寝たのか寝てないのかわからないうちに朝になった。頭が痛いのは、昨夜眠れなくて立て続けに飲んだビールのせいかな。
下ではゴソゴソと音がしている。
「にゃーーん」
甘えるタロウの声。
「いい子にしてるんだぞ、よしよし」
優しくタロウに話しかける声が聞こえた。
そっか、今日から半年いないんだった。
俺はもうしたくない、か…。
昨日旦那に言われたセリフが頭に浮かぶ。
そんなに私のことが嫌いだったってことだろうか。
いつから?なんで?
聞いてみたいような気もするし、聞いてはいけないような気もする。
でも、あんなにあからさまに拒否されると、私の女としての価値を全否定されたみたいで落ち込んでしまう。
私はなんのために旦那と結婚したんだろう?
ガチャリと玄関ドアが閉まる音がした。
出張へ出かけたようだ。
ゆっくりと下へおりる。
「はぁー」
ため息しか出ない。
ぴこん🎶
《おはよう、今日、朝行ってもいい?話があるの》
LINEの送り主は娘の綾菜だった。
〈仕事行くまでならいいけど。翔太も来る?〉
ぴこん🎶
《翔太も、ばぁばに会いたいってうるさいのよ、連れていくわ》
〈待ってるわ〉
そうだ。
綾菜に話してみようか。
いや、旦那にセックス迫ったら断られたなんて言えないか。
綾菜にとっては、血のつながらないお父さんだし。
ゆっくりと起き出し、コーヒーを淹れる。
テーブルの上には白い封筒が置いてあった。
中には10万円が入っている。
【タロウの生活費】
餌の種類と、トイレ砂の種類、病院の連絡先。
もともとタロウは、旦那の会社の敷地内に捨てられていた猫で、旦那が連れ帰ってきた。
私は特に猫好きというわけでもなく、最低限のお世話しかしたことがなかった。
タロウの生活費と細かなことは明記してあるのに、私のことは何もないんだ…。
昨日の今日で、さらに暗く沈んだ気持ちになる。
「にゃー」
タロウが足元に寄ってきた。
「しばらくは、あんたと2人暮らしだから、よろしくね」
頭を撫でたら、すりすりと顔をこすりつけてきた。
可愛いやつだと思ったけど。
「旦那はあんたのことの方が心配みたいだよ、どっちが奥さんだかわからないねって、あんたはオスだったね、残念!」
洗濯して、軽く掃除して。
孫の翔太の好きなホットケーキを焼くことにした。
10時少し前に、綾菜が翔太を連れてやってきた。
「おはよう!お母さん、いる?」
「ばぁば、しょうちゃんきたよ」
玄関からパタパタと走ってくる可愛い男の子。
自分の孫ながら、なんでこんなに可愛いんだろうと思ってしまう。
完璧にばばバカだ。
「いらっしゃーい、しょうちゃん、今日も元気いっぱいだね!」
飛びついてくる翔太を抱き上げた。
「お?また重くなったかな?」
「そうなの、最近よく食べるからね」
「食べるのはいいことだよ、あ、しょうちゃんにホットケーキ焼いてあるよ、食べる?」
「うん、クリームいっぱいね」
「はいはい、用意してあるから、ばぁばがかけてあげるね」
子供用のフォークで、美味しそうにホットケーキを食べる孫の顔は、見ているだけで幸せになる。
何を作っても無表情で感想も感謝も言わない旦那とは、えらい違いだ。
「おいし!」
「そう、それはよかった。ばぁばも作った甲斐があるよ」
「ねぇ、コーヒー淹れてもいい?」
キッチンから綾菜が言う。
「好きなようにして、あ、お母さんにも淹れて」
娘の淹れるコーヒーを待って、娘の話を聞くことにした。
私の話はまた今度だ。
「はい、どうぞ」
「ありがとう。で、話ってなに?」
「あの…さ」
「何?言いにくいこと?」
少し言葉に詰まった綾菜。
「アイツ、うちの旦那、浮気してたの!」
「え?」
「最近ね、夜、誘ってこないから疲れてるのかなあと思ってたんだけど。このまえ、こっちから誘ったの、アイツは半分眠りこけてたんだけど。そしたらさ、アイツなんて言ったと思う?」
もうお前とはしたくないとか?なんて昨夜の旦那のセリフを思い出したけど。
「なんて?」
「まだしたいの?マリちゃん、だって!わかる?私は綾菜、マリって誰?って叩き起こしてぶん殴ってやった」
「いやいや、寝言だったんじゃないの?」
「寝言で?マリ?おかしいでしょ?」
「それで健二くんは、なんだって?」
「とぼけてたよ、寝言だって言ってた。でもさ、そんなの信じられないじゃん?次の日にアイツが寝てしまうのを待って、アイツのスマホを覗いてやったの」
「ロックしてなかったの?」
「そんなの、指紋で開いたよ」
「甘いな、健二くんは」
「はぁ?そこ?違うでしょ!とにかくあったわけよ、LINEが。ハートいっぱいで。また会いたいとか、大好き!とか」
「あーぁ、やらかしてるね」
「でね、何が一番頭にきたかって、アイツの返事、あの一言!」
「なんて書いてあったの?」
「奥さんは大丈夫?ってマリからのコメントにね、嫁のことは心配いらない、アイツは俺に惚れてるから疑ったりしない、だって。バカにされたもんだわ!!」
コーヒーカップをダン!とテーブルに置いた。
「ママ、怒ってるの?」
「あ、ごめんごめん、ママは怒ってないよちょっと手が滑っただけだよ、ね?ママ」
怖がった翔太をなだめるのもばぁばの役目。
…にしても。
「で?どうするの?」
「離婚する!」
「ちょっと待って、綾菜、まだ完璧な証拠はないから、早まっちゃダメだよ」
「証拠ならLINEがあるじゃん?ちゃんとスクショしといたよ私」
「LINEなんて、ふざけてやり取りしましたって片付けられたら終わりだよ?もっとちゃんとした…たとえばホテルに入ったとか、彼女のためにお金を注ぎ込んでるとかの証拠、LINE以外の確実な」
ふむふむと、考えている。
「確実な証拠か。そうか、それがないと慰謝料とか取れないよね?てか、お母さん、詳しいじゃん、相談してよかった」
「ちゃんとしたことは専門家じゃないとわからないけど。でもしっかり考えるんだよ、翔太もいるんだし、あんたは専業主婦なんだからね、生活のこともあるよ」
「わかってるつもり。でも喧嘩しながら夫婦でいるよりマシかなと思ってる。今すぐとは言わないけどね。そうなったら出戻りでここに来るから、その時はよろしくね」
「まぁ、そうなったら仕方ないけどね」
答えながら、ふと考えた。
娘が出戻ってくるとしたらこの家しかない、ということは、私はこのままここにいるしかないということだ。
「あれ?そういえばあの人は?仕事だっけ?」
綾菜はお父さんとは呼ばない。血がつながらないから仕方ないと思ってる。
「なんかね、長期の出張なんだって、今日から半年」
「そうなの?じゃあ、お母さん、羽を伸ばせるね!自由じゃん?」
外でしてきてもいいくらい自由の身なんだよと言いたくなったけど。
「まぁね」
とだけ返事した。
「そろそろ仕事に行く準備するから、ここにいるならいてもいいよ」
「うん、あの人もいないなら泊まってく」
じゃあ、ご馳走を作らないとね!と少しだけ楽しい気分になった。
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