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#ご本人様とは一切関係ありません
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あんにんどう腐(ゆ腐)
2,751
#ご本人様とは一切関係ありません
さくら(皇千ト君最推し)
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ルイの眉が、わずかに動いた。
握られた手にこもった小さな力を合図みたいに受け取って、伏せていた顔がほんの少しだけ持ち上がる。
寝起きの鈍い動き。
椅子に座ったまま、上体だけをベッドへ預けて眠っていたせいで、首筋が少し強張っているのが見てわかる。
「……ん……」
かすれた、ほとんど息みたいな声。
うっすらと目が開く。
まだ焦点が合っていない。
朝の光が少し眩しそうで、ルイはまぶたを半分だけ閉じたまま、呼吸を整えるように小さく息を吐いた。
それから、もう一度ゆっくり目を開ける。
視界の先に、タイキがいた。
ベッドの上。
まだ少し熱の名残がある顔。
でも昨夜よりずっと目ははっきりしていて、まっすぐこっちを見ている。
その瞬間、ルイの意識が一気に浮上した。
視線が、合う。
何秒か、どちらも動かなかった。
朝のやわらかい光の中で。
繋がれたままの手と、近すぎる距離と、夜の続きを抱えたまま。
ルイの喉が、小さく鳴る。
「……おはよ」
先に言ったのはタイキだった。
寝起きのせいで少し低い声。
でも、その声には昨夜の熱っぽさより、朝の静かなやわらかさが混じっていた。
ルイはまだ少しだけぼんやりした顔のまま、タイキを見つめる。
「……おはよ」
返した声も、掠れている。
言ってから、ルイはようやく自分の状況を理解した。
椅子に座ったまま寝落ちしていたこと。
上体をベッドに預けたままだったこと。
そして、自分の手がまだタイキに握られたままだということ。
ルイの視線が、ゆっくりとそこへ落ちる。
繋がった手。
昨夜のまま。
離れていない。
ルイは少しだけ目を細めた。
照れと、気まずさと、でも嫌じゃない感情が、全部一度にくる。
タイキはその顔を見て、口元をほんの少しだけ緩めた。
「俺も起きてからびっくりした」
「……びっくりって」
ルイは少しだけ首を動かして、すぐに顔をしかめる。
「っ……首、いてぇ」
その反応に、タイキが小さく笑う。
「そりゃそうだろ」
「誰のせいだよ」
そう返しながらも、ルイの声は思っていたより全然刺々しくならない。
むしろ、眠気の残る朝の空気に溶けるみたいに、やわらかかった。
タイキはそこで少しだけ目を伏せたあと、またルイを見る。
「……俺、離さなかったんだな」
ルイの呼吸が、わずかに止まる。
その言い方は、確認みたいでもあって。
どこか少し照れているようにも聞こえる。
ルイは数秒だけ答えずにいた。
嘘はつけない。
でも、あまりにそのまま返すのも悔しい。
「離さなかったっていうか」
少しだけ口元を歪める。
「普通に握って寝てた」
タイキの耳が、朝の光の中でほんの少し赤くなる。
「……そっか」
「そっか、じゃねぇだろ」
ルイはそう言ってから、ようやくもう一度タイキの顔をちゃんと見た。
昨夜より熱は少し引いている。
目の重たさも違う。
でもまだ本調子じゃないこともすぐにわかる。
その顔を見た瞬間、ルイの中の気まずさより先に安堵が来た。
「熱、どうだ」
タイキは少しだけ肩をすくめる。
「昨日よりは、たぶんマシ」
「たぶんじゃわかんねぇよ」
「起きてすぐだし」
「測る」
短く言って、ルイはようやく身体を起こそうとする。
でもその瞬間、また首に鈍い痛みが走って、「っ……」と小さく息を詰めた。
タイキがそれを見て、今度ははっきり笑う。
「お前、ほんとにそのまま寝たんだ」
「誰の手が離れなかったと思ってんだよ」
ルイが低く返すと、タイキは笑いながらも視線を少しだけ逸らした。
でも、逸らしたその横顔には、どこかやわらかい満足みたいなものがある。
ルイはその顔を見て、少しだけ言葉を失う。
朝のタイキは、夜よりごまかしが効かない。
起きたばかりで、強がる前の顔をしている。
その無防備さに、胸の奥がまた静かに揺れる。
タイキもまた、ルイを見ていた。
寝癖のついた髪。
少しだけ皺のついた服。
首が痛そうなくせに、こっちの熱の具合を先に見ようとする目。
昨夜一晩ここにいたんだってことが、その寝起きの姿だけで十分すぎるほど伝わる。
二人の視線が、また静かに重なる。
今度は昨夜みたいな、キスの手前の熱じゃない。
もっと静かで、でもちゃんと深いもの。
ルイは小さく息を吐いた。
「……何」
タイキが少しだけ眉を上げる。
「いや」
タイキは握ったままだった手に、ほんの少しだけ力を入れた。
「まだ、いてくれてんだなと思って」
その一言に、ルイの胸の奥がじわっと熱くなる。
言い方がずるい、と思う。
でも、そのずるさを責める気にはなれなかった。
ルイは目を細めて、少しだけ口元をやわらげる。
「いるって言っただろ」
低く、でもやわらかい声。
タイキはそれを聞いて、ほんの少しだけ目を伏せてから、また小さく頷いた。
朝の光の中で。
繋いだままの手の熱だけが、夜の続きを静かに教えていた。
ルイは、手を動かさなかった。
握られたまま。
かといって、強く握り返すわけでもない。
ただ、そこに置いている。
逃がさないためでもなく。
欲しいから繋ぐためでもなく。
ただ、タイキが握っているから、その手をそこに残している。
それだけ。
その“それだけ”が、タイキには妙に刺さっていた。
前のルイなら、たぶん違った。
握られたら握り返して。
もっと近づける理由にして。
このまま引き寄せる口実にしていたかもしれない。
でも今のルイは、そうしない。
自分からは何も足さない。
でも、離しもしない。
タイキのために、そこに置いている。
その事実だけが、静かに胸へ落ちてくる。
タイキは繋がれたままの手を見た。
熱は少し引いたはずなのに、胸の奥だけがまだ少し熱い。
ルイの手は大きくて、朝の光の中で見ると余計に静かだった。
何もしない。
でも、ちゃんといる。
その在り方が、今のタイキにはずるいくらい効く。
無言の時間が、少しだけ続いた。
朝の部屋。
カーテンの隙間から差し込むやわらかい光。
ベッドの上のタイキ。
椅子に座ったままのルイ。
その間にある、言葉よりずっと濃い静けさ。
やがてルイが、少しだけ視線を落としたまま口を開く。
「……粥とか薬、持ってくるから……」
言いながら、自分の手はまだ動かない。
引けばいいだけだ。
たぶん、普通は。
でも自分から離すのも違う気がして、ルイはそこで小さく息を詰める。
(どうすんだ、これ……)
内心でそう思いながら、チラリとタイキを見る。
目が合う。
タイキはそれを見て、少しだけ口元を動かした。
ほんのわずか。
でも、確かに笑いそうになるのを堪えてる顔だった。
ルイの耳のあたりが、朝の光の中で少しだけ熱を持つ。
「……何」
低く聞く。
タイキはゆっくり首を振る。
「別に」
そう返す声も、まだ少し寝起きの低さが残っている。
でも、その奥にあるやわらかさは隠しきれていなかった。
ルイは少しだけ眉を寄せる。
「別に、じゃねぇだろ」
「いや」
タイキは繋いだままの手に、ほんの少しだけ視線を落とす。
「自分から引けないんだなって思って」
その一言に、ルイは完全に言葉を失った。
図星すぎる。
引きたいわけじゃない。
でも、引くタイミングがわからない。
自分から離したら、それはそれで違う気がして。
かといって、このままずっと繋いだままでいるのも、どうなんだと思っている。
その全部を、タイキに見抜かれる。
「……うるせぇ」
ようやくそれだけ返すと、タイキは少しだけ目を細めた。
「ルイ」
「ん」
「いいよ」
短い声。
でも、その“いいよ”の意味はすぐには掴めなかった。
ルイが少しだけ首を傾げると、タイキは小さく息を吐く。
「引いても」
少し間。
「怒んねぇし」
その言い方が、妙にやさしくて、ルイの胸の奥がまた静かに鳴る。
怒るとか怒らないとか、そういう話じゃない。
でもタイキはたぶん、今のルイが“勝手に離したらまた前みたいに自分の都合に見えるんじゃないか”ってところまで考えてる。
そこまでわかった上で、引いていいと言う。
それがありがたくて、少しだけ苦しい。
ルイは数秒、黙ったままだった。
それから小さく息を吐いて、ようやく指を動かす。
すっと離すんじゃない。
握り返すわけでもない。
ただ、タイキの手のひらから自分の指先を抜く前に、一瞬だけ、その熱を確かめるみたいに触れて。
それから、ゆっくり離した。
手のひらから温度が抜ける。
たったそれだけなのに、妙に惜しい。
ルイはその感覚を見ないふりするみたいに立ち上がった。
「……薬、先な」
少しだけぶっきらぼうに言う。
タイキはベッドの上で、その背中を見ながら小さく頷く。
「ん」
ルイは寝室を出ようとして、でもドアのところで一度だけ振り返る。
タイキはまだこっちを見ていた。
朝の光の中で、少し熱の引いた顔。
でも、さっきまで繋がっていた手の余韻をまだ持ってる顔。
ルイはそこで一瞬だけ何か言いかけて、結局やめた。
代わりに、ほんの少しだけ目をやわらげる。
「すぐ戻る」
それだけ言って、今度こそリビングへ出る。
キッチンへ向かう背中は平然としているようで、実際には全然そうじゃなかった。
(……無理だろ、朝から)
ルイは冷蔵庫を開けながら、内心で小さく頭を抱える。
ただ手を置いていただけ。
強く握り返してもいない。
欲しいように触れたわけでもない。
なのに、あの無言の時間だけでこんなに胸がやられるなんて思わなかった。
一方で、ベッドの上のタイキもまた、さっきの手の感触を思い出していた。
ルイは何もしなかった。
積極的に握り返しもしない。
でも、逃げなかった。
ただ、自分のためにそこに置いていた。
その“置いていた”という感じが、タイキにはたまらなく刺さる。
欲しいからじゃなく。
流れでもなく。
ただ、タイキが握っているから、そこに手を残していた。
それはたぶん、今のルイができる一番やさしい在り方だった。
タイキは枕に頭を沈めたまま、少しだけ目を閉じる。
熱の名残と、朝の眠気と、ルイの手の温度。
その全部が混ざって、胸の奥に静かに残っていた。
“すぐ戻る”
さっきのルイの声まで思い出して、タイキは小さく息を吐く。
「……ずる…」
誰にも聞こえないくらいの声で呟いて、それからもう一度ゆっくり目を開けた。
キッチンの向こうで、食器の小さな音がする。
ルイが本当にそこにいる音。
それだけで、不思議とまた少し眠気が戻ってくる朝だった。
粥と薬を終えると、タイキはまたゆっくり身体を横にした。
熱はまだ高い。
さっきより少し楽そうには見えるけど、額の赤みも、呼吸の浅さもまだ残っている。
ルイは空になった器をキッチンへ持っていって、軽くすすいでから寝室へ戻った。
またいつものようにベッド脇の椅子へ座る。
そのままスマホを手に取って、グループLINEを開く。
ルイ
粥と薬は入れた
まだ熱は高いけど、意識ははっきりしてる
今はまた横になった
送信。
すぐに既読が増える。
カノンの「よかった」、ゴイチの「引き続き様子見ろ」、アダムの「水分だけ切らすな」。
ルイはそれを見ながら、小さく息を吐いた。
眠いわけじゃない。
でも、少しだけまぶたが重い。
首もまだ痛いし、肩もだるい。
一晩ちゃんと眠ってない身体が、静かに疲れを訴えている。
それでも、ここで座っていたかった。
タイキの呼吸がちゃんと落ち着いているか。
熱がまた上がらないか。
何か欲しがった時にすぐ動けるか。
そういうことを考えると、椅子から離れる気になれない。
ベッドの上のタイキは、そのルイをじっと見ていた。
少し眠そうで。
でも完全には寝ていない顔。
熱のせいでぼんやりしているのに、それでもルイの様子だけはちゃんと見ている目だった。
少し眠そうな顔でスマホを打つルイ。
メンバーに状況を説明して、また自分の方を見る。
その繰り返し。
タイキはその姿をしばらく見つめてから、ふと思いついたみたいに身体を少し動かした。
「……っ」
小さく息を漏らしながら、ゆっくり窓際の方へ身体をずらしていく。
ベッドの真ん中より少し外側へ。
シーツの上に、ぽっかり空間ができる。
その動きにルイが気づいて、スマホから顔を上げた。
「何してんだよ」
タイキはすぐには答えず、少し息を整える。
それから小さく言う。
「ルイ」
「ん」
ルイがスマホを少しずらして、ちゃんとタイキを見る。
タイキは自分の横のシーツを、指先で軽くポンポンした。
「ここ、来て」
ルイの思考が、一瞬止まる。
「……は?」
本当に、そんな声しか出なかった。
タイキはすぐに少しだけ眉を寄せる。
でもその顔は照れてるというより、ちゃんと伝えようとしてる顔だった。
「違う……」
熱のせいで、声はまだ少し弱い。
「ちゃんと、少しでもいいから……横になって休んで」
ルイは黙ったまま、タイキを見る。
タイキは続ける。
「今度、お前が倒れたら意味ない……」
その言い方は、いつものタイキよりずっと静かだった。
でも、弱ってるからこそ変に飾ってなくて、まっすぐだった。
ルイの喉が、小さく鳴る。
「……お前、何言って」
「いいから」
タイキが遮る。
でもその勢いも、普段みたいには強くない。
あくまで熱の中で、必死に言っている感じだった。
「少しでいいから」
「寝るとかじゃなくていいし」
「ただ、横になれって」
ルイはシーツの空いた場所を見た。
タイキが自分で作った空間。
窓際の方へ身体をずらして。
きっちり“ここまでならいい”って形で空けた距離。
それが、妙にタイキらしいと思う。
自分の気持ちのまま「来い」と言うんじゃない。
ルイが困らないように、ちゃんと間を作ってから呼んでいる。
そこまで見えてしまうから、余計に何も言えなくなる。
「……いや、でも」
ようやく絞り出すと、タイキは少しだけ目を細めた。
「大丈夫」
「くっつけって言ってるわけじゃないし」
「そういう問題じゃねぇよ」
「じゃあ何」
その返しに、ルイはまた言葉を失う。
そういう問題じゃない。
でも、何が問題なのかを今この場で言葉にすると、たぶん全部余計に生々しくなる。
タイキの隣に横になること。
同じベッドにいること。
しかも看病の夜に。
そんなの、意識しない方が無理だ。
でもその一方で。
タイキが熱の中で、ちゃんとルイの疲れに気づいて、自分のためじゃなく“休め”と言っていることが、胸に静かに刺さる。
ルイは小さく息を吐いた。
「……少しだけだぞ」
タイキの口元が、ほんの少しだけやわらぐ。
「ん」
その返事を聞いてから、ルイはスマホをローテーブルへ置いた。
椅子から立ち上がる。
ベッドの端を見る。
その数秒だけで、妙に緊張する自分がいる。
「そっち向け」
ルイが言う。
「何で」
「お前が見てると落ち着かねぇ」
タイキはそこで小さく息で笑った。
でも素直に少しだけ顔を窓側へ向ける。
ルイはベッドの端へ腰を下ろした。
スプリングが小さく沈む。
それだけで、タイキの気配が少し近くなる。
でも、ちゃんと間はある。
ルイは慎重に足を上げて、そのまま横になる。
タイキとは背中ひとつぶん以上の距離。
手を伸ばしても届かないくらいじゃない。
でも、意識しなければならない近さでもある。
シーツの感触。
枕の柔らかさ。
タイキの熱っぽい呼吸が、少し離れた場所から聞こえる。
ルイは天井を見たまま、小さく息を吐いた。
「……これでいいか」
タイキが少し遅れて頷く気配がする。
「うん」
静かな返事。
その一言のあと、しばらくどちらも何も言わなかった。
甘い空気にしたいわけじゃない。
でも、何でもないふりもできない。
同じベッド。
でも間を空けて。
触れずに。
ただ、休むためだけに横になる。
それが今の二人には、妙に正しかった。
少しして、タイキが小さく言う。
「ルイ」
「ん」
「ちゃんと寝ろよ」
ルイは目を閉じないまま、少しだけ口元を動かした。
「誰のせいで寝れてねぇと思ってんだ」
その返しに、タイキはまた少しだけ笑った。
「それは……悪かった」
「知ってるならいい」
会話はそれだけ。
でもその短いやり取りで、部屋の空気が少しだけやわらぐ。
ルイはそこでようやく、ほんの少しだけ身体の力を抜いた。
横になってみると、思っていた以上に疲れていたことがわかる。
首の痛みも、肩の重さも、ずっと座っていたせいで身体が固まっていたのも、全部一気に出てくる。
隣ではタイキの呼吸が、また少しだけ深くなっていく。
安心したんだろうな、とルイは思う。
自分がまだここにいて。
しかもちゃんと休んでいることに。
そのことが、妙にあたたかかった。
ルイは横になったまま、目を閉じる前に一度だけタイキの方を見た。
熱で少し赤い横顔。
でも昨夜より落ち着いた呼吸。
窓から差し込む朝の光が、シーツの上に薄く広がっている。
同じベッド。
でも、前とは何も同じじゃない。
そう思いながら、ルイはようやく少しだけ目を閉じた。
今は、これでいい。
間があることも。
触れないことも。
それでも同じ場所にいられることも。
全部ひっくるめて、今の二人にはこれがいちばん自然だった。
昼前。
窓からはやわらかい日差しが差し込んで、部屋の中を白く照らしていた。
カーテンの隙間から入る光が、シーツの皺を淡く浮かび上がらせる。
夜の熱っぽさは少し引いていて、朝よりずっと静かな空気だった。
昨晩、ちゃんと寝れていなかったルイの睡眠は、思ったより深かった。
ふっと目が覚める。
最初に見えたのは天井だった。
ぼんやりした視界のまま、ルイは数秒かけて意識を浮上させる。
自分が動いていないことが、すぐにわかった。
寝返りを打っていない。
変に近づいてもいない。
そこに、まず少しだけ安堵する。
……はずだった。
でもその次の瞬間、ルイは自分の腕がやけにあたたかいことに気づく。
何だ、と思うより先に、視線がそちらへ落ちた。
そして。
次の瞬間には固まったまま、ルイは呼吸をすることを忘れた。
タイキが、自分の腕にくっついたまま寝ていたから。
「…………」
声も出ない。
本当に、一瞬、何も考えられなかった。
タイキは熱で少しだけ赤みの残る顔のまま、ルイの腕を抱き込むようにして眠っている。
完全に抱きついているわけじゃない。
でも、離れているとは絶対に言えない距離だ。
肩。
腕。
体温。
全部が近い。
(マジか……)
ルイは空いている方の腕で、自分の目元を隠した。
できるだけ視界を塞ぐように。
このまま見ていたら本当にどうにかなりそうで、反射的にそうした。
でも、隠しても意味はない。
近いものは近いままだし、腕に感じる重みも熱も消えない。
ルイは喉を小さく鳴らした。
「タイキ……」
そのまま、ちゃんと名前を呼ぶ。
近い、と伝えなきゃならない。
今のこれは、さすがに。
タイキの呼吸が少しだけ動く。
起きる気配。
ルイはまだ目元を隠したまま、できるだけ平静を装って言う。
「もう、昼だぞ」
「薬飲むだろ……」
「粥、作ってくる」
言葉はちゃんと出た。
でも声は少し掠れていた。
タイキがうっすらと目を開ける。
熱で重たいまぶた。
でも目が覚めた瞬間の視線は、ちゃんとまっすぐルイに向いた。
ルイはそちらを見ない。
見たら駄目だと思った。
今この距離で、起きたばかりのタイキに正面から見られたら、たぶん自分の方が保てない。
でも。
タイキは、ルイから離れないまま、じっとルイを見上げていた。
「……」
何も言わない。
ただ見てる。
その沈黙が余計にまずい。
(……勘弁してくれ……)
ルイは本気でそう思う。
喉の奥がつまる。
呼吸が浅い。
腕のところにある熱が、妙に神経を逆撫でする。
「離れるぞ」
静かにそう溢す。
でも、その言葉とは裏腹に、ルイからは無理に離せなかった。
引き剥がすみたいに腕を抜くのは違う気がした。
熱の残るタイキを、起き抜けに乱暴に扱うみたいで嫌だった。
「タイキ……」
もう一度、名前を呼ぶ。
ルイは天井に視線を戻した。
そしてまた、空いている手で目元を隠す。
「……離してくれないか」
その声は、自分でも驚くくらい低くて、でもどこか困っていた。
耳が熱い。
たぶん赤くなっている。
実際、ルイの耳は朝の光の中でわかるくらいに赤く染まっていた。
それを、タイキは見逃さなかった。
(うわ……)
心臓が、どくんと鳴る。
昔じゃ考えられないルイの反応だった。
前のルイなら、こういう距離で困る顔なんてしなかった。
むしろ余裕のある顔で、平然とこっちを見下ろしていたはずだ。
でも今は違う。
目元を隠して。
視線を逸らして。
ちゃんと困ってる。
ちゃんと、こっちを怖がらせないようにしながら、自分の方がどうしていいかわからなくなってる。
それがタイキにはたまらなく刺さった。
離れなきゃいけないのはわかってる。
薬も飲まなきゃいけない。
粥も、たぶん食べた方がいい。
でも。
そんなルイを、もう少し見ていたかった。
たぶん熱のせいだけじゃない。
ルイが、自分の近さにこんなふうに揺れてる。
しかも、勝手に触れないように必死で止まってる。
その顔を見ていると、胸の奥が変にざわつく。
タイキはルイの腕に額を少しだけ寄せたまま、小さく息を吐いた。
それでもまだ離れない。
ルイは天井を見たまま、そのわずかな動きにも反応してしまう。
腕の内側に触れる髪。
熱の残る額。
吐息。
「……タイキ」
少しだけ声が低くなる。
でも、怒ってはいない。
怒れない。
そこに、今のルイの全部が出ていた。
タイキはしばらく何かを考えていた。
離れるか。
このままでいるか。
冗談っぽく流すか。
何か返すか。
その全部を、熱の残る頭で少しずつ整理するみたいに。
やがて、ふぅ、と小さく息を吐く。
何かを整えたみたいに。
ルイはその気配を感じながら、まだ目元を隠したままだった。
その手が、ゆっくり下ろされる。
ルイはようやく、隠していた目元から手を外した。
まぶたの奥に残る眠気と、目の前の現実と、両方を少しずつ受け入れるみたいに。
そしてもう一度だけ、少し顔を向けてタイキを見る。
タイキはまだ近い。
腕に寄ったまま。
でも視線はまっすぐルイを見ている。
ルイの宙に浮いた手が、今度はタイキの方へ向かった。
少し、恐る恐る。
途中止まりながらも
ゆっくりと。
視線はタイキの瞳を交互に見ている。
様子を見ながら。
嫌じゃないか。
怖くないか。
本当にそれが一番強い確認だった。
勝手に触れていいわけじゃない。
今も、それは同じだ。
だから、ちゃんと見ている。
タイキが逃げないか。
固くならないか。
少しでも嫌そうな顔をしないか。
その全部を確認しながら、ルイの手はゆっくり近づいていく。
タイキは動かない。
ただ、少しだけ目を細めただけ。
それを見て、ルイの喉が小さく鳴る。
そしてその手は、そっと、タイキの頭に柔らかく落ちた。
髪に触れる。
ゆっくりと。
本当にやさしく。
撫でる、というほど大げさでもない。
でも確かに、頭を包むみたいな触れ方だった。
タイキの心臓が、一気に速くなる。
どくん、と。
熱とは違うところで。
ルイは何も言わない。
ただ、触れたまま、静かにタイキを見ていた。
その目はやわらかい。
でも、まだ少しだけ慎重で。
“嫌だったらすぐやめる”が、そのまま目に出ている。
タイキはそれがわかるから、余計に胸が鳴る。
ルイは今、欲しいから触ってるんじゃない。
落ち着かせるみたいに。
起きたばかりのタイキを宥めるみたいに。
でも、ちゃんと大事にする手つきで触っている。
こんなの、ずるい。
頭を撫でられるなんて、子ども扱いみたいで本当なら嫌なはずなのに。
ルイにやられると、全然違う。
熱の残る身体が、そのやさしさに少しだけほどけていく。
「……ルイ」
タイキが小さく呼ぶ。
ルイの指先が、ほんの少しだけ止まる。
「ん」
「それ」
少し間。
「ずるい」
ルイの目が、わずかに揺れた。
「何が」
低い声。
でも、前みたいに余裕のある言い方じゃない。
タイキはルイの腕に寄ったまま、小さく目を閉じる。
「そういう触り方」
ルイはそこで言葉を失った。
やっぱり、わかるんだと思う。
自分が今、どういう気持ちで触っているか。
欲を抑えて、それでもやさしくしたいと思ってることが。
タイキはもう一度、小さく息を吐いた。
頭を撫でるルイの手は、やっぱり途中でやめなかった。
でも、勝手に深くもならない。
その塩梅が今のルイで。
それがたまらなくタイキの胸に残る。
「……薬、飲むんだろ」
ルイがようやくそう言う。
タイキは目を閉じたまま、少しだけ口元を緩めた。
「飲む」
「だったら離れろ」
「ん…」
返事はするくせに、すぐには動かない。
ルイはその様子を見て、小さく息を吐く。
でも今度はさっきより少しだけ落ち着いていた。
手を伸ばして。
ちゃんと受け止められて。
そのうえで、拒まれなかったから。
だからルイはもう一度だけ、最後にタイキの髪を撫でる。
「ほら」
静かに言う。
「起きろ」
その声は、昨夜から今朝にかけてのどの声よりもやわらかかった。
昼前の光が、カーテンの隙間から細く差し込んでいた。
白くやわらかい日差しが、ベッドのシーツとルイの肩を照らしている。
熱の残る部屋はまだ少しだけぼんやりしていて、朝と昼の境目みたいな静けさがあった。
ルイの手は、ようやくタイキの頭から離れようとしていた。
このままだと、ほんとにまずい。
頭を撫でるくらいなら平気だと思った。
思ったけど、それ以上この距離にいたら、自分の方が保てない。
「……粥、作る」
小さくそう言って、ルイが身じろぎする。
ベッドの端に置いていた手に力を入れて、立ち上がろうとした、その時だった。
ぐ、と袖を掴まれる。
ルイの動きが止まる。
視線を落とすと、タイキの手が自分の袖をしっかり掴んでいた。
熱のせいで少し赤い指先。
でも、その力は思っていたよりずっとはっきりしている。
「……っ」
ルイは思わず目を閉じそうになった。
(ほんと勘弁してくれ……)
心の中でそう思う。
熱がある。
病人だ。
弱ってる。
わかってる。
わかってるのに、その仕草がやけに効く。
ルイは小さく息を吐いて、またベッドの方へ少しだけ身体を戻した。
逃げるみたいに立ち上がるのも違う気がして、もう一度タイキの頭に手を乗せる。
今度はさっきより、少しだけ深く。
髪をやさしく撫でながら、ルイはぽつりと落とした。
「お前さ……」
タイキがルイを見上げる。
ルイの目はやわらかい。
でも、そのやわらかさの奥にあるものは、少し読めなかった。
「……俺のこと。怖くないの……」
その声は、思っていたよりずっと小さかった。
静かで。
低くて。
でもごまかしのない声。
タイキはその問いに、一瞬だけ目を瞬かせる。
怖い。
その言葉をルイが自分の口で言うと思っていなかった。
でも、すぐに否定もできなかった。
ただ少しだけ口元を緩めて、熱の残る息を吐く。
「怖いって言うより……」
少しだけ笑う。
「ずるい……」
ルイの眉が、ほんの少し動いた。
タイキはそのままルイを見上げて言う。
「こんな触られ方」
少し照れた顔のまま、目だけは逸らさない。
「されたことねぇし」
その言葉に、ルイはしばらく何も返さなかった。
頭を撫でていた手が、一瞬だけ止まる。
それからまた、少しだけゆっくり動く。
間が落ちる。
朝の光。
熱の残る呼吸。
袖を掴んだままのタイキの手。
その全部を抱えたまま、ルイは言葉を選んでいた。
「俺は……」
掠れた声。
「お前と触れ合うのが」
少しだけ息を呑む。
「正直、怖い」
タイキの目が上がる。
「え……」
今度はタイキの方が、ちゃんと驚いた顔をした。
ルイは逃げずに、そのままタイキを見る。
「好きになってから。余計に」
その一言が落ちる。
タイキの心臓が、一気に速くなる。
どくん、と大きく鳴る。
熱のせいじゃない。
それはもう、自分でもわかる。
「……なんだよ……それ……」
困ったような顔で、でも目は逸らせないまま、タイキが言う。
ルイはその表情を見て、頭からそっと手を離した。
視線を少し横にずらし、手はベッドの縁に置く。
「今の俺は……こうやって、寄り添うことくらいはできるし」
静かに言葉を選ぶ。
「頭撫でるくらいなら、多分、平気」
その耳は赤かった。
タイキはそれをちゃんと見てしまう。
熱のせいで自分の顔も赤いくせに、ルイの耳の赤さだけはやけにはっきり見えた。
「じゃあ……」
タイキの声が少しだけ掠れる。
ルイがハッとそちらを向く。
タイキは熱のせいなのか、見上げる顔も少し赤い。
でも、その目は妙にまっすぐだった。
「……その先は」
ルイの呼吸が、一瞬止まる。
「……病人は寝ろ」
低く落とすように言う。
でもその声は、怒っているわけじゃない。
むしろ、これ以上聞かれたらまずいと自分でわかってる人間の声だった。
「……答えになってねぇ」
タイキは引き下がらない。
ルイは少しだけ目を細める。
「それ以上の話を今するな……」
さっきより少しトーンを落として、でもどこか優しくタイキを見る。
「なんでだよ……」
タイキが苦い顔をした。
そのまま片腕を自分の目元へ持っていく。
顔を隠すように。
熱のせいだと、自分をごまかすみたいに。
(俺、何言ってんだ……
熱のせいだ、絶対……)
でも、その言葉は自分の中ではもう通用しない。
腕で目元を隠したまま、タイキは吐き捨てるみたいに言った。
「お前のせいだろ……」
ルイが動かない。
「こんな話してんのも、
俺が先を期待するのも」
その瞬間、ルイの呼吸が止まる。
タイキは腕で目元を隠したまま、少しだけ眉を寄せる。
「散々、触れてきたくせに
今になって怖いから触れないとか」
小さく舌打ちしたくなるくらい、声は正直だった。
「ビビってんじゃねぇよ……」
言ってから、自分で息を呑む。
(まるで、こんなの
触れて欲しいみたいな言い方だ)
(全部、ルイのせいだ……)
ルイはその言葉を受け止めたまま、小さく息を吐いた。
逃げない。
怒らない。
茶化しもしない。
その代わりに、静かに言葉を落としていく。
「さっき、タイキが俺の隣にくっついてたの」
タイキの腕が、目元の上で少しだけ止まる。
「あれ、嬉しかった」
声は低い。
でも、嘘のない声だった。
タイキは腕をどけられないまま、息を詰める。
ルイは続ける。
「離れてくれって言ったけど、
嫌だからとかじゃなくて……」
そこで少しだけ息を呑む。
喉が動く。
言葉の先を飲み込もうとして、それでも飲み込みきれないみたいに。
「……わかるだろ? 言わなくても」
ルイはそう言ってから、もう一度だけ、そっとタイキの頭に手を置いた。
今度は前よりもっと静かに。
甘やかすみたいでもなく、でも確かに大事にする触れ方で。
タイキの髪に指が沈む。
その感触を確かめるみたいに、一度だけゆっくり撫でる。
「熱下がるまでは……」
ルイは少し微笑んだまま、最後にそう溢した。
「ここにいてやるから」
その言葉が、部屋の中で静かに落ちる。
朝の光が眩しくて。
まだ、少し身体が熱くて。
タイキは真っ直ぐにルイを見れなかった。
それは、全部熱のせいにしてしまいたかったけど。
俺のこの心臓の音が、そうはさせてはくれなかった。
どくん。
どくん。
どくん。
耳の奥まで響くくらい、うるさい。
ルイの手はまだ頭の上にある。
さっきまで“ずるい”と思っていたその触れ方が、今は胸の奥をやわらかく締めつける。
熱のせいじゃない。
たぶんもう、ちゃんとわかっている。
ルイがここにいるから。
触れたいのに止まって。
怖いと言いながら、それでも寄り添って。
最後には「ここにいてやる」と言うから。
それが、どうしようもなくタイキに効いていた。
腕で隠した目元の下で、タイキは小さく息を吐く。
言い返したい。
何かもう一言、返したい。
でも、今は無理だった。
何を言っても、自分の心臓の音の方が先に全部ばれてしまいそうで。
だからタイキは、目元を隠したまま小さく口を開く。
「……ルイ」
「ん」
「そのまま……」
少しだけ間。
「もうちょい」
その言葉の意味を、ルイはたぶんすぐに理解した。
頭を撫でる手をどけるな。
今はまだ、そこにいてくれ。
ルイは何も言わなかった。
ただ、答える代わりみたいに、もう一度だけやさしくタイキの髪を撫でた。
その指先の動きだけで、十分すぎるほど伝わった。
ルイの手が、まだタイキの頭をやさしく撫でていた。
朝の光は少しずつ強くなって、カーテンの隙間から差し込む白い日差しが、ベッドの上を静かに照らしている。
熱の残る部屋。
寝起きの重たい呼吸。
それでも、さっきまでの張りつめた空気はほんの少しだけやわらいでいた。
「……そのまま、もうちょい」
タイキのその一言に、ルイは何も返さなかった。
ただ、答えるみたいにもう一度だけ、ゆっくりと髪を撫でる。
欲しいからじゃない。
でも、やさしくしたいから。
その時。
ローテーブルの上に置いていたスマホが、短く震えた。
部屋の静けさに、その音だけが妙にはっきり響く。
ルイの手が、ほんのわずかに止まる。
タイキも気づいたらしく、腕で隠していた目元を少しだけずらした。
「……誰」
熱のせいで少し掠れた声。
ルイは頭を撫でていた手をそっと離して、ベッド脇の椅子に手をついたまま身体を起こす。
「仕事」
短く言ってから、ローテーブルへ手を伸ばした。
画面に浮かんでいた名前を見た瞬間、ルイの目が少しだけ細くなる。
雛子。
STARGLOWのマネージャーだ。
ルイは一度だけタイキを見た。
タイキはまだ熱っぽい顔のまま、でも目だけはちゃんとこっちを見ている。
ルイはそれを確認してから、画面を開いた。
メッセージは二通。
雛子
タイキどう?
少し間を置いて、その下。
雛子
あなた、午後でいいからスタジオに少し顔出せる? 新しい案件の話したい。
ルイはその文面を見たまま、数秒黙った。
仕事の話だ。
雛子がこの時間に連絡してくるなら、たぶん急ぎではある。
でも、今この部屋にいるタイキを見て、すぐに「行けます」と返す気にはなれなかった。
ルイは親指を動かす。
ルイ
まだ熱高い
薬と粥は入れた
今は起きてるけど、もう少し様子見る
送信。
それから、少しだけ間を空けて続ける。
ルイ
午後の件、時間による
タイキの熱次第で動く
送信したあと、ルイはスマホを見つめたまま小さく息を吐いた。
タイキがベッドの上で、少しだけ身じろぎする。
「……雛子さん?」
ルイが視線を戻す。
「ん」
「何て」
ルイはスマホを軽く伏せてから答えた。
「お前の様子聞いてきた」
少し間。
「あと、午後スタジオに来れるかって」
タイキの目がわずかに動く。
「仕事?」
「新しい案件の話らしい」
その一言で、少しだけ現実が戻ってくる。
今は看病の夜の続きみたいな朝だけど、それでも二人は仕事を持っていて、グループは動いていて、外の時間は止まっていない。
タイキはそこで少しだけ目を伏せた。
「……行くの」
ルイの喉が、小さく鳴る。
その問い方は、責めているわけじゃない。
でも、熱の残る声でそう聞かれると、妙に胸にくる。
「お前の熱が下がったらな」
ルイは低く返す。
「下がらなきゃ行かない」
タイキが少しだけ目を上げる。
「いや、仕事だろ」
「知ってる」
「なら……」
「知ってるって言ってんだろ」
少しだけ語気が強くなる。
でも怒っているわけじゃない。
ルイは一度だけ息を吐いて、トーンを落とした。
「雛子さんにもそう返した」
「お前の熱次第だって」
タイキはしばらく黙っていた。
ベッドの上で、冷却シートの貼られた額を少しだけしかめる。
何か言いたそうで、でもすぐには出てこない顔。
「……俺、そこまで重くねぇよ」
小さく言う。
ルイはその言葉に、ほとんど間を置かず返した。
「重いとかじゃねぇ」
タイキがルイを見る。
ルイはスマホを膝の上に置いたまま、その視線を受け止める。
「今の俺は」
少し間。
「お前の体調が優先だって言ってんの」
朝の光の中で、その言葉は静かに落ちた。
タイキは何も言えなくなる。
そういうふうに言われるの、ずるいと思う。
仕事と自分を天秤にかけた結果じゃなくて、最初から自分の体調を先に置かれる感じ。
それが、またちゃんと胸に刺さる。
スマホがもう一度、小さく震えた。
ルイが画面を見る。
雛子
了解
熱高いならそっち優先して
それを読んだルイの肩から、ほんの少しだけ力が抜ける。
雛子らしい返しだと思う。
冷静で、でも必要なところはちゃんと見ている。
続けて、もう一通。
雛子
あと、ちゃんとあなたも休みなさい
ルイはそこで、ほんの少しだけ目を細めた。
「……何」
タイキが聞く。
ルイは画面を見たまま、小さく息を吐く。
「お前のこと優先しろって」
「雛子さんが?」
「あと、俺も休めって」
タイキの口元が、ほんの少しだけやわらぐ。
「言われてんじゃん」
「うるせぇ」
そう返しながらも、ルイの声にはいつもの刺がなかった。
ルイは短く返信する。
ルイ
了解
落ち着いたらまた連絡する
送信。
それからスマホをローテーブルへ戻して、もう一度ベッドの方へ向き直る。
タイキはまだ少し熱っぽい顔のまま、でもさっきより目がはっきりしていた。
「……ルイ」
「ん」
「雛子さんに」
少し間。
「俺、大丈夫って送っとけよ」
その言い方に、ルイは小さく眉を寄せる。
「今その顔で説得力あると思ってんのか」
「ないかも」
「ないな」
短いやり取り。
でも、その少しだけいつもに戻った会話に、部屋の空気がまたやわらぐ。
ルイはベッド脇の椅子へ座り直した。
「午後のことは、昼すぎても熱高かったら断る」
タイキが少しだけ目を瞬かせる。
「お前、ほんとにそうする気かよ」
「する」
「……案件って言ってたじゃん」
「言ってたな」
「新しいのって、わりと大事じゃねぇの」
「多分な」
「じゃあ」
「だからって、今のお前置いて行く理由にはならねぇよ」
ルイのその返しが、あまりにも自然で。
当然みたいで。
そこに迷いがないことが、タイキにはやっぱりずるかった。
タイキは少しだけ目を逸らす。
熱のせいか、それとも別のせいか、耳の奥まで少し熱い。
「……ほんと」
ぽつりと溢す。
「何」
「お前、今そういうのばっかだな」
ルイが少しだけ眉を上げる。
「どういうの」
タイキはそこで言葉を濁した。
“刺さるやつ”とか。
“ずるいやつ”とか。
“好きになってよかったって思わされるやつ”とか。
でも、そこまで全部言う元気はまだない。
「……いい方の意味」
そうだけ返すと、ルイは一瞬だけ黙って、それからほんの少しだけ口元を緩めた。
「そっか」
短い返事。
でも、その中に少しだけ安堵が混ざっているのがわかった。
昼前の光は、だんだん強くなっていく。
午後になる頃には、部屋の空気が少しだけ変わっていた。
朝の重たさが、ほんの少し薄くなっている。
カーテン越しの日差しはもう高くて、白く明るい。
テーブルの上には、飲み終えた薬のシートと、半分空いたスポドリ。
タイキはさっき二度目の粥を食べて、薬も飲み終えたところだった。
熱はまだある。
でも、朝みたいな苦しさは少し引いている。
ルイはベッド脇の椅子に座ったまま、さっき測った体温計の数字をもう一度見た。
「少し下がったな」
低く言う。
タイキは枕に頭を預けたまま、小さく頷いた。
「……うん」
声も、朝より少しだけ戻っている。
ルイはその顔をじっと見た。
頬の赤み。
目の重さ。
呼吸の深さ。
まだ本調子じゃない。
でも、今朝よりは明らかにマシだ。
その様子を確認してから、ルイはスマホを取り出した。
雛子に一度連絡を入れるか、と画面を開こうとした、その時だった。
「ルイ」
名前を呼ばれて、手が止まる。
「ん」
タイキは少しだけ息を整えてから言った。
「大丈夫だから」
「スタジオ、行って」
ルイの目が細くなる。
「大丈夫そうに見えねぇけど」
「朝よりはマシ」
「それは知ってる」
「じゃあいいだろ」
ぶっきらぼうな言い方。
でも、朝みたいな弱さだけじゃない。
少しだけ、いつものタイキが戻ってきている。
ルイはそこで何も言わずに、タイキを見たままだった。
タイキは視線を少しだけ逸らす。
「何かあったら、すぐ連絡するし」
その言葉の置き方が、妙に慎重だった。
ルイはまだ黙っている。
タイキはそこで、一度だけ喉を鳴らす。
そのまま続けようとして、言葉が少し詰まる。
「あと……」
少し間。
その先が出ない。
来てほしい。
仕事が終わったらまた来てほしい。
たぶん、言いたいのはそれだ。
でも、その一言がうまく出てこない。
熱のせいじゃない。
たぶん、それだけじゃない。
来て、と言うのはまだ少しだけ照れくさい。
弱ってるからでもなく、普通の顔でそれを言うのは、今のタイキには少し難しい。
「その……」
もう一度だけ言って、止まる。
ルイはその様子を見て、小さく息を吐いた。
何を言いたいのか、わかったからだ。
わかった上で、待ってやることもできた。
でも今のタイキに、それを最後まで言わせるのも違う気がした。
だからルイは、静かに口を開く。
「来ていいなら」
タイキの目が上がる。
ルイはその視線を受け止めたまま、低く言った。
「仕事終わって真っ直ぐ来る」
その言葉が落ちた瞬間、タイキの呼吸が少しだけ止まる。
言ってもいない先を、ちゃんと拾われる。
しかも、押しつけじゃない形で。
来る。
でも、“来ていいなら”。
その聞き方が、今のルイらしくて。
今の二人らしくて。
タイキは数秒、何も言えなかった。
胸の奥が、静かに熱くなる。
「……来ていい」
ようやく出た声は、思っていたより小さかった。
でも、ちゃんと届く声だった。
ルイの目が、ほんの少しだけやわらぐ。
「じゃあ、来る」
短く返す。
たったそれだけなのに、部屋の空気が少しだけ変わる。
午後の光。
まだ少し熱のある身体。
仕事へ戻らなきゃいけない現実。
その全部の中で、“終わったらまた来る”が置かれる。
タイキは枕の上で少しだけ目を伏せた。
来てほしい。
それを言い切れなかった自分が少し情けなくて。
でも、言わなくても汲んでくれたことが、どうしようもなく嬉しい。
ルイはスマホを手に取り直して、雛子に短く連絡を入れる。
ルイ
熱は少し下がった
今から向かう
終わったらまた戻る
送信してから、タイキの方を見る。
「行ってくる」
タイキはベッドの上で小さく頷いた。
「ん」
ルイはそこで立ち上がる。
でもすぐには部屋を出ない。
ベッドのそばまで一歩だけ寄って、タイキの額を見る。
朝よりずいぶんましだ。
それでもまだ少し熱い。
「無理すんなよ」
低い声。
タイキは少しだけ口元を動かす。
「誰に言ってんだよ」
「お前だよ」
「ルイの方だろ、むしろ」
その返しに、ルイは小さく息で笑った。
「終わったら戻るって言ってんだから」
「それまで大人しく寝てろ」
タイキはそこで少しだけ目を細める。
「……わかった」
その“わかった”は、朝の“薬飲む”より少しだけ素直だった。
ルイはそれを聞いて、ようやく少しだけ安心した顔になる。
それから、ごく自然な動作みたいに、タイキの前髪を指先で軽く整えた。
朝みたいに長くは触れない。
一瞬だけ。
でも、その一瞬がちゃんと残る。
タイキの心臓が、また少しだけ鳴る。
「……ルイ」
「ん」
「絶対来いよ」
その言い方に、ルイの眉がわずかに上がる。
でもすぐに、口元だけで少し笑った。
ルイは今度こそ部屋を出る。
リビングでバッグを取って、玄関へ向かう。
タイキは寝室のベッドの上から、その気配を聞いていた。
靴を履く音。
鍵を取る音。
ドアノブに手がかかる、小さな気配。
その全部が、一度終わる昼の音だ。
でも今は、それで終わりじゃない。
夜にはまた来る。
その約束があるだけで、離れていく音さえ少し違って聞こえた。
玄関の方から、最後にルイの声がした。
「何かあったらすぐ連絡しろ」
タイキは少しだけ声を張って返す。
「わかってる」
少し間。
「……行ってらっしゃい」
言ってから、自分で少しだけ目を瞬かせる。
その言葉が、思っていたより自然に出たからだ。
玄関の向こうで、ルイが一瞬だけ止まる気配がした。
それから、少し低くてやわらかい声が返ってくる。
「行ってくる」
ドアが静かに閉まる。
部屋に、また一人の気配だけが残る。
でも今度の静けさは、朝の静けさとは違った。
また戻ってくる。
そのことを、二人とももう疑っていなかった。
コメント
1件
うわあ……もう、朝から胸がぎゅうってなりました……。ルイが「触れるのが怖い」って本音を見せたところ、とか、タイキが熱に浮かされながらも「その先は」って迫ったところ、どっちもすごく刺さりました。二人ともちゃんと“今の自分たち”で向き合おうとしてるのが伝わってきて、じんわり温かい気持ちになりました。繋いだままの手を「そこに置いておく」っていうルイの在り方、すごく好きです。