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ナツギは息を切らしながら、必死に廃工場へ向かって走っていた。背後には、確かに迫る足音とサイレンの音。警察だ。通報された──どうしてアイツが知っているんだ? いや、もしかすると、サヤカを信じた自分が愚かだったのかもしれない。
それでも、ナツギは止まれなかった。冷たい夜風を切り裂き、朽ちかけた廃工場の扉を開けると、そこにハルトの死体が入っている冷凍庫がある。急いで冷凍庫を開き、丁寧に抱き上げる。重さよりも、胸に湧き上がる焦燥と絶望が重くのしかかる。
再び外へ飛び出す。夜の街を、誰にも見つからないように、誰にも止められないように走った。マンションの影が見えたその瞬間、ナツギは理解した。待ち伏せだ。警察の影が扉の向こうにちらつく。
だが、ナツギは微笑んだ──自分の計算通りだ。手にしたガソリンを床にまき、マッチを擦る。瞬く間に炎が燃え広がり、警察は慌てて消火しようとするが、消火器はどこにもない。ナツギは事前にすべてを処理していたのだ。
階段を駆け上がる。耳元で炎の音と叫び声が響く。屋上にたどり着くと、ナツギはハルトを抱きしめ直し、ゆっくりと端へ歩み寄る。
熱で歪む空気の中、ナツギはひざまずいていた。 焼け焦げた屋上のコンクリートに、冷たい腕をそっと横たえる。 その腕に繋がる身体は、まるで眠っているように静かで、美しかった。 10年という時を超えてなお、その表情はあの頃のままだ。
「ごめんね、待たせた。……でも、今度は、ちゃんと一緒だよ」
火の粉が舞う。それでも彼の目は、静かだった。――どこまでも、穏やかだった。
足音が一つ。屋上の入り口から、誰かが駆け上がってくる。 ナツギはそれを背にしたまま、ハルトの頬に指を這わせた。
「誰も僕らのこと、わかってくれなかった。 でも君だけは、最初から僕の全部を受け止めてくれてた。……だから、僕も応えないとね」
背後から風が吹く。火の音、サイレン、遠くの喧騒―― そして、ナツギの耳にはもう何も入っていない。
彼は、ハルトの冷えた体を抱きしめたまま、立ち上がった。 ふたりの影が、燃える夜空に溶けてゆく。
「行こう、ハルト。――君と僕だけの、場所へ」
――風が一瞬、止まった。 そして次の瞬間、ナツギの身体は、静かに闇へと落ちていった。