリンを掃討するつもりだ。
仮に根絶が困難だとしても、それならそれで構わない。その数を減らすことが出来れば、近隣の平和は保たれる。
「第一の隊長さんは知らないけど、第二の方は私の元上司でね、まぁ、めちゃくちゃ強いわけよ? だから、心配はいらないと思うよー。私の名前を出せば、それこそ話くらいは訊いてもらえると思うし」
「え、そうなんだ。隊長さんの、名前って……」
「ダブル隊長。中央防衛軍本隊にいたはずなのに、いつの間にか第二遠征部隊に異動しててね。中央防衛軍ってぶっちゃけ退屈だろうし、あの人なら遠征討伐軍の方が肌に合ってそうだけどさー」
エルディアはあっけらかんと言ってのけるも、根拠は一切ない。
そうであろうと、提示された選択肢を前にしてアゲハは悩む。
物は試しで現地に向かうか?
金を稼ぎながら大人しく待つか?
残念ながら、今は選べない。情報を得られてもなお、判断材料は全く足りていない。
ゆえに、彼女は黒髪を握りながら頭を下げる。
「少し、考えてみます。色々、ありがとう、ございました」
「あいよー。またなんかあったら、いつでも来てねー」
かしこまるアゲハを前にして、エルディアは手の平をヒラヒラ動かしたら笑顔を向ける。
これにて質疑応答は終了だ。
不明点は多いものの、一歩進めたことは間違いない。
二人の会話が途切れたことで、その男が口を開く。実は、この機会を随分前からうかがっていた。
「坊主、大丈夫か?」
「目がー!」
両眼を潰されて以降、店内の床を転がり続けていた。その間も叫び続けていたのだが、女性陣はノイズを遮断していたため、話し合いの支障にはならなかった。
負傷した被害者に、加害者がそっと寄り添う。
「そろそろ、治して、あげるね」
「あ、はい! お願いします!」
このやり取りを眺めながら、親子はあえて黙る。
微笑ましいようで、そうではない。目を潰した張本人が手を差し伸べるのだから、マッチポンプとはこのことだ。
苦痛に歪んだエウィンの顔に、彼女の右手がそっと触れる。
たったそれだけの行為ながらも、治療はあっという間に完了だ。
折り紙。転生の際に、神から与えられた固有能力。少なくともアゲハはそう捉えている。
激痛が消え去り、視力が回復したことから、眼帯代わりの両手はもはや不要だ。エウィンは嬉々として起き上がる。
そして、行動を開始する。
「今だ!」
この時を待っていた。
目が見えるようになった以上、やるべきことは明白だ。
カウンターの向こうには、店主とその娘が肩を並べて立っている。
当然ながら、スキンヘッドの大男には興味などない。
標的は隣のエルディアだ。
無防備なその姿は、見方を変えれば色っぽい。
ましてや、ブラジャーをつけていないことから、十八歳のエウィンにとっては最高のご褒美だ。
だからこそ、目に焼き付ける。
そのために、両目を見開いたその時だった。
「えい」
「ぎゃー! 目がー!」
本日二度目の目つぶしが少年を襲う。
アゲハがその行為を見逃すはずもなく、当然のようにエウィンの視力は奪われる。
両目を押さえながら悶える姿は滑稽だ。自業自得ゆえ、エルディア達は何も言わない。
店内に悲痛な声が響く一方で、アゲハだけは冷静だ。少年の足をがっしりと掴むと、店主とその娘に一例しながら挨拶を済ませる。
「それでは、失礼します」
「またねー」
「お、おう」
エウィンを引きずりながら、平然と退店する。身体能力が高まった今なら、人間一人を片手で運ぶことなど造作もない。
翌日、二人はアイアンダガーを購入するため再び足を運ぶも、今回は騒ぐだけ騒いで帰ってしまう。
その結果、店内が本来の静けさを取り戻した。
一方で、残された親子は肩を並べたまま動かない。
大通りの方から悲鳴のような何かがかすかに聞こえてくるも、ゴッテムはそのことには触れずにつぶやく。
「楽しい奴らだな」
「でしょー。アゲハちゃんってもっと無口な子かと思ってたけど、いやいや案外って感じなのよねー」
言い終えるや否や、エルディアは窮屈そうに背中をかく。連動するように柔らかな胸がその形を変形させるも、父は淡々と相槌を打つ。
「聞いてた話よりも乱暴と言うか、凶暴だった気もするが……」
エルディアは常日頃から、両親にエウィンとアゲハの話を披露していた。
傭兵ゆえに日常が波乱に満ちており、話のネタが尽きることはない。
ましてや、この二人とは毎日のようにチームを組んだことから、親子で食卓を囲む際はエルディアの口は様々な意味で動き続ける。
「エウィン君が絡むと面白いよねー。ついつい、からかっちゃう。んじゃ、三度寝~」
昨晩は書類仕事に追われてしまい、夜更かししてしまった。
その結果、朝食のために一度は目覚めるも、当然のように二度寝を決め込む。
エウィン達の訪問によってまたも叩き起こされたのだから、エルディアは権利を主張するように寝ることを選ぶ。父親に見送られながら一歩を踏み出すも、胸中は眠気が吹き飛ぶほどに楽しげだ。
(あの二人、絶対に出発するだろうなー。あー、私も行きたいなー。そうだ、せっかくだし、このことをハクアさんに報告しておくか。ミファレト荒野には森があるって説明済みだし、あの二人なら立ち寄ってくれるはず)
エウィン達の目的は、ゴブリンの討伐を手伝うことではない。
言ってしまえばそのついでだ。
彼らはその先の荒野を観光したいがために、旅立つ。
その地は植物が生えない、枯れた大地だ。魔物の数も少ないため、傭兵の姿すら見当たらない。
ミファレト荒野。王国の遥か南西に位置する無人の土地。
しかし、実態は異なる。
ミファレト荒野の片隅には摩訶不思議な森が存在しており、そこには魔物が生息しない一方で動植物の楽園と化している。
そここそが、新たな出会いをもたらす場所だ。
それをわかっているからこそ、エルディアは先んじて本件を伝えるつもりでいる。
その場所の名前は、迷いの森。
エウィンとアゲハはそこで出会う。
そして、知ることとなる。
最強がどれほどか、を。
この大陸を覆う、真っ黒な闇を。