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5月5日(木)
今日はゴールデンウィーク最後の日。
昨日、一昨日の猛勉強で今村くんは始める前からグロッキー状態だった。
「今日は、やめようぜ。これ以上詰め込んだら、頭がパンクする」
「うーん。でも、まだ現代文の勉強はしていないわけだし……」
いきなり泣き言を言い始める今村くんを少しかわいそうに思うが、それでも私はそう返した。
「現代文……。現代文はいいよ。ちゃんと、授業聞いてるからさ」
「そうなの? じゃあ、この問題を……」
今村くんの言葉に、去年の中間テストの問題を出してみる。
すると、やっぱり全然出来ていなかった。
「ダメじゃないか」
「これは……あんたが授業でやった内容と違うだろ。『走れメロス』はちゃんと覚えてる!」
私の言葉に、今村くんはムキになって反論してくる。
まあ、確かに去年の問題は扱っている小説が違うわけなのだが……。
試しに『走れメロス』で問題を出してみる。
『この時メロスはどう思っていたか?』的な問題だが、今度はあっさりと正解を答える。
「おおっ、正解だよ。なんでこれは出来て、去年の問題はダメだったんだろう?」
「それは……あんたの授業がうまいからじゃねーの」
私の素朴な独り言に、今村くんは顔を赤らめつつそう答えた。
「そうなのかなー。まあ、中間テストは『走れメロス』でやるんだから、それが出来てれば良いか」
「だろ? じゃあ、今日はこれでおしまいな?」
私の言葉に、今村くんの表情が輝く。
だがしかし、このままでおしまいにするほど私は甘くはなかった。
「じゃあ、この漢字も当然読めるよね?」
私が『走れメロス』に出てきた漢字を紙に書くと、今村くんは唸りだした。
「んー。確かに見たことのある漢字だけど……。ダメだ、ど忘れした」
「じゃあ、こうしてみたらどうだろう?」
私は漢字の前後に文章を付け足してみた。すると、今村くんははっとして答えを書き出す。
「正解! なるほど、前後の文章があればちゃんと読めるんだね」
「ああ。あんたがどう読んでいたか思い出した」
「なるほど。ほんとにちゃんと授業を聞いてくれてるんだね」
私がそう言うと、今村くんの顔がまた赤くなる。
「な、なんだよ! ちゃんと授業聞いてたらおかしいのかよっ!」
「そんなことないよ。私の授業をちゃんと聞いてくれていたのは嬉しい。でも、他の先生の授業もちゃんと聞こうね」
顔を赤らめてムキになる今村くんがかわいくて、つい頭を撫でてしまう。
「あっ、馬鹿! 髪形が崩れるだろ!」
すると、今村くんはそう言って怒り出した。
撫でられたことそのものじゃなくて、セットが乱れたことを怒るのか。
う~ん。襟首掴まれたこともあったけど、そんなに嫌われているわけではないらしい。
「ごめんごめん、つい……ね。後は漢字を書けるかどうかだけど……」
私はいくつか文章を書き、ひらがなの部分を漢字に直すように言ってみるが、こちらはさっぱりだった。
う~ん。授業を『聞いている』けれど、漢字を覚えるといった事はやってないようだ。
「パソコンとかスマホのある時代に、漢字なんて書けなくたっていいだろっ」
とうとう、今村くんはそんなことを言い出した。
実は私もその考えにはある程度は同意なんだけど。
「でも、テスト中はスマホ禁止だし。それに、同音異義語があるからね。それはスマホがあってもダメだよ」
「う~ん。それはそうかもしんないけど……」
今村くんはしんみりと答え、漢字の書き取りを始める。
本当はスマホで調べれば同音異義語の意味までちゃんと書いてくれているのだけど。
そんなことを言ってしまうとやる気がなくなるから黙っておく。それに、いちいちスマホで調べるのはさすがに手間だ。
真剣に漢字を覚えようと書き取りをしている今村くんを見ていると、いつものいい加減さはない。
こうやってがんばっている今村くんはかっこいい……生徒相手だけど、私はそんなことを思った。
********************
「じゃあ、試しに漢字テストをしてみようか」
しばらくして、私は今村くんが書き取りしている間に作った漢字の小テスト用紙を渡す。
「よし、満点取ってやるぜ!」
今村くんは意気込んで、そう言い放つ。
全10問の小テストだが……果たして。
「チクショー! 最後の漢字が出てこねー!」
今村くんは頭を抱えてそう叫ぶ。
まあ、そうだろう。最後の漢字はかなり難しい。
採点した結果は、8問正解だった。
「あれ? これも間違ってんの?」
「すごく惜しいんだけどね。ここは突き抜けないといけないんだよ」
今村くんの問いに、教科書と今村くんの書いた漢字を交互に指差して答えてやる。
「うお、しまったっ。そもそも、間違えたまま覚えちまった!」
今村くんはそう言って、頭を抱えてしまった。
そんな今村くんの頭……は怒られるので、肩をぽんぽんと叩く。
「でもまあ、8問正解すれば立派なもんだよ。後は、忘れないように時々復習すれば完璧」
「マジ? じゃあ、今日はこれで終わり?」
今村くんは私の言葉に表情を輝かせる。
「そうだね。3日間がんばって肩が凝ってるだろうから、マッサージしてあげよう」
私はそう言うと、今村くんにベッドに寝転がるように指示する。
そして、素直にベッドにうつぶせになった今村くんの肩をマッサージする。
「ん……気持ちいいー」
今村くんは心底気持ちよさそうに、そう呟く。
「うん。3日連続の猛勉強で、だいぶ肩が張ってるからね」
私はそう言いながら、マッサージを続ける。
「俺、生まれて初めてこんなに勉強したよ。タカヒロは教えるの上手いな」
今村くんはごく自然に、そう言った。
誉めてくれるのは嬉しいのだが……タカヒロ?
初めて『あんた』以外の呼び方をされたのは嬉しいのだが、なぜ下の名前を呼び捨て?
小川タカヒロ
「今村くん。せめて呼び捨ては……というか、ちゃんと先生って呼んでくれない?」
「いいじゃん、別に。他の奴の前では呼ばないからさ。俺のこともダイって呼んでいいぜ?」
今村くんは少し甘えるような感じでそう言った。
「ダイ……ねえ。ダイはどうして、私のことを下の名前で呼ぶの?」
「だって、その方が仲良さそうじゃん」
今村くん――ダイは顔を赤らめながらそう答える。
仲良さそう……それは確かにそうなんだが、教師と生徒でそれはどうなんだろう。
でも、みんなの前ではそう呼ばないという事は、教師と生徒じゃないプライベートな時間ということか。
だったら、別にいいのだろうか?
「学校ではちゃんと先生って呼ぶんだよ? それだったら、呼び捨てでも許してあげる」
私がそう言うと、ダイはがばっと体を起こしてこちらに向く。
「マジで! ほんとにいいんだな? だったら、ちゃんと学校では先生って呼んでやるよ」
ダイは顔を輝かせてそう言う。
「いいよ。プライベートでは仲良しってことで呼び捨てなんだね?」
私がそう言うと、ダイは私に抱きついてくる。
「おお、プライベートではダチだっ。だからタカヒロって呼ばせてくれよな」
甘えるように言うダイに対し、私はもはやNOという選択肢は浮かんでこなかった。
「それでも、年下の友達だから年上ぶると思うよ?」
「別にいいぜ。兄貴みたいなダチっていうのも悪くねーから」
「兄貴というより親父じゃないかな……」
「細かいことは気にすんな」
ダイはそう言って、私を抱きしめ続けた。
私も静かにダイの背中に手を回し、静かに抱きしめ返すのだった。
ー 完 -