テラーノベル
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教室に入ると、みことの机の周囲には微妙な空気が漂っていた。
クラスメイトたちは好奇心と悪戯心を混ぜ合わせ、彼の無反応を試すかのように行動する。
「ねぇ、見て見て!みこと君の机に虫がいるよ!」
一人の男子が小さな虫をそっと置く。
みことは顔を上げもせず、視線は遠くの窓の外。
虫が机の上で動いても、何も反応を示さない。
「えっ、平気なの……?」
女子たちは小声で囁き、男子たちはさらに意地悪をエスカレートさせる。
次に、教科書をこっそり隣の席の下に隠す。
「……」
みことはただ机に向かって座ったまま。
さらに消しカスを投げつける者、ペンをこっそり折る者も現れる。
どんな嫌がらせにも、みことは無反応――目を細めることも、声をあげることもない。
その奇妙な沈黙に、クラスメイトたちは次第に困惑し始めた。
「……なんで、怒らないんだ……?」
「怖くないのかな……」
無表情なまま、淡々と黒板に目を向けるみこと。
周囲からは、好奇心や恐怖と同時に、奇異の目が向けられるようになった。
「……なんか……変な子だな」
誰かが小声で言う。
その声は教室内に広がり、みことへの距離感がより一層生まれる結果となった。
しかし――みこと自身は何も感じたように見せず、ただ静かに、いつもの虚ろな世界の中に沈んでいた。
周囲の騒ぎは、彼にとってはただの背景。
だが、それは同時に、みことの“防御壁”として機能し、誰も深く近づけない存在感を作り出していた。
1ヶ月が経ち、次第にみことの反応を引き出せたら勝ちというゲーム感覚で始まり、行為はエスカレートしていった。
放課後、みことは一人、空き教室へと連れて行かれた。
男子たちの影が教室内に揺れ、緊張感が辺りを包む。
「なぁ、今日はちょっと面白いことしようぜ」
一人がにやりと笑いながら、みことの肩に手を置く。
みことは目を虚ろにして、何も答えず、ただ立ったまま。
その無反応が、逆に男子たちの好奇心を煽る。
「ほら、反応してみろよ」
髪を引っ張ったり、軽く叩いたり。
「……痛くないのか?」
「ほんとに無表情……気味悪いな」
みことは怪我をしても、血がにじんでも、表情は変わらず、痛みも恐怖も見せない。
ただ虚ろな目で前を見つめ、呼吸だけが静かに上下する。
その無反応に、男子たちは苛立ちを募らせる。
さらに叩く、突く、髪を掴む――
反応が返ってこないことが、ますます彼らを挑発するのだった。
「……おい、なんで動かねぇんだよ!」
力任せにみことを押す。
しかしみことは倒れても表情ひとつ変えず、叫びもしない。
その様子を見て、男子たちは次第に恐怖と困惑が入り混じった視線を交わす。
――反応がないこと自体が、恐ろしい現実であると認識し始めていた。
みことの内面は、外から見れば完全に静止しているように見えるが、わずかに心臓が高鳴る感覚、頭の中に漂う淡い違和感――
それらはすべて、無表情の奥で密かに積もっていく。
男子たちの暴力が続く中、みことはただ虚ろなまま。
その姿は、いじめに拍車をかける者たちにとっても、不可解で恐ろしい存在となった。
教室の空気は張りつめ、夕日が床に長い影を落としていた。
男子たちはみことを取り囲む。
「ほら、リアクションしろよ……」
一人が不敵に笑いながら、カッターの刃をみことの腕に押し当てた。
――浅く切れた刃先から、じんわりと血が滲む。
血の感触が腕を伝わり、微かな熱が広がる。しかし、みことは表情一つ変えず、瞳は虚ろのまま。
痛みや恐怖、驚き――それらは一切外には出ない。
「……え、マジで動かねぇ……」
「な、なんだよ……」
男子たちは互いに顔を見合わせ、戸惑いの色を隠せない。
挑発しても反応が返ってこないことに、次第に恐怖が混ざる。
「……やめるか?」
一人が小声で言ったが、誰も返事をせず、ただ立ち尽くしている。
その無表情さが、かえって異様で、教室の空気を冷たく張り詰めさせる。
やがて、恐怖と奇異の感情に駆られ、男子たちは教室を後にした。
足音が遠ざかり、ドアの音が静寂を呼び戻した。
___
教室に残されたみことは、じっと床に座り込み、血が滲んだ腕を見下ろす。
傷口は浅く、血はゆっくりと滲むだけ。
やがて、みことはゆっくりと立ち上がり、荷物を思い出す。
(……教科書……取りに行かないと)
傷の滲む腕をそのままに、彼は机に置き忘れた鞄へ向かった。
___
教室には、さっきの男子たちはおらず、他のクラスメイトがちらほら残っていた。
しかし、みことの腕から滲む血を見ても、誰も声をかけない。
「……関わったら、自分もやられるかも」
小さな恐怖が胸にあり、みんな見て見ぬふりをする。
みことはそれに気づくでもなく、無表情で荷物を拾う。
袖に血が滲んでも、誰も手を貸さず、誰も目を合わせることはなかった。
___
教室を出ると、夕暮れの校庭に風が吹き抜ける。
腕の血はじんわりと滲み続け、肌に冷たさを残す。
しかしみことの表情は変わらず、ただ前を見つめて歩く。
周囲の視線も、ざわめきも、彼の内面には届かない。
孤独で静かな歩み――しかしその一歩一歩が、確かに生きている証だった。
――誰も助けず、誰も止めず、誰も近づかない。
それでもみことは淡々と、家へと向かう。
その後ろ姿には、無表情ながらも微かに揺れる心の残響が、かすかに見え隠れしていた。
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