「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花」
色白で細く曲を描く身体をゆらゆらと揺らす少女、藤元 雅は幼い頃から秀才だの可憐だの散々持て囃されて来た。
そんな周りからの行き過ぎた賞賛やプレッシャーに押し潰され、いつしか彼女は仮面を被った。
通う学校は周りが羨むお嬢様学校の中でも上位に入る学園。
常にテストの順位は1位で生徒会に所属し、生徒会長を務めている。
本人にバレないようにコソコソと設立されたファンクラブには大勢の人が所属し、常に周りからの視線は絶えなかった。
雅は肩書きや表向きの自分に縋り付く人間を嫌という程目にしてきた。
彼女は常に人の目を気にし、例え自室であってもお淑やかな所作を崩さなかった。
雅は学園内の寮に在住しており、学園からの配慮という名の媚び売りとして一人部屋を言い渡された。
そうして居る内に、生徒会に1人の少女が加入した。
彼女の名は楠原 悟と言い、お嬢様学校の生徒にしては男っ気の多い人だった。
彼女は書記として責務を全うし、常に雅に快活に笑いかけ、自分の本心を見せていた。
そんな日々が続き、雅は己の心を蝕む痛みに気が付いた。
彼女の心は悟を欲し、悟を呑み込んでしまいそうな程のドロドロとした穢い欲望が湧き上がっていた。
彼女は日々濁った黒色に染まる己に恐怖し、憔悴していた。
彼女も純粋で無垢だとは言え、人並みに欲望はある。
悟を見るだけで躯を駆け巡る熱い気持ちに焦り、震える。
この学園は百合の花がモチーフとされていて、生徒は花言葉を基に「純粋無垢であれ」と定められている。
つまりは恋愛も、犯罪も反抗心も憎悪も何もかも無くせと口を酸っぱくして言い聞かせられている。
そんなふうに恋愛を禁止された生徒達は教師に抗議を行う。
そこに目を付け、教師は逆らった生徒にお仕置だと手を出す。
未だ性交を行っていない正に純粋無垢な身体に傷を付け、精神をズタズタに切り裂く。
その被害者は未だに後を絶たず、雅も例外ではなかった。
雅は未だ鮮明に蘇る苦い思い出に苦虫を噛み潰したような気持ちで目の前の書類をペラペラと捲っていた。
しかし突如背後で聞こえた扉の開閉音に意識を浮上させた。
弾けたように振り向けばそこには愛しい彼女が立っていた。
しかし普段の快活な表情は也を潜め、酷く歪んで目尻には涙の跡が点々と滲んでいた。
「どう…した、の。」
最悪の事態が脳裏を駆け巡る。
彼女がお仕置を受けたかもしれない、と。
彼女は長く細い脚を折り畳み、床に崩れ落ちた。
「っふ、っぅぁ…ぁぁぁっ!ぅぁぁぁ!」
顔を両手で覆い、その大きなアーモンド形の目から涙をボロボロ零しているだろう彼女。
そんな彼女がとても美しく、儚いと思った。
雅はすぐさま悟を抱き締め、落ち着くまでいつまでも己の温もりを分け与えた。
空が少し茜に染まり始めた頃、落ち着いた彼女はポツリポツリと話し始めた。
雅は悟っていたとはいえ頭を鈍器で殴られたような痛みに顔を歪ませた。
雅は彼女の肩に手を置き、真剣な面持ちで口を開いた。
「私は…悟、貴女が好きです。愛しているのです。私は貴女が来てくれてから己を蝕む感情に恐怖し、何度も涙しました。しかしやはり貴女の笑みを見れば幸せになれるのです。だから、ここから私と逃げましょう。私と幸せになって下さい。」
悟は口をぽかんと開けたまま固まり、すぐに頬を淡く染めた。
「ぇ…ぼ、僕も雅が好き!!ずっと好きだった!近付きたくて生徒会にも入ったの。…僕も雅の笑顔をずっと見ていたい。…僕も雅の事幸せにする。」
先程とは違いキラキラと輝く笑顔に目尻に溜められた涙が美しく、夕陽と藍色の瞳のコントラストが雅の頭の働きを鈍らせた。
雅は生唾を呑み込み、目の前の淡いピンクに染まった艶やかな果実へ噛り付いた。
生徒会室に水音と荒い呼吸音が響き、耳を犯す熱を孕んだ雰囲気に気分が高揚する。
細められた目から一筋涙が流れたと同時に唇は離れ、どちらのものか分からない唾液が銀の糸を紡いですぐにプツリと途切れた。
頬を赤く染めて荒い息を繰り返す2人はとても幸せそうに両手を繋ぎ、窓から差し込む夕陽を浴びながら微笑みあった。
学園から逃げるという計画は順調に進められていて、家柄を使わずに遠い田舎の方へ一軒家も用意した。
後はそこへ向かうだけ。
風が新緑の香りを乗せて頬を撫でて行くようになった6月の事。
ついに2人は学園からの逃亡を決行した。
虫や花さえも眠りこけている深夜。
2人は鞄に貴重品を乱雑に入れて校門で待ち合わせをした。
生徒からの告発を避ける為校門にはカメラが設置されていたが、何度も何度もシミュレーションして死角を見つけた2人は難なく学園から離れることに成功した。
しかし時間も時間であり、ここから遠く離れた田舎へ向かうのは厳しい。
それでも2人はクスクスと笑いながら手を繋いで歩いた。
空も白み始め、小鳥がチチチと鳴き始めた頃。
漸く木々が生い茂り始めて広々とした田畑が2人を歓迎した。
2人は山の入口で繋いだ手を更に固く繋いで山に踏み入った。
手入れされていない山の中は人気が無く、獣さえも息を潜めて辺りを伺っていた。
木々にとまる虫が音色を奏で、風がその音を響かせる。
木漏れ日が地面を光らせ、山の中はステージ上のようだった。
2人はまるで恋物語の許されざる恋をした主人公になったような錯覚に陥り、踊るようにステップを踏んだ。
暫く歩けば小さな小屋が現れた。
お世辞にも綺麗とは言えず、白かっただろう壁は埃で灰色に染まり、赤い屋根はくすんでいた。
それでも2人は心底幸せそうに顔を見合わせた。
持ってきた財布で沢山禁止されていた漫画やお菓子を買い、近くの百合が広がっている草原で簡易的なピクニックをした。
2人の心はまだ浮ついていて、妙に現実味を帯びて居なかった。
「なんだか、夢みたい。」
暖かく柔らかい風が2人の間を通り抜け、2人を祝福するように花が揺れる。
悟は目を伏せ、神妙な面持ちで雅の手をふわりと握った。
「雅の身体は穢れてしまったけれど、心は純粋で美しいままだよ。嫌だったら拒否してくれて構わない。あのね、僕は雅と2人で死にたい」
雅は鳩が豆鉄砲をくらったような顔をした後、花が咲いたように笑った。
「私も悟と純粋なまま死にたいわ。…私ね、百合が好きなの。百合の花言葉は「純粋」「無垢」等の意味合いがあるのだけれど、私はあの学園に入ってからその言葉が少し嫌いになったわ。…でも、でもね。こんな穢れた私に純粋で美しい笑顔を見せてくれた貴女のお陰でまた百合が好きだって思えたの。…何が言いたいかって言うとね、ある都市伝説なのだけれど、密室に百合の花を敷き詰めてそこで眠ると本当に眠ったように死ねるの。…私と一緒に百合の花に囲まれて眠りませんか?」
まるでプロポーズのように悟の手に唇を落とす雅の頬は淡く染まり、微かに吹き出た汗が額を濡らしていた。
悟ははにかんで頷いた。
「でもその前に、僕もやりたいことあるから目を瞑って待ってて!」
悟は勢いよく立ち上がり、パタパタと小屋へ戻って行った。
数分後、何やらガチャガチャと音をさせて戻ってきた悟の腕の中にはラジカセがあった。
悟は満足気に息を吐き、雅に何かを被せた。
「いいよ、目を開けて。」
ゆっくりと開かれた目に暗闇からの突然の光に痛みが走るが、何度か瞬いた。
目の前は薄く白みがかっており、悟が自信満々に笑った。
「…結婚式。」
悟の手にはお世辞にも可愛いとは言えないチクチクとした白い花が鎮座しており、花束とは言えなかったが雅は疑問に思いながらも目尻に涙を溜めた。
悟がラジカセのボタンを押し、雅の前に跪く。
ラジカセから段々途切れ途切れに男性らしき声が言葉を紡いだ。
「新婦 楠原 悟、あなたは藤元 雅を妻とし、健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、妻を愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを…」
古そうなラジカセから流れる己達の名前にギョッとし、目を見開く。
ラジカセから花、花から悟と滑る視線が悟の視線と絡み合う。
そして、
「誓いますか?」
風もなりやみ、ハタハタと靡いていたヴェールが雅の顔を撫でる。
2人はしっかり見詰め合い、涙が一筋頬に流れたのを合図にどちらともなく口を開いた。
「「誓います。」」
簡易的な結婚式はライスシャワーもブーケトスも神父もその場に無かった。
それでも、2人の間には確かな愛が存在し、心は満たされていた。
とっくにヴェールも剥がれ、2人で死ぬ為の用意をしようかと小屋へ向かおうとした時、雅が口を開いた。
「ねぇ、さっきのあの花、なんて言うの?…その、普通結婚式って言ったらもっと可愛い花を選ぶと思ったから…あぁ、違うのよ。あの花もとても可愛らしいわ。ただ、どうしてなのかしらと…。」
少し高い位置にある悟の顔を覗き込んで話し、悟の表情の微妙な変化を鮮明に感じ取ってわたわたと弁解する雅が愛おしく、悟はけらけらと鈴を鳴らすように笑った。
「あの花はね、クワって言うんだ!別名マルベリーとかミュールとかとも言われてるけれどね。僕があの花を選んだのは単純に花言葉さ。花言葉は「彼女の全てが好き」、「共に死のう」だよ。僕たちにぴったりでしょう?」
雅は嬉しそうに微笑んだ。
夕陽のせいで辺りは赤く染まり、カラスがカァカァと2人を急かした。
小屋に入れば既に百合の花は敷き詰められていて、悟が自慢げに鼻の下を擦った。
「一緒にしたのに!全く…ありがとう。」
何故雅がムッとしたのか悟は理解するのに時間を催した。
あぁ、2人を永遠に繋ぐ儀式の準備だからか。
悟はそれでも入口に突っ立ったままの雅の手を引き、百合の花の上にドカッと腰を下ろした。
「睡眠薬、のむよ」
500錠は入っていると思われる薬を2人で分け、ゆっくり、ゆっくりと飲み干していく。
最後の1粒が食道を通って行った後、悟は口を開いた。
「あのね、実は百合の花で埋もれて死ぬのは難しいかもしれないの。…だから、この白い百合を赤い百合に変えてしまおう?」
聡い雅はその言葉が何を意味するのかをしっかり読み取り、それでいて頷いた。
「ナイフは2つある。睡眠薬を飲んだ理由は、もしナイフで死ねなくても薬の多量摂取で死ねると思うから。だから、眠ってしまう前にもう逝こう。」
2人は冷たいナイフを握る準備のように暖かい指を絡め、暫し体温を分け合った。
目を開いたのはどちらだったか。
2人の手は確実に恐怖と高揚感で震えていた。
セピア色の光が包む小屋の中に震えた、それでいてとても幸せそうな声が響いた。
「「せぇの。」」
あっという間に白い百合は赤く染まった。
それは恐怖で額に滲む汗や震える手を無視してまでも愛を守った2人の小さな虚栄心。
彼女達のその後を知る者は誰一人として居ない。
それでも噂では誰も居ない小屋から2人の少女の心底幸せそうな声が聞こえるそうな。
赤い百合の花言葉「虚栄心」
コメント
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読んでてめちゃ面白かった…この頃の自分の語彙力とかまじでどこいったんだろ…つら笑