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襖戸が開き、入ってきたのはスーツ姿の若い男性だった。
それも私が今まで見た男の人の中で一番、綺麗な顔をしている。
茶色の髪はサラサラとしていて、中性的で整った顔立ち、長い睫毛に穏やかで落ち着いている雰囲気。
それに加え、上品な立ち振る舞いが身に付いていて、椅子に座るだけでも普通の人とどこか違っていた。
確かに王子様と呼んでしまいたくなるのも納得だった。
「お元気そうですね」
「ふん。こんな姿で元気なわけないだろうが。お前の祖父に似て嫌味がうまいな」
「お褒め頂き、光栄です」
お祖父さんと話をして、怯まない人を初めて見た。
今までお祖父さんの元へやってきた人達はお祖父さんに遠慮して冗談のひとつも言えなかった。
それがこの王子様は違っていた。
「朱加里」
「は、はい」
気後れしてしまっている私にお祖父さんは淡々とした口調で言った。
「こいつは白河壱都という。白河財閥の末っ子だ」
なんと答えていいかわからず、軽く会釈した。
私と目があうと、壱都さんはにこりと微笑んだ。
たったそれだけなのにドキッとして、慌てて目をそらした。
お祖父さんから気を付けろと言われた意味がわかる。
この人は自分の魅力を理解している人だ。
あんな風に微笑まれて、嫌な女性なんていない。
けれど、壱都さんは自分の微笑みが他者に効果があるかわかっていそうで、なかなかのくせ者のような気がした。
かっこいいけど、ちょっと胡散臭い―――それが、壱都さんの第一印象だった。
「井垣会長。今日は俺に重要な話があると聞いて、伺ったのですが」
「ああ。大事な話だ」
なるほど、と壱都さんはうなずく。
そして、テーブルの上にあったお祖父さんが食べていたマフィンを見て言った。
「美味しそうなマフィンだね」
「え?」
「ここで頂くから、持ってきてくれるかな?」
「はい……」
私が部屋を出ると、二人は声を潜めて話し始めた。
なんだか、体よく追い出されたみたいで、面白くなかったけど、仕事の重要な話かもしれないから仕方ない。
部屋を出て、廊下を歩いていると台所の前で沙耶香さんがうろうろとしているのを見つけた。
なにをしているのかなと思いながら、台所に入ろうとすると、呼び止められた。
「朱加里。壱都さんはなにをなさっているの」
「お祖父さんと話しています」
「そんなことわかっているわよ!内容を聞いてるの!」
「さあ……。仕事の話だと思いますよ」
「仕事の話なんてつまらないわ。だいたいあんな偏屈な年寄りと話して、何が楽しいのかしら。私とお喋りした方が楽しいと思わない?」
それはどうだろう。
紗耶香さんと話をするより、お祖父さんと話をしたほうが私は好きだけど。
「せっかく可愛くしたのに」
沙耶香さんは泣きそうな顔をして、うつむいた。
私に言われてもどうしようもない。
頼まれたお茶の用意をしようと台所に入り、コーヒーとマフィンをお盆にのせた。
「ね、朱加里。私がそれを持って行くわ。いいわよね?」
「はあ……かまいませんけど」
紗耶香さんは私の手からお盆を奪うと、いつもは近寄らないお祖父さんの部屋に嬉々として歩いていった。
「王子様は見たかい?」
沙耶香さんがいなくなったのを見計らって町子さんが話しかけてきた。
「見ましたけど」
「どうだった?キュンとしなかったかい?」
町子さんだけじゃなく、周りにいた使用人全員が期待を込めた目で私を見た。
「どうもしません。私には恋愛する余裕なんてありませんから」
そう、恋愛をするには時間もお金も必要なのだ。
私にはその両方がない。
おしゃれで身綺麗にしている紗耶香さんと地味な服にエプロンをつけただけの私。
男の人なら間違いなく、紗耶香さんを選ぶだろう。
「夕飯の豆のすじとりを手伝います」
「なーに言ってるんだい!あの王子様に自分を売り込まないと!」
「いいですから、夕飯の豆をください」
「豆より今は王子様だよ!」
「王子様より豆です」
私が町子さんの言い争っていると、遠くからスリッパの音が聞こえてきた。
紗耶香さんが壱都さんの名前を連呼して、ずっとおしゃべりを続けている声が台所まで聞こえ、町子さんは黙った。壱都さんのことを気に入っていると知っていて、私を焚き付けるなんてことできるわけがない。
静かになってよかったと思いながら、豆が入ったボウルを手にした。
「お茶をごちそうさまでした」
壱都さんは帰り際、台所に顔を出し、礼儀正しく挨拶をした。
その挨拶に私は立ち上がって会釈をすると、壱都さんと目が合った。
それも結構、長い時間。
なんだろうと思いながら、その目を見つめ返した。
それが気に入らなかったのか、紗耶香さんが横から、私と壱都さんの間に割って入った。
「私のコーヒーとマフィンはどうでしたか?壱都さんが来るって聞いて、私が心を込めて壱都さんのために作ったお菓子なんです」
私と町子さんは呆れた顔で沙耶香さんを見た。
お菓子作りをしている紗耶香さんなんて、一度も見たことがない。
沙耶香さんは壱都さんに自分をアピールをしようと必死だった。
「壱都さん。今度はいつ、井垣の家にいらっしゃるの?」
甘えるようにして、沙耶香さんは帰ろうとしている壱都さんの腕に絡みついた。
いい返事をするまでは逃がさないというように。
けれど、相手はもっと上手だった。
するりと腕を抜き、紗耶香さんから体を離す。
慣れてるなあ。
きっとすごくモテるに違いない。
あんな可愛い沙耶香さんから、上目遣いでお願いされても少しも動じることがなかった。
「しばらくは来れないかな。今日、伺ったのは海外支店に異動が決まったからなんだ。出発前に白河の祖父から、井垣の家に顔をだしてこいって、言われてね」
「なかなか会えなくなるなんてショックだわ。でも、向こうに遊びに行ったら案内して下さるわよね?」
親戚でも恋人でも友人でもない紗耶香さんのその言葉にさすがに壱都さんは苦笑していた。
さらにその紗耶香さんを上回る猛者がいた。
「壱都さん、ちょっとよろしいかしら」
芙由江さんがリビングから、出てきて壱都さんを呼び止めた。
「おい、芙由江。相手は白河財閥なんだぞ。やめておけ」
「なにを言ってるの。相手に不足はないでしょう。紗耶香は井垣グループの社長令嬢なんだから」
なにを言うのだろうと思っていると―――
「壱都さん。紗耶香はまだ学生だし、今すぐじゃなくでもよろしいのだけれど、娘との結婚を考えて頂きたいの」
結婚!?
私は驚いて豆のボウルを落としそうになった。