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巫女都
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翠
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――中学校一年生。
入学してから、しばらく経った。
最初の頃よりは、学校にも慣れてきた。
教室の場所も、先生の名前も、授業の流れも分かる。
友達もできた。
昼休みには一緒に昼食を食べて、放課後には少し話してから帰る。
笑うことも増えた。
その笑顔は、昔よりずっと自然になっていた。
恋愛小説を読んで、覚えたこと。
「好きな人」がいるように振る舞うために身につけたこと。
それを繰り返しているうちに、すちは人との距離の取り方まで覚えていった。
相手が笑ったら笑う。
話を振られたらちゃんと返す。
困っていたら声をかける。
嫌なことを言われても、笑って流せるときは流す。
そうすれば、だいたい上手くいく。
(……これでいい)
(こうしてれば、変に思われない)
学校では、そう考えるようになっていた。
ある日の放課後。
友達「すち、今日一緒に帰ろうぜ」
すち「いいよ」
昇降口まで歩きながら、友達が話していることを聞く。
友達「そういやさ、前に話してたやつどうなった?」
すち「ああ、あれ? 結局やめた」
友達「え、なんで?」
すち「だって面倒だったから」
友達「お前、そういうとこ結構適当だよな」
すち「ひどくない?」
二人で笑う。
そんな時間は、普通に楽しかった。
それは分かる。
楽しい。
面白い。
嫌じゃない。
そういう感情は、ちゃんと分かる。
だけど。
(……好き、は?)
ふと考える。
(俺は、今こいつのこと好きなのかな)
答えは出ない。
嫌いではない。
一緒にいて楽しい。
でも、それを「好き」と呼んでいいのかは分からない。
結局、すちは考えるのをやめた。
(……まあ、いいか)
今までだって、そうしてきた。
分からないものは、分からないまま。
家に帰る。
玄関を開ける。
すち「ただいま」
返事はない。
鞄を置いて、靴を揃える。
それから、制服を着替える。
夕方になると、父親が帰ってくる。
玄関の音が聞こえた瞬間、すちは自然と背筋を伸ばした。
父「すち」
すち「はい」
父「水」
すち「分かりました」
すちは台所へ向かう。
水を用意して、父親のところへ持っていく。
父「飯は?」
すち「今から準備します」
父「早くしろ」
すち「はい」
言われたことをやる。
それだけ。
夕食を用意して、片付けて、洗濯物をまとめる。
父親から言われることは、その日によって少しずつ違う。
けれど、すちにとってはもう珍しいことではなかった。
「はい」
「分かりました」
「すみません」
その三つを使えば、大体のことは終わる。
ある日。
学校から帰ってきたすちは、机の上に置かれたプリントに気づいた。
提出期限は明日。
(……これ、忘れないようにしないと)
鞄の一番外側に入れる。
さらに確認する。
プリント。
筆箱。
教科書。
提出物。
全部ある。
(大丈夫)
その夜。
父親から呼ばれる。
父「すち」
すち「はい」
父「明日、朝六時に起こせ」
すち「分かりました」
父「それと、朝飯」
すち「はい」
部屋に戻る。
ベッドに座って、鞄を見る。
明日の準備をもう一度確認する。
(忘れてない)
(大丈夫)
何度も確認する。
それでも不安になる。
また忘れたらどうしよう。
また怒られたらどうしよう。
そう思うから。
翌朝。
すちは六時前に起きた。
父親を起こす。
朝食を準備する。
自分の支度をする。
家を出る前に、鞄を確認する。
プリントもある。
ちゃんと入っている。
学校に着く。
教室に入る。
友達が手を振る。
友達「おはよ、すち!」
すち「おはよ!」
笑う。
いつものように。
何も問題ない。
先生が来て、授業が始まる。
昼休みにはみんなで話す。
笑う。
くだらないことで騒ぐ。
その時間は、普通に楽しい。
だからすちは思う。
(学校って、楽だな)
何をすればいいか分かる。
どう笑えばいいか分かる。
どう話せばいいかも分かる。
分からないのは、「好き」だけ。
でも。
それ以外なら、ちゃんとできる。
そう思っていた。
ある日の放課後。
友達と別れて、一人で帰る。
空を見上げる。
夕方の空。
少し赤い。
(綺麗だな)
そう思う。
「好き」かどうかは分からない。
でも、綺麗だと思うことは分かる。
楽しいと思うことも。
悲しいと思うことも。
嫌だと思うことも。
ちゃんとある。
ただ、「好き」だけがない。
すちは歩きながら考える。
(……じゃあ、俺はこのままでいいのかな)
答えは出ない。
家に着く。
玄関を開ける。
表情を変える。
すち「ただいま」
その声は、学校にいるときよりずっと小さい。
そして、夜になる。
父親の言葉に返事をする。
頼まれたことをする。
間違えないように確認する。
怒られないようにする。
それが終わったら、自分の部屋に戻る。
机の上には、いつもの恋愛小説。
すちは本を開く。
主人公が誰かを好きになる話。
相手のことを考える。
会えたら嬉しい。
会えなかったら寂しい。
何かあれば心配になる。
一緒にいたいと思う。
そんな言葉が並んでいる。
すちはページをめくる。
(……俺も、こういうふうになれるのかな)
昔から何度も考えてきた。
だから、真似した。
「好きな人」を作った。
その人のことを覚えた。
話せたら嬉しそうにした。
会えなければ寂しそうにした。
大切そうに扱った。
それでも。
本物の「好き」は出てこなかった。
すちは本を閉じる。
しばらく黙って、表紙を見る。
それから、小さく笑った。
すち「……まあ、いいか」
分からないなら。
分からないままでも。
学校では、ちゃんと笑える。
ちゃんと話せる。
ちゃんと友達と過ごせる。
家では、言われたことをちゃんとやる。
そうすれば、毎日は過ぎていく。
だから。
すちはまた、いつもの顔を作った。
明日も学校では笑う。
普通の中学生みたいに。
何も困っていないみたいに。
「好き」が分からないことなんて、誰にも見えないように。
それが、すちにとっての「普通」になっていた。
コメント
1件
うわあ…すち、めっちゃ頑張ってるなって思った。 学校ではちゃんと笑えてるのに、「好き」だけが欠けてるって感覚、なんかすごく切なかった。 恋愛小読んで研究してるところとか、父親への「はい」「すみません」の繰り返しとか、無意識に自分を守る術を身につけてるのがリアルで刺さった。 「学校って楽だな」のとこ、皮肉だけどすちの本音だよな…。 このままでいいのかって自問するところ、めっちゃ感情揺さぶられたわ。続き気になる!🔥