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#禪院甚爾
欲 。
89
さーもん
48
641
とーにゃん
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甚爾くんが死んだ。五条悟に殺されたという報せを聞いてから、もう何日も経つというのに、直哉の胸に開いた巨大な穴は塞がる気配すら見せなかった。ある日、直哉は甚爾がかつて寝泊まりしていたという、都内の薄汚れたアパートの一室にいた。まともな遺品整理をする人間など禪院家にはいない。直哉は「ただの物見遊山や」と周囲に嘯(うそぶ)きながら、独りでその部屋の片付けを引き受けたのだった。部屋は、甚爾の生き方そのもののように荒れていた。万馬券のハズレくじ、空の酒瓶、吸い殻の山。そのクローゼットの奥、古びた上着のポケットから、一通の封筒が出てきた。
「……なんや、これ」
直哉の心臓が、ドクンと大きく跳ねた。手垢で汚れた白い封筒。そこには、甚爾の雑で力強い筆跡で、何かが書かれていた。直哉の脳裏に、都合のいい期待がよぎる。
(もしかして……俺宛て、か? 甚爾くん、最期に俺に何か残してくれたんか……?)
金を払わなければ名前すら呼んでくれなかった男だ。そんなわけがないと分かっているのに、直哉の手は期待で小刻みに震えていた。息を呑み、丁寧に封を切る。中から出てきた便箋を広げ、直哉は貪るように文字を追った。しかし、最初の数行を読んだ時点で、直哉の身体は氷の塊のように硬直した。
『――もし俺が死んだら、恵をよろしく頼む。あいつには、呪術なんて関係ない普通の人生を歩ませてやってくれ。それから、お前には苦労ばかりかけた。すまなかった』
宛名は書かれていなかった。けれど、それが誰に向けられたものかは一目瞭然だった。直哉が一度も見たことのない、甚爾の「家族」。彼が愛し、そして失った、恵の母親へ向けた遺書だった。
「……ハハッ、なんやこれ。何期待してたんやろ、俺」
直哉の口から、乾いた笑いが漏れた。手紙を持つ指が、破り捨てそうなほどに強く強張る。涙が視界を遮り、甚爾の文字が歪んでいく。そこには、直哉がどれだけ金を積んでも、どれだけ身体を重ねても、決して見せてくれなかった「優しさ」と「未練」が溢れていた。甚爾は呪術界を拒絶し、禪院家を憎んでいた。だからこそ、その呪いの中心にいるエリートの直哉のことなど、最初から自分の内側の世界に一歩も入れていなかったのだ。「俺は、あんたの何やったん……? ただの便利な財布か? 退屈しのぎの玩具か……っ?」
直哉は手紙を胸に抱きしめ、狭い床に崩れ落ちた。どれだけ焦がれても、どれだけ叫んでも、甚爾の心の最深部にいるのは自分ではない。自分が決して触れることのできない、温かくて眩しい世界。そこにいる彼女への想いだけが、綺麗なまま手紙に残されていた。自分宛てではない、届くはずのない手紙。直哉はその便箋をぐしゃぐしゃに握り潰そうとして
――けれど、どうしても出来なかった。だって、それには紛れもない、甚爾くんの生きた証が刻まれているから。
「ずるいわ、甚爾くん。死んでまで、俺をこんなに惨めにするなんて……」
直哉は泣きながら、不器用にしわくちゃの手紙をもう一度折り畳み、懐へと仕舞った。愛されていない事実を突きつけられてもなお、その手紙を捨てられない。残された男の深い愛の残滓を、自分が一番の理解者であるかのように抱きしめて生きるしかない。直哉は誰もいない無人の部屋で、終わってしまった恋の冷たさに、ただ一人静かに震えていた。
コメント
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いやあ……冒頭から心臓を掴まれるような、読んでいて苦しくなるお話でした。直哉の「もしかして俺宛てか?」という一瞬の期待が、手紙を読んだ後の絶望で粉々になるところが本当に切なかった。金を払わなければ名前すら呼んでくれなかった相手に、ずっと愛されたかったんだろうな。自分宛てじゃないと分かっていても、捨てられずに胸に仕舞うラストが、彼の歪んだ愛情の深さを物語っていて、余韻がずしりと残ります。