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愛理は、宿泊していたビジネスホテルへ立ち寄り、荷物をまとめると、未練を断ち切るように福岡空港へ向かった。
まだ、予約した昼の便の飛行機には早すぎる時間だ。それでも向かわずにはいられなかった。
北川の「好きだよ」という言葉を聞いて、心が震えた。 あのまま、一緒にいたら全てを捨てて縋りつきたくなってしまいそうな自分が怖くなってしまったのだ。
淳との結婚生活に決着をつけなければ、前に進めないとわかっている。もしも、全てを投げ出し北川のもとへ走ったら彼にも迷惑をかけることになる。
だから、どんなに悲しくても、ここで関係を断ち切らないといけない。
つぶれそうな思いを胸の奥に押し込めて、キャスターバッグを引き足早に空港へ向かう。
空港出発ロビーに着くと、足早に予約してあった航空会社のカウンターに立ち寄った。早い時間の便に変更可能か聞くためだ。
愛理は、カウンターで予約番号を告げ、便の変更手続きを始めた。すると、直ぐ隣りのカウンターにキャップを被った男性がやって来たのが視界の端に映り込む。見覚えのある姿を見つけ思わず名前を口にした。
「え!? 翔くん……」
愛理に声をかけられた翔は、振り向きざま驚いたように目を見開き、声の主を認識すると柔らかく微笑んだ。
「愛理さんも福岡に来ていたんだ」
「うん、仕事でね。翔くんも?」
と愛理が答えたタイミングで、愛理の搭乗機の変更が終了したと職員からチケットを渡された。愛理のチケットに視線を移した翔が、目を細め笑みを浮かべる。
「オレも仕事だったんだ。あ、同じ便だね。じゃ、せっかくだから席を隣にしてもらおう」
愛理の返事を待たずに翔は、二人分の座席をアップグレードした席への変更希望を職員に告げる。愛理は断るタイミングを逃したまま、それを受け入れるしかなかった。
「翔くん、差額払うから金額教えて」
「大丈夫だよ。仕事で飛行機を使う機会が多くてマイルが貯まっているんだ。マイルで精算したから心配ないよ」
心苦しく感じたけれど、あまり言うのも好意を無にしてしまうと、愛理は有り難く受け取ることにした。
「ごめんね。ありがとう」
「それより、イメチェンしたんだね。驚いたよ。いつ髪の毛切ったの?」
「こっちに来て直ぐの木曜日に……ね」
と北川のことを思い出してしまい、チクリと胸の奥が痛み表情を曇らせた。
「……木曜日なんだ。前の長い髪も良かったけど、今の髪型もかわいいね。オレより年上には見えないよ」
「ありがとう、気に入っているから褒められると素直にうれしい」
髪に手をあてた愛理のはるか後ろに、背の高いアッシュグレーの髪色の男が居るのを翔は見つける。訝し気に目を細め、翔はその男の様子を窺う。アッシュグレーの髪色の男はキョロキョロと誰かを探している様子だ。
翔は、何かを察したように自分が被っている帽子を愛理へ被せた。
「愛理さんの髪型、似合っていて可愛いけど、少し寒そうだ」
と言って、翔は、アッシュグレーの髪色の男から愛理を隠すように、何気なく体の位置を移動させ、話しを続ける。
「早く保安検査場を抜けて、ラウンジで休もうよ」
「ちょっと待って、私、仕事で来たのに、会社へお土産も買っていないの」
「中でも買えるよ。飛行機に乗る直前に買った方が荷物にならなくていいし、優待割引の効く店もあるから大丈夫だよ」
戸惑う愛理の手を引き、保安検査場の入り口まで誘導した翔は、辺りを何気なく見回した。
さっきまで自分たちが居たカウンターの前にアッシュグレーの髪色の男は移動していた。男は探し人を見つけられないまま、途方に暮れたように椅子へ座り何か考え込んでいるようだ。
その様子に翔は、安堵のため息をつき、保安検査場を通るために電子機器を備え付けの籠に入れた。愛理もそれに続いて、手にした籠へスマホや手持ちのタブレットを入れている。
「愛理さん。福岡に来てどこか観光した?」
「湯島天神へ行ったの」
「あとで、写真見せてもらってもいい?」
そう言って、翔は、愛理の視線を籠の中のスマホへ誘導する。
「いいけど、自撮り写真しかないから、メシテロだよ」
「いいよ。メシテロ写真見せて」
保安検査場のゲートを過ぎると飛行機に搭乗する人しかいない領域だ。
翔に促されるまま、愛理は彼に気付くことができずにゲートへと足を進めた。