テラーノベル
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K
アラバマの家は、いつも「南部の心臓」のように温かかった。
バーベキューソースの甘辛い香りが漂うキッチン、冷蔵庫には常にビールがぎっしり、リビングのソファは誰かが座ると「ぎゅー」と音を立てて沈み込む。これが彼の「ファミリー」の城だった。
そして今日、その城で小さな異変が起きようとしていた。
「……Y’all、洗濯物が溜まりすぎたな」
アラバマはバスケットいっぱいの衣類を抱え、地下の洗濯室へと階段を下りた。Tシャツ、ジーンズ、タオル……それに、なぜかキッチンに置き忘れられていた「ぷにくま」も混ざっている。
「ったく、(なまえ)のやつ、またぬいぐるみ置き忘れやがって……」
彼は優しい口調でそう呟き、洗濯機の蓋を開けた。
──そして、凍りついた。
「……んにゅ?」
中に、いた。
(なまえ)が、いた。
洗濯機のドラムの中で、両手(正確には左手と右腕の断面)をぎゅっと胸の前で組み、膝を抱えて丸まっている。白いフリルのワンピースは所々シワになっており、絆創膏はいつものように頬と右腕の断面に貼られている。そして、ぷにくまを抱えていない(なぜならぷにくまは洗濯バスケットの中にいるからだ)。
「……」
「……」
(なまえ)はゆっくりと顔を上げ、閉じた両目をアラバマの方へ向けた。
「あらばま…ばっきゃにいちぁん…?」
「なんでお前、洗濯機に入っとるんや」
「ねぇんね…しょーと…」
「お前、寝る場所そこにしたんか」
「んにゅ…きもちぇーかったし…くるくる…しゅるしゅる…」
彼女は自分の言葉だけで完結する説明を終え、再び目を閉じた。どうやらまだ半分寝ているらしい。
アラバマは深く息を吐いた。
「……Y’all、ここは洗濯機や。干物になるで」
「ほしもの?うみゃ…?」
「うまない。出てこい」
彼はがっしりとした腕を洗濯機の中に突っ込み、(なまえ)を軽々と持ち上げた。138cm、38kgの小さな体は、彼の大きな手のひらの中にすっぽり収まる。
「……ぷにぷに…」
(なまえ)は持ち上げられながらも、まだ眠たげに「ぷにぷに」と呟いている。左手でアラバマのシャツの胸元を掴み、右腕の断面を彼の胸に押し付けて、まるでこれが当たり前かのようにくつろいだ。
「……お前な」
アラバマはため息をつき、彼女を洗濯機の蓋の上に座らせた。
「ここでじっとしとれ。洗濯が終わるまで」
「うぃ…」
(なまえ)は素直に頷いた。
そして、彼が洗濯物をドラムに放り込み始めると──
「……しょれ…なに?」
「洗剤」
「しゃくざい?」
「汚れを落とすもんや」
「わーたやし…」
彼女は「わかったつもり」になった。実際には全くわかっていない。
アラバマが洗剤を計量カップに入れ、洗濯機の投入口に注ごうとした瞬間、背後から「ちょいちょい」と左手の人差し指で背中を突かれた。
「……にゃに」
「わいも…しゃくざい…いれてみりゅ」
「いらん。お前は洗濯物やない」
「わーたやし…しょっき…しなかった…」
「しなくていい。てか、お前が入れたらどうなるか分かっとるんか」
「きもちぇー…くるくる…?」
「いや、泡まみれで窒息するわ」
「……おばけぇ…」
彼女は「おばけぇ」と呟き、自分の危険発言に自分で怯えた。
アラバマは洗剤を投入し、蓋を閉め、洗濯機のボタンを押した。
「ぐぉぉぉ……」
洗濯機が回り始める。
(なまえ)は蓋の上で興味津々に、ドラムが回転する様子を覗き込んだ。閉じた目でも、その振動と音で「何かが起きている」とわかるらしい。
「……あらばま」
「なんや」
「ぷにくま…あしゃびょ…?」
「ぷにくまは今、洗濯バスケットの中でお前のこと待っとるで」
「ほんちょ?」
「ほんちょや」
「……よかった…」
彼女はほっとして、その場で小さく「ぴょこぴょこ」と跳ねた。蓋の上で跳ねる(なまえ)に、アラバマの心臓が一瞬止まった。
「バカ!落ちるぞ!」
「わーたやし…だいじょーぶやし…」
「大丈夫じゃない。降りろ」
「……やぁや」
「Y’all……聞く耳持たんのか」
彼は仕方なく、もう一度(なまえ)を抱き上げ、今度は洗濯室の隅にある古いロッキングチェアに座らせた。
「ここでじっとしとれ。動くな」
「……ばっきゃにいちぁん…いじょー…」
「いじょーで結構。お前が洗濯機の中に落ちる方が怖いわ」
彼はそう言って、洗濯機の様子を見るために背を向けた。
──その瞬間だった。
「……ぎゅー」
背後から、小さな両腕(と断面)が彼の腰に巻き付いた。
振り返ると、(なまえ)が椅子から降りて、後ろから抱きついていた。顔を彼の背中に押し付け、まるで子猫が母猫にすり寄るように。
「……さみぃ…」
「さっきまで隣におったやろ」
「……だっこぉ」
「洗濯中や」
「……だっこぉぉ」
彼女は主張を繰り返すだけだ。左手の力が強まる。アラバマは大きなため息をつき、洗濯機の残り時間を確認した。
「……あと45分」
「……ながい…」
「そうや。だからお前はそこで寝て待っとれ」
「……わーたやし…でも……」
彼女は抱きついたまま、離れようとしない。
アラバマは仕方なく、彼女をひょいと抱き上げ、自分の膝の上に座らせた。ロッキングチェアに二人で座り、彼は背もたれに寄りかかり、彼女は彼の胸に顔をうずめた。
「……あったかい…」
「当たり前や。南部の心臓やからな」
「……しんぞう?」
「心臓や。あったけぇもんなんや」
「……わーたやし……」
彼女はわかったふりをして、そのまま目を閉じた。
ロッキングチェアが「ぎぃ、ぎぃ」と小さな音を立てて揺れる。洗濯機の「ぐぉん、ぐぉん」というリズムが、まるで子守唄のように彼女の耳に響く。
「……あらばま」
「なんや」
「……しゅきぃ」
「……そーか」
「……わい…しゅきぃ…やし…」
「……寝ろ」
「……うぃ……」
彼女はそれきり、静かになった。
アラバマは彼女の頭をそっと撫でた。絆創膏の貼られた頬、柔らかい漆黒の髪、そして欠損した右腕の断面──そのすべてを、彼は大きな手のひらで優しく覆った。
「……Sweet home, Alabama…」
彼は小さな声で呪文のように呟いた。
外では、陽が沈みかけていた。バーベキューグリルの煙が、夕暮れの空に細く立ち上る。
洗濯機はまだ回っている。
そして、「南部の心臓」は今日も温かく鼓動していた。
── (なまえ)が洗濯機の中で「くるくる」していたことを、彼は今夜、「ファミリー」の誰にも言わないだろう。言ったら言ったで、「なんで放置したんだ」と怒られるのがオチだからだ。
それが、アラバマという男の「家族愛」という名の煩わしさであり、優しさだった。
*fin*
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