テラーノベル
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朝の禪院家は、静かすぎる。直哉はいつも通りの時間に目を覚まして、
いつも通りに身支度を整えた。
鏡に映る自分の顔も、特に変わりはない。
直「……よし」
小さく声を出して、部屋を出る。
廊下を歩く。
畳の音。
障子越しの光。
使用人たちの控えめな足音。
全部、昨日までと同じだ。
女中「直哉様」
呼ばれて、軽く手を上げる。
直「おはようさん。 今日は特に用事ないし、放っといて」
そう言う声も、態度も、
禪院家の次期当主として“正しい”。
——何もなかった。
——誰も戻ってきていない。
そういう顔で、
直哉は朝食の席に着いた。
箸を取る。
味噌汁を口に運ぶ。
味は、ちゃんとする。
けれど、
ふとした瞬間に、庭のほうを見てしまう。
直「……」
昨日、甚爾くんが座っていた場所。
そこにはもう、誰もいない。
女中「直哉様?」
直「なんでもあらへん」
即答する。
少しだけ早口になったのを、自分でも分かった。
食事を終えて、立ち上がる。
やるべきことは山ほどある。
術式の確認、家の雑務、面倒な報告。
忙しくしていれば、
考えずに済むと思っていた。
——思っていた、だけだった。
廊下を曲がった拍子に、
背の高い影が一瞬、視界に入った気がして、
直哉は足を止める。
心臓が、無駄に跳ねた。
直「……おらんやろ」
自分に言い聞かせて、歩き出す。
甚爾くんは、ここに住む人間じゃない。
戻ってきたとしても、
それは一時的なもので。
分かっている。
分かっているのに。
直「また来るん?」
昨日の自分の声が、
頭の奥で反響する。
答えは、曖昧なまま。
直哉は、庭に続く縁側の前で足を止めた。
一瞬だけ、立ち止まって、
何もない空間を見る。
それから、何事もなかったように踵を返す。
——日常は、続く。
——曖昧なままでも。
それが、
少し前よりも、
息苦しくなっただけで。
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