テラーノベル
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その日の晩、お風呂から上がった花斗はリビングで仕事をしていた私に向かって、突然「ごめんなさい」と頭を下げた。
「どうしたの?」
「おひるに、おもちゃなげちゃったから」
「ああ、そのこと……」
じっとこちらを見つめる花斗の両目には、涙が浮かんでいる。
「おふろで、パパにきいたの。ママが、なおしてくれたって」
「そっか」
誠意を示してくれているんだなと、小さな胸の中での葛藤を受け止める。
この世に生を受けて、五年。その間に、こんなにたくましく成長した花斗を、誇りに思う。
私はぎゅうっと花斗を抱きしめた。
花斗はまだ小さな手で、私をぎゅっと握り返してくれる。
「でも、そういう時は『ごめんなさい』よりも『ありがとう』がいいかな」
そう言うと、胸の中から小さな声で「ありがとう」と聞こえる。
素直な子だ。
その素直さを忘れずに、大きくなってほしいと思う。
「あとね、ママ。パパにはないしょなんだけど――」
こしょこしょ話をするような声。私はそっと、そっと花斗の口元に耳を寄せた。
「――ちょこっとだけ、ほいくしさんになりたいっておもってる」
思わぬカミングアウトに、ピクリと体が震えた。するとそこに、壱月がお風呂から出てくる。
「愛音も、お風呂どうぞ」
壱月のその声に、花斗もピクリと肩を揺らした。
「ママ、ぜったいにひみつだよ!」
花斗は急いでそう言うと、人差し指を口の前に立てた。
「うん、秘密ね」
私はニコッと笑って、花斗と同じように人差し指を口元に立てる。
「パパだけ、仲間外れにするなよ」
壱月が唇を尖らせるから、私はふふっと笑ってしまった。
*
翌日、壱月は海外フライトで、朝早くに家を出て行った。
今回はイギリス・ロンドンのヒースロー空港へ飛ぶらしい。
「行ってきます」
玄関でそう言う壱月に、まだパジャマ姿のままの花斗と並んで「行ってらっしゃい」と手を振る。
パタンと扉が閉まると、花斗はふにゃりと笑ってこちらを見上げた。
「ぼくね、パイロットのパパがすき。パイロットさんに、なりたい」
「うん」
そうだよね、と思うけれど、「そうだよね」とは言えない。
複雑な気持ちで花斗を見ていると、花斗はニコッと微笑んだ。
「でも、ほいくしさんになりたいってほんとうだよ。せんせいみたいに、なりたい」
「先生……お姉のこと?」
「うん!」
花斗は思ったよりもしっかりと、たくましい笑顔をしている。
なぜだか胸がいっぱいになり、言葉に詰まってしまった。
「だから、はやくほいくえんいって、あかちゃんとあそんであげなきゃ!」
花斗はパタパタと走って、寝室へ戻っていく。
ちゃんと届いていたんだ。
昨日の、私の想い。
私も花斗を追いかけて、ふたりで出かける準備をした。
*
仕事を終え、花斗を迎えに行く。
「花斗ー」
教室の入り口から息子を呼ぶと、花斗がこちらをちらりと振り返った。
よちよちと歩き始めたばかりのくらいの子と、手を繋いで歩いている。
「ママ、ちょっとまってて」
そう言うと、今度は手を繋いでいた子の目線にしゃがんで、なにか話しかけている。
そっと見守っていると、姉がこちらにやってきた。
「最近ね、花斗くんずっとあんな感じに年長さんパワーを発揮してるの。もうすっかりお兄さんって感じで、私たちも助かってるんだ」
へえ、と思いつつ、花斗の夢を思い出す。
優しく赤ちゃんに笑いかける花斗は、小さい保育士さんのよう。
それで、思わずふふっと笑みがこぼれる。
花斗は花斗なりに、自分の中でいろいろな想いを消化している。
それがわかって、嬉しくなる。
「ママ、かえろう」
いつの間にかお帰りの準備を終えた花斗が、私の目の前に立っていた。
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コメント
1件
このエピソード、めちゃくちゃじんわり来たわ……。花斗くんが自分で謝ってきたシーン、もう胸がギュッてなった。ママが「ごめんなさいよりありがとう」って返すところ、子育ての理想系すぎるだろ。パパに内緒で保育士さんになりたいって言う花斗くんの秘密の顔、尊すぎて反則だわ。しかも実際に園で赤ちゃんの手を繋いで見守ってる姿が、もう立派な保育士さんそのものじゃん。家族の空気感が丁寧に描かれてて、読み終わったあとほっこりした。朝永ゆうりさん、素敵な話をありがとうございます🔥