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第十一話「遠くから優しい目」
三ヶ月が、経った。
季節は少しだけ進み、空気も変わった。
——でも。
「……っ」
高橋佳の体は、明らかに悪くなっていた。
階段を上がるだけで息が上がる。
少し歩くだけで、足が重くなる。
咳は、もう日常になっていた。
(……ほんと、わかりやすいな)
終わりに向かってるって。
嫌でも、実感させられる。
⸻
教室。
昼休み。
ざわざわとした空気の中で——
「山本さん」
聞き慣れない声。
少し低くて、真っ直ぐなトーン。
視線を上げなくても、誰か分かる。
同じクラスの男子——小太郎。
(……あいつか)
ここ最近、やけに美憂に話しかけているやつ。
「今度さ、時間あったら一緒に出かけない?」
はっきりとした誘い。
周りが、少しだけざわつく。
(……ストレートだな)
心の中で、そんなことを思う。
横目で、様子を見る。
美憂の反応は、見ないようにした。
見る必要もないと思った。
⸻
(……別に)
不思議と、何も感じなかった。
胸がざわつくことも。
イラッとすることも。
何も。
(……ああ)
そうか。
納得する。
(俺、もう)
(そういう立場じゃねぇんだ)
自分で、線を引いていた。
ずっと前から。
⸻
(……あいつなら)
ちらっと、小太郎を見る。
真面目そうで。
まっすぐで。
普通に、いいやつそうだ。
(……悪くねぇな)
そんなことを思ってしまう。
(俺よりは、ちゃんとしてるだろ)
少なくとも——
(最後まで、隣にいられる)
それだけで、十分だ。
⸻
(……幸せになれよ)
心の中で、呟く。
(俺じゃない誰かと)
その考えに、痛みはなかった。
ただ——
少しだけ、空っぽになる感じがした。
⸻
その週の土曜日。
玄関。
「……行ってきます」
美憂の声。
「おう、行ってこい」
いつも通りの返事。
それ以上は何も言わない。
聞かない。
どこに行くのかも。
誰と行くのかも。
(……分かってるしな)
ドアが閉まる音。
静かになる家。
⸻
「……はぁ」
一人になって、息を吐く。
少しだけ時間を置いてから——
ゆっくり立ち上がる。
(……行くか)
自分でも、意味は分かっている。
見なくていいものを、見に行く。
それでも——
(確認くらい、させろよ)
最後かもしれないんだ。
何も知らないままじゃ、終われない。
⸻
外。
少し離れた距離で、後をつける。
気づかれないように。
ゆっくり。
(……情けねぇな)
自嘲する。
ストーカーみたいだ。
でも足は止まらない。
⸻
喫茶店。
二人は中に入っていった。
佳は、外の物陰に身を隠す。
ガラス越しに見える席。
(……あそこか)
二人が向かい合って座っている。
楽しそうに話しているのが、遠目でも分かる。
(……普通だな)
笑ってる。
自然に。
あの時、自分といた時と同じように。
⸻
(……それでいい)
そう思う。
本当に。
(あいつ、ちゃんと笑ってる)
それだけで——
十分だ。
⸻
その時。
「……っ」
急に、視界が揺れた。
胸が締め付けられる。
(……やば)
呼吸が浅くなる。
「……っ、は……」
咳が、込み上げてくる。
(今は、やめろ)
歯を食いしばる。
でも——
「……っ!!」
抑えきれない。
咳が、漏れる。
体が揺れる。
慌てて、横の壁に手をつく。
片手で、体を支える。
「……っ、く……」
息ができない。
喉が焼ける。
視界がぼやける。
(……くそ)
(タイミング悪すぎだろ)
⸻
「大丈夫ですか?」
横から声。
通りがかりの人。
「……っ、大丈夫、です」
無理やり、声を出す。
「顔色、かなり悪いですよ」
「……平気、なんで」
それ以上関わらせないように、軽く頭を下げる。
その人は少し迷ったあと、去っていった。
⸻
「……っ、はぁ……」
なんとか呼吸を整える。
手は、震えている。
力も、入りにくい。
(……ほんと)
(もうダメだな)
笑えない冗談みたいに、そう思う。
⸻
もう一度、ガラス越しに視線を向ける。
二人は、変わらず話している。
穏やかに。
楽しそうに。
(……問題なさそうだな)
それだけ確認する。
⸻
(……じゃあいい)
それで十分だ。
ここにいる理由は、もうない。
⸻
ゆっくりと、その場を離れる。
足取りは重い。
でも——
どこか、静かだった。
⸻
(……これでいい)
何度も、心の中で繰り返す。
(これでいいんだ)
自分に言い聞かせるように。
⸻
帰り道。
空を見上げる。
曇っている。
(……あーあ)
小さく息を吐く。
⸻
(……俺じゃなくてもいい)
(あいつが笑ってるなら)
それだけで。
⸻
その日。
佳は初めて——
“自分のいない未来”を、受け入れ始めていた。