テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
部屋が静まり返る。
窓の向こうでは、夜景が静かに瞬いていた。
誰も口を開かない。
鈴木はただ、自分の拳を見つめていた。
合六は急かさない。
答えを催促することも、追い詰めることもしない。
ただ穏やかに微笑んでいる。
その余裕が、かえって恐ろしかった。
「返事は、今じゃなくていい」
静かな声だった。
「考えてからで構わない」
少し間を置いて、続ける。
「でも君は──もう普通には戻れないだろう?」
鈴木の眉がわずかに動く。
否定したかった。
けれど、その言葉だけは喉に引っかかった。
合六は続ける。
「復讐を知った瞬間、人は少しずつ変わっていく。」
「怒りは、人を前にも進ませるけど……同じだけ、人間から遠ざけてもいく。」
説教ではない。
慰めでもない。
ただ、何人もの壊れた人間を見てきた者が語る”事実”だった。
「鈴木くん」
合六が首を少しだけ傾ける。
「君は──”チョモ”だった頃に戻りたいかい?」
その名前が耳に届いた瞬間。
呼吸が止まる。
『チョモ〜!』
『かわいいー!』
『泣いちゃったぁ』
画面越しの笑い声。
泣いている自分。
みんなと無邪気に笑いあった日々。
だけどもうそれはない。
鈴木はゆっくり目を閉じる。
そして、小さく吐き捨てた。
「……戻りたくねぇよ」
合六は静かに頷く。
「そうだろうね」
当然の答えを聞いたように。
「だったら、前に進むしかない」
その言葉は優しかった。
だからこそ重かった。
鈴木は拳を握り締める。
「……あんた、一体何なんだよ」
合六は少しだけ目を丸くする。
「どうした?」
「なんでそんな……」
鈴木は言葉を探す。
「人のこと全部分かったみたいに言うんだ」
合六は少し考えた。
それから、ふっと笑う。
「似てるからだよ」
穏やかな声。
「私も昔は、何も持っていなかった」
静かな言葉だった。
「居場所も」
「名前を呼んでくれる人も」
「帰る場所も」
#御本人様とは一切関係ありません
@Somi. 👻🍼
1,697
「何一つね」
鈴木は黙っていた。
合六は微笑む。
「だから分かるんだ」
「居場所を探してる子の目は」
その笑顔はどこまでも優しい。
けれど。
その優しさは、人を救うためではなく。
“壊れたまま受け入れる”ための優しさに見えた。
その時だった。
扉が軽く叩かれる。
『失礼します』
霧矢の声だった。
「どうぞ」
扉が開く。
「終わったッスか?」
いつもの笑顔。
けれど鈴木と目が合った瞬間だけ、その瞳がほんの少し揺れた。
合六は立ち上がる。
「直斗」
「鈴木くん、借りることになるかもしれない」
その一言に。
霧矢の笑顔が、ほんの一瞬だけ止まった。
本当に、一瞬だけ。
けれど鈴木は見逃さなかった。
「あは」
霧矢はすぐ笑う。
「スカウトッスか」
「そんなところ」
合六は穏やかに頷く。
「どう思う?」
霧矢は答えない。
数秒。
静かな時間が流れる。
それから、小さく笑った。
「向いてるとは思うッス」
軽い口調。
「でもまだ甘いッスね」
合六は満足そうに微笑む。
「そこがいいんだよ」
「壊れ切ってないから」
霧矢は何も返さない。
ただ少しだけ視線を落とした。
その横顔は。
どこか寂しそうだった。
⸻
帰り道。
車内は静かだった。
ワイパーが一定のリズムで雨を払っている。
霧矢は珍しく鼻歌も歌わない。
鈴木は窓の外を眺めたまま聞く。
「……なんでお前、あいつにあんな懐いてんの」
霧矢は少しだけ笑う。
「拾われたから」
「それだけか」
「うん」
即答だった。
赤信号。
車が止まる。
赤い光が霧矢の横顔を染めた。
「オレさ」
ぽつりと呟く。
「昔、誰にもいらないって言われたんだよねぇ」
鈴木は何も言わない。
霧矢は続ける。
「親にも」
「施設にも」
「社会にも」
少し笑う。
「気持ち悪いって」
「普通じゃないって」
「そのままじゃ生きていけないって」
雨粒がフロントガラスを流れていく。
「でも」
霧矢は笑った。
「合六サンだけは違った」
その笑顔は、いつもよりずっと幼かった。
「“そのままでいい”って」
「“無理して普通にならなくていい”って」
「初めて言ってくれた」
鈴木は黙って聞いていた。
「だから好き」
「必要としてくれたから」
その言葉は忠誠というより。
迷子だった子どもが、ようやく家を見つけた時みたいだった。
鈴木は小さく息を吐く。
「……それ、依存じゃねぇの」
霧矢は考える。
そして笑う。
「そうかも」
否定しなかった。
「でもさ」
少しだけ遠くを見る。
「依存でもいい。とにかくこの人についていきたいって思えた人、初めてだったから」
車がまた走り出す。
鈴木は窓へ視線を戻した。
雨で滲む街灯。
その景色を見ながら、もう一つ聞く。
「……冬橋は?」
「ん?」
「合六のこと、どう思ってる」
霧矢はハンドルをゆっくり切る。
「恩人だろうねら。たぶん」
短く答える。
「でも」
少し笑う。
「冬橋サンは組織に染まりきらなかった」
「どういう意味だ」
霧矢は前を向いたまま言う。
「冬橋サンって」
静かな声。
「まだ人を信じること、諦めてないから」
雨音だけが響く。
「だからオレとは違う」
「まぁ、冬橋サンはこんなヤバイやつじゃないからねぇ」
そう言った後少し間を置いて。
「でも」
霧矢は笑った。
「オレ、冬橋サンのそういうとこ好き」
その声は。
お気に入りのおもちゃを褒められた少年のように、どこか照れくさそうだった。
⸻
しぇるたーへ戻る。
玄関を開けた瞬間。
カレーの匂いが鼻をくすぐった。
子どもたちの笑い声。
テレビの音。
誰かが廊下を走る足音。
さっきまでいた世界とは、まるで別の場所だった。
台所から冬橋が顔を出す。
「遅かったな」
その一言だけで。
鈴木は、自分の肩から力が抜けるのを感じた。
安心している。
そんな自分に気付いてしまう。
「冬橋サンっそのカレー自分で作ったんスか!?」
「んなわけねぇだろ」
「マチの作り置きだ」
「やっぱそうッスよねぇ」
「直斗。一旦黙れ」
「はーい」
二人のいつもの話を聞いていると、冬橋が話しかけてきた。
「どうだったんだ?合六は」
「……話してきた」
冬橋は鍋をかき混ぜながら頷く。
「勧誘されたか」
「……なんで分かる」
「合六はそういう奴だからな」
静かな声。
「壊れかけを見ると、拾いたくなる」
「前にそう言っていた」
鈴木はソファへ腰を下ろす。
体より先に、心が疲れていた。
冬橋が振り返る。
「お前は、どうしたい」
責める声じゃない。
試す声でもない。
ただ、本当に鈴木自身の答えを待つ声だった。
鈴木は俯く。
復讐したい。
でも壊れたくない。
普通でいたい。
けれど、その”普通”がもう思い出せない。
長い沈黙が流れる。
やがて鈴木は、小さく呟いた。
「……居場所って、なんなんだろうな」
冬橋の手が止まる。
霧矢も鈴木を見る。
誰も答えなかった。
答えを知っている人なんて、この部屋には一人もいなかったから。
それでも。
カレーの匂いと、子どもたちの笑い声だけは変わらず流れている。
その何気ない日常だけが。
鈴木にとって、今はまだ失いたくない”居場所”なのかもしれなかった。
コメント
1件
うわ…第18話、すごく重くて温かい話だったね🥀 合六さんの「壊れたまま受け入れる優しさ」が本当に怖くて、でも鈴木くんには必要な言葉なんだろうなって思った。霧矢くんの過去がチラッと見えたところもグッときた…「依存でもいい」って言える相手がいるって、ある意味幸せなんだろうね。 最後のカレーの匂いとか冬橋さんの「お前はどうしたい」って問いかけが、ちゃんと日常に引き戻してくれて。ああ、ここが今の鈴木くんの居場所なんだなってじわじわ来たよ。 続き、読みたい…でも怖い、複雑な気持ち🌙