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「紅葉狩りって、ただ葉っぱ見るだけなのに何が楽しいわけ?」
来て早々に情緒の欠片もない発言をする直里(なおさと)に、星良(せいら)は呆れて溜め息を吐いた。
「そう思うなら、なんで来たんだ」
「だってさぁ、泉樹が楽しいって言うから」
近場の自然公園に紅葉狩りに行こう、そう言い出したのは泉樹(いずき)だった。泉樹の恋人でいつも彼にベッタリくっついている冴里(さえり)は、当然誘いに乗った。しかし、他の仲間たちはほとんどが既に先約有り。
結局、シェアハウスで暮らす十人のうち、紅葉狩りに来たのは提案者の泉樹と、直里・冴里兄妹、星良の四人だけだった。
「楽しいよ。きれいなものを観賞していると創作意欲が湧いてくるからね」
イラストレーターの仕事をしている泉樹にとって、美麗な景色はそれだけで創作の糧となるのだろう。見事に染まった紅葉を存分に堪能しているようだ。
「私は泉樹くんと一緒ならどこでもハッピーだよっ」
冴里は紅葉よりも恋人の泉樹ばかりをずっと見つめている。
景色を楽しむ気が全くない兄妹は放っておくことにして、星良は今日来れなかった仲間たちに後で送ってやろうと、スマホで紅葉の写真を撮りながら歩く。
昼食は公園の近くにある蕎麦屋で、四人ともざる蕎麦を食べた。
「んー、美味しい」
山葵をたっぷり入れたつゆで蕎麦を啜り、冴里は満面の笑みを浮かべる。
蕎麦屋の店内は、泉樹たちと同様に紅葉狩りにやってきたと思われる客で賑わっていた。
「天然物の山葵を自分でおろして添えられるのもいいね」
泉樹が山葵を丁寧にすりおろしながら、冴里に微笑む。
この店では一人一人に丸ごとの山葵と小さなおろし器が用意され、自分で好きなだけすりおろして薬味にできる。残った山葵は持ち帰りもできるらしい。
「星良くん、ワサビそれだけでいいの? いっぱい入れたほうが美味しいよー」
ほんの少ししか山葵を入れていない星良の向かいの席で、冴里は更に山葵を追加する。
「いや、俺は辛いのはあんまり……」
「ふぅーん、意外と子供舌なんだなセーラちゃんは」
隣の席で直里がニヤニヤ笑う。
双子で味覚も似ているのか、直里も冴里と同じくらい大量の山葵をつゆにぶち込んでいる。
「うるせぇ! いい加減その呼び方やめろクソガキ!」
直里はことあるごとに星良を「セーラちゃん」と呼び、女っぽい名前にコンプレックスを持つ星良をからかってくる。いくら言ってもやめようとはせず、むしろエスカレートしている気もした。
「お店でケンカしちゃダメだよ。ほら、みんな見てる」
泉樹の言うとおり、雰囲気の良い店内で怒鳴り声を出した星良に、他の客の冷ややかな視線が突き刺さる。
さすがにそれ以上は怒れず、おとなしく蕎麦を啜るしかなかった。
昼食後。
見るだけでは物足りなくなったらしい泉樹が、ショルダーバッグからスケッチブックと鉛筆を出して景色を熱心にスケッチし始めた。
サラサラと簡単に書いているように見えても、その出来はさすがプロと言いたくなるほどハイクオリティだった。
「なぁ、まだ見るの? 俺もう飽きたんだけど」
直里が退屈そうに欠伸をしながら泉樹に訴える。
「じゃあ、あと一枚スケッチしたら帰ろうか」
スケッチブックのページをめくり、泉樹はまっさらのページに再び鉛筆を滑らせ始めた。
星良は午前中とは違う角度で写真を撮っていたのだが、下腹部に鈍い痛みを感じ、手を止める。
――う……、なんか腹痛くなってきた……。
ギュルギュルと腸が激しく蠕動し始める。
昼食は四人とも同じものを食べているため、原因とは考えにくい。
では何が原因なのか。昨日今日と星良だけが飲食したものを思い出してみても、さっぱり見当がつかない。
――まあ、このくらいなら……帰るまで我慢できなくもない、か……。
腹は痛むが、まだ便意はそれほど強くない。帰宅するまではもつだろうと、星良は甘く考えていた。
「なぁ星良、泉樹と冴里知らねぇ?」
「え?」
「アイツら、いつの間にかいなくなってやんの」
すぐ近くでスケッチをしていたはずの泉樹と、その傍にくっついていた冴里の姿がない。キョロキョロと周囲を見回してみても、目の届く範囲に二人はいなかった。
「はぁ……。しゃーねーな、探すぞ」
――ったく、こんなときに面倒かけやがって……。
泉樹たちを探している間にも、どんどん腹痛は酷くなってくる。
「いねーなぁ、マジでどこ行ったんだよアイツら」
直里はブツブツとぼやき、口を尖らせる。
「……」
痛みだけでなく便意も強まる一方で、もう少しでも気を抜くと漏れてしまいそうなレベルまできていた。
近くに公衆トイレが見えたせいか、腹の中のものが早く外に出たがって暴れ出したかのような感覚に襲われる。
――やべぇ……、我慢できると思ったけど、やっぱ無理だ……。
「直里、俺ちょっとトイレ行ってくる」
「おう」
なるべく平静を装いつつ直里に声をかけ、公衆トイレに向かう。途中、何度か漏れそうになり足が止まってしまった。直里に変に思われていないか心配しながら、なんとかトイレの個室まで辿り着く。
便器を前にした瞬間に緊張の糸が緩んだのか、便意の波がピークに達したのをギリギリのところで耐え、急いでジーンズと下着を下ろし便座に座る。
下品で汚らしい音と共に、泥のような緩い便が大量に排泄され、白い便器の中を茶色く染めていく。
「はぁ……、はぁ……、うぅっ……」
トイレには間に合い、ひとまずホッとしたものの、なかなか腹痛と便意は治まらない。痛みが引きかけたかと思えばすぐにぶり返し、断続的に汚泥が便器に叩きつけられる。
それでも、あまりに長居していたら腹を壊していることを直里に気付かれてしまうと思い、完全に治まる前に出てきてしまった。
「ずいぶん長かったな、絶対ウンコしてたろ?」
直里は能天気にケラケラ笑う。
「黙れクソガキ」
治りきらない痛みのせいもあって、星良は余計に苛ついて吐き捨てるように悪態をつく。
「クソしてたのはそっちじゃん」
「あーもー、いちいち腹立つなオメェはよぉ。さっさと泉樹たち見つけて帰るぞ」
本音を言えば、泉樹と冴里の捜索も放り出して早く帰りたかった。
「それなんだけど、さっき泉樹からLINEがきて、冴里にねだられて他の場所もいろいろ回ることにしたから先に帰っててくれってさ」
「はぁ!? なんだよそれ!」
早く帰りたいとは思っていたが、いったい何のために腹痛に耐えてまで探し歩いたのかと星良は頭を抱える。
「ほんっっと傍迷惑なバカップルだな!」
思わず毒づくと、直里も頷いた。
「同感」
「お、珍しく意見が合った」
「合っても嬉しくねぇけど」
「確かに」
ケンカばかりの星良と直里にしては珍しく、顔を見合わせてフッと笑い合う。
「じゃ、俺らも帰るかぁ」
直里は公園の出口の方向に歩き出し、星良もその隣を歩く。
しかし、しばらく歩き続けると下腹部の痛みと腸の蠕動が激しくなり、便意も甦ってきた。
「うぐ……」
――さっき行ったばっかでまたトイレ行きたいって言ったら、さすがにおかしいと思うだろうな……。
いつもいがみ合っている直里には弱っているところを見られたくないという気持ちが強く、ついつい我慢しようとしてしまう。
星良は意地を張りすぎて良くない結果を招くことが多々あり、悪癖だと自覚はしていても、性格はそう簡単には変えられずにいた。
「なあ、星良」
「ん?」
「もしかして、腹痛い?」
「……! な、なんで……」
必死で普段どおりを装っていたのに図星を突かれ、星良は大いに動揺する。
「なんでって、今、腹鳴ってんの聞こえたし、つらそうな顔してっから」
「……」
「トイレ行きたいんだろ? 戻ろうぜ」
他のトイレを探すより、先程の公衆トイレに戻るほうが断然早くて確実だ。直里の提案はありがたい。星良は直里に従うか平気だとはねのけるか少し逡巡した後、小さく頷いた。
結果的にこの判断は大正解だった。
公衆トイレに戻ったときには、またしても限界寸前の状態になっていたからだ。もし意地を張って帰るまで我慢しようとしていたら、最悪の結果になっていただろう。
長々と籠もってようやく個室から出てきた星良は、手洗い場の鏡を見て、酷い顔をしてるな、と自分で自分を嘲った。
「星良」
近くのベンチに座って待っていた直里は、今度はトイレから戻った星良をからかったりせず、自分の隣の座面をポンポン叩いて座るよう促した。
「少し休んでから帰ろっか」
もはや意地を張る気力がなく、素直に直里の隣に腰を下ろす。
「ちょっと待ってろ」
直里はそう言うと急ぎ足で傍の自販機まで行き、ペットボトルの温かいお茶を買ってきて星良に手渡した。
「水なら持ってんのに」
外出する際、星良はいつもショルダータイプのボトルホルダーにペットボトルや水筒を入れて飲み物を持ち歩いている。もちろん今も、肩に下げたボトルホルダーには飲みかけのミネラルウォーターのボトルが入っている。
「腹壊してんなら温かいほうがいいだろ」
「まあ、そうだな……」
ボトルのキャップを開け、温かいお茶をゆっくりと三口ほど飲んでから閉めてベンチに置いた。
「もういいのか?」
「ああ」
ふう、と小さく息を吐いて、無言で何をするでもなくぼんやりと空を見上げる。
快晴とまではいかないまでも行楽日和の良い天気なのに、どうして自分はこんな目にあっているのかと、自分の不運を呪う。
「上着着てくりゃよかったな」
唐突に直里が口を開いた。
「そんな寒いか? 今日は暖かいほうだろ」
十一月の下旬にしては、今日は気温が高いほうだった。
それに、直里は着膨れで動きにくくなるのを嫌っていて、肌寒い日でもだいたいは薄着。そもそも寒さに強いタイプのようだが、多少の冷え込みはヒートテックのインナーを着たりしてやりすごしているらしい。
「いや、俺は平気だけどさ。着てたら膝にかけてやるくらいのことはできたのになーって思って」
六歳も歳上の星良に反発してばかりの生意気小僧とは思えない直里の発言に、星良はどう反応していいのかわからなくなる。
「あ、そうだ」
何を思いついたのかと思えば、直里は星良の腰に腕をまわし、シャツの上から星良の腹に手を当てた。
「……っ! な、何すんだよ」
直里の予想外な行動に、星良は驚きすぎて身動きもできなかった。
「俺、手が温かいってよく言われるんだよな。どう? カイロ代わりになんねぇ?」
カイロとまではいかないものの、衣服越しでも直里の手の温かさがじんわりと伝わってくる。
――確かにあったけぇし気持ちいいけど……。
紅葉狩り目的の人で賑わっている中、男同士で寄り添っている姿は悪目立ちする。通りすがりの人たちにチラチラと見られているのを感じて、顔が熱くなった。
――恥ずい……。
そう思いながらも、直里の手の心地よさに負けて星良はされるがままになってしまう。
そして、不思議なことに、直里に触れられてからスッと痛みが和らいでいった。
その後。
星良の腹痛もだいぶ治まり、二人は無事に自分たちの根城であるシェアハウス【Felice(フェリーチェ)】まで帰り着いた。
「ただいまー」
元気よく玄関のドアを開けた直里を、入居者の一人である時彦(ときひこ)が出迎えた。
「おかえり。あれ? 泉樹くんと冴里ちゃんは?」
「アイツらまだどっかうろついてんのか……」
直里の後から玄関に入ってきた星良が呆れ顔で呟く。
ルームメイトでもある二人は一緒に自分たちの部屋に戻り、外出着からリラックスできる部屋着に着替えた。
「ねえ、直里くーん、ちょっと手伝ってもらえないかな」
今日の食事当番の千詠(ちよみ)に呼びかけられて、直里は部屋を出ようとした。男性陣の中では腕力の強い直里を呼んだということは、おそらくは力仕事を頼むのだろう。
「星良」
「あ?」
すぐ千詠のところに行くかと思いきや、直里は足を止めて振り返り、星良に呼びかけてきた。
「ゆっくり休んどけよ。まだ完全に治ったわけじゃねぇんだろ? 飯の時間になったら呼んでやるから。……あ、晩飯、星良の分はおかゆとかにしてもらおうか?」
「いや、そこまでしなくていい」
「そっか」
直里が出ていった後、星良は二段ベッドの下段に身を投げ出した。
――あのクソガキ……、なんで今日はこんな優しいんだよ……。
毛布に潜り込み、まだしくしくと痛む腹に手を当ててみるが、直里にしてもらったときのような温かさは感じられない。
――あれ、気持ちよかったな……。
直里の手の温もりを欲している自分に気付き、思わず枕に顔を埋める。
――うう……、何考えてんだ、俺……。
また顔が熱くなってくる。
星良は自分の胸に芽生えた気持ちを上手く整理できず、直里が呼びにくるまで、窒息しそうなほど枕に顔を埋めっぱなしでいた。